2011年12月4日日曜日

ピートとパパの会話(その135 "J-POPで行こう")

ピー  「最近、天候不順が続くね」
パパ 「こういう時は、音楽を聴くのに限る」
    「今回は、J-POPで行こう。米国→日本→米国という話だ」
ピー  「何か意味がありそうだな」
パパ 「日本のJ-POPが、米国の物真似から抜け出して行った過程を、
    音楽と共に辿ろうっていう寸法だ」
ピー  「ほう、ジャズやクラシックではないのか」
パパ 「では、80年代から入ってみよう。先ずこの曲ね」



ピー  「懐かしい。宇崎竜童の作曲だね」
パパ 「ここに、この曲の原曲らしいものがある ↓ 」



    「これはチャック・ベリーだが、あくまで原曲らしい?・・ね。ふふ」
ピー  「そういうことか。これが当時の曲の作り方かぁ」
パパ 「参考までに、日本の作曲者本人が歌っているのがこれ」

http://www.youtube.com/watch?v=fUFtkV_erzI&feature=related

ピー  「益々似ている感じがするゥ・・・」
パパ 「これも参考だが、宇崎はんのパフォーマンスも、これに似ちょる」



    「これは、ヴィンス・テイラーという英国人のロックン・ローラーだ」
ピー  「まあ、よく似たものを捜してくるね~」
パパ 「曲名のTwenty Flight Rockというのは、ヒロポンでラリってしまって、
    階段を20階まで登れんちゅうことを言っちょる」
    「原曲は、エディ・コクランが歌っていたんだ」
ピー  「古、50年代じゃんかぁ」
パパ 「楽器もよく見てみよう。エレキ,ピアノ,ドラムが出てくるだろう」
    「宇崎はんの楽隊も、楽器は現代風に変わったが、同じスタイルだ」
ピー  「ほほう、ロカビリー風ロックンロールだ。なんちゃって。へへ」
    「宇崎はんの素顔って、何となく岡八郎に似てるね」   

パパ 「ちと時代を遡って、日本のマイナーなグループを聴こう。憂歌団だ」



ピー  「憂歌団! こんなグループがいたのかぁ」
パパ 「ワシが憂歌団を初めて聴いたのは、70年代初頭だったなぁ」
    「ボーカルの木村充揮が、物凄く印象的な歌い方をしちょった」
ピー  「ギターも独特の音色だね」
パパ 「内田勘太郎の弾くスライドギターだよ」
    「米国南部の黒人ブルースによく出てくる」
ピー  「こういう米国発の曲が、J-POPの基礎になって行ったのか~」
パパ 「そう、それが70年代、80年代なんだ」

ピー  「日本独自のPOPSは生まれなかったの?」
パパ 「POPSは、米国の黒人音楽と白人音楽が融合したものだ」
    「日本人は、そういう文化の経験値が無かったのさ」
ピー  「だから、西洋風のPOPSが作れなかったのかぁ」
    「で、ちょっと真似てやろうかと?」
パパ 「じゃが、80年代のバブル以降、円の力によって米国の曲と情報が、
    大量に日本へ入ってくるようになった」
ピー  「なるほど、そうして異文化の経験を積んで行ったんだね」
パパ 「その経験が、バブル崩壊後の90年代に実を結んだのじゃよ」
    「そうして一気に噴き出したが、これらの曲だ」







ピー  「もう、米国の真似をしなくてよくなったのかな?」
パパ 「これらの曲には、最早米国の影響を感じないね」
    「それと、80年代のブリッコとかいう甘えた声のジャリタレが
    衰退して行って、スッとしたのもこの頃だ」
ピー  「いよいよJ-POPの始動だね~」
パパ 「では、当時のドラマの主題曲を聴こう」
    「MY LITTLE LOVER の Hello,Again だ」
    「このドラマは、八ヶ岳南麓の小淵沢が舞台になったんだ」



ピー  「小淵沢というと、おいらがよく行くところだ」
    「もう少し行くと、どでかいドッグランがあってさ」
パパ 「もう一発 B'zちゅーのを聴こう」
    「キムタクと常盤貴子主演のドラマ、ビューティフルライフの
    主題歌だよ」 



ピー  「ちょっと聞くけど、パパはJ-POPに興味があったん?」
パパ 「当時、よく聴いていた。こういう音楽は、老若男女を問わず
    文化的な共有ができる」
ピー  「若作りとか年寄りの冷や水とか言うけどぉ・・」
パパ 「あのな、若者文化というのは、その上の世代が作り出したものだ」
    「理由は、若者は金も力も社会的ポストも経験も無い。それらの迷える
    若者をリードしたのが、その上の大人達なんだ」
ピー  「ほと、若者が、僕たちの文化って言っているのは、大人が作って
    与えたものなの?」
パパ 「だから、世代間で文化を共有できるのさ」

ピー  「しかし、B'zとおっさんは、イメージが合わないな~」
パパ 「ふふ、例えば、B'zやZARDのプロデュースをしたのが長門大幸氏だ」
    「彼は、団塊の世代じゃぞ~」
ピー  「なぬ、ほんまかいな? OK! パパを信じよう」
パパ 「ワシは、長門大幸氏が芸能界へ入った経緯や、その時のご両親の
    葛藤を生で知っている。生でね」
ピー  「?」
パパ 「昔、彼はワシを見ると挨拶をしておった。もう忘れただろうが」
ピー  「パパは、何やら怪しげだな~」
パパ 「あまり発言すると、週刊誌がうるさいから止めておこう」
ピー  「時々びっくりするようなことを言い出すけど、一体何なん?」
パパ 「そこが、人の面白いところなのさ。イヒヒ」

ピー  「ここから先、日本のJ-POPはどうなって行くの?」
パパ 「世界でも珍しいオタク文化と共に、日本独自の文化として世界に
    発信して行くことになる」
ピー  「あ~、それが最初に言っていた米国→日本→米国の意味合いかぁ」
パパ 「そうざんす。米国が創り出したPOPS文化は、時を経て日本から
    米国に回帰したんだ」
    「それでは、全米ツアーを果たしたパフィを聴いてみよう」



ピー  「意味不明の歌詞だね」
パパ 「井上陽水の作詞だよ。散文的表現を通り越している」
    「ま、単なる単語の羅列だが、その単語の並びが面白い」
    「パフィーは、日本のオタク文化の発展型と見ることができる」
ピー  「J-POPの辿り着いた先は、米国か~」

2011年11月16日水曜日

ピートとパパの会話(その134 "江 戦国の姫たち")



ピー  「今日は、何の話かな?」
パパ 「ちと趣を変えて、大河ドラマ’江、姫たちの戦国’の話をしよう」
ピー  「して、どのような展開の話でござるかな?」
パパ 「脚本家の田淵久美子氏が、ドラマをどのように描いているかに
    焦点を当てるでござ~る」
ピー  「ふ~ん、脚本の話なのか」

パパ 「このドラマは、女性側から見た戦国物語と言える」
ピー  「ほっほう、そこが、今までの戦国ドラマとの相違点かな?」
パパ 「そうだよん。このドラマの根底に、田淵久美子氏の一貫した平和
    へのテーゼを感じる」
ピー  「はぁ、おいらはチャンバラのドラマだと思っちょった」
     「して、どのように描いてるのよ?」

パパ 「まんず配役じゃが、徳川秀忠に向井理をもってきた」
ピー  「それが?」
パパ 「田淵氏は、このドラマに非力で優男(やさおとこ)の向井理を
    配置することで、意図的に'平和' を醸し出そうとしたんだ」
    「これは適役じゃな」
    「同じように、太賀が演じる豊臣秀頼も優男に仕立てている」
ピー  「これが男性脚本家だと、強面の時代劇俳優を持ってくるのかな?」
     「例えば役所宏司とか」
パパ 「それでは田淵氏の狙いである女性側から見た戦国、つまり'平和’
    への感情表現がぶち壊しになる」

ピー  「真田幸村を演じている浜田学は?」
パパ 「戦国武将として、ええ味を出しちょーる」
    「田淵氏は、真田幸村をまさしく軍人として描いている」
ピー  「軍人ねぇ・・・」
パパ 「権謀術数渦巻く戦国の世で、仕えるべき主人から離れず、絶対に
    政治的な動きをしない。正に軍人として描き、ドラマの中で平和
    とのバランスを取っている。チョイ役のように見えるが、絶妙の
    配役じゃ」

ピー  「色男はいないのかな?」
パパ 「それは豊臣秀吉だよ。これも女性側から見た秀吉像であり、
    好感が持てるように、かなりの脚色が施してある」
    「色男というより、ただの助平親父なんだけどね。ふふ」
ピー  「なんじゃそれは」「ま、面白ければ許そう」

パパ 「さて、ドラマ後半じゃが、簡単に言えば、徳川秀忠と豊臣秀頼が
    平和を模索し始め、それを江、淀、初が支援して行くという展開
    だった。ここでも田淵脚本の思惑が垣間見える」
ピー  「それで」
パパ 「で、大阪夏の陣でドラマが一変する」
    「この辺りはね~、田淵久美子と言えども、歴史の事実から逸脱する
    訳にはいかない」
ピー  「ここは、史実に従ってドラマを描いた?」
パパ 「まぁ~、向井理と太賀を鬼にして史実に従った訳だ」
    「子離れできない宮沢りえを交えてね」
    「ここに 'おね' と '淀’の関係を、家康の思惑を交えて表現すれば、
    もっと怪しいドラマになったのだが~・・・」
ピー  「どういうこと?」
パパ 「'おね'は、実際のところ家康に天下をやるのだが、何故やったかだ」
    「それだけでもドラマが出来上がる」
ピー  「似たようなことを’その66 太宰治とチーズフォンデュ’で
    話さなかった?」
       ↓
http://hiroigui.blogspot.com/2009/10/66.html

パパ 「ああ、言ったかも知れない」
    「ここで田淵久美子氏は、大阪夏の陣の総括として、’平和な世の中に
    するため、どうしても豊臣を滅ぼさねばならなかった’、と向井理に
    言わせている」「これは、歴史の大義名分であり、結果論だ」
ピー  「ほと、脚本家として、史実と妥協した?」
パパ 「平和という基調からして、そのように言わさざるを得なかっただけさ」
ピー  「しかし、それは可逆的だ。家康に天下盗りの野心があるから、
    平和が乱れる」
パパ 「なるほど、秀吉が天下統一を成し遂げて暫くは、世も平和だった」

ピー  「だけど、ややこしいドラマの見方をするねぇ」
パパ 「いや、これは歴史観だ」
    「んで、今後のドラマ展開だが」
ピー  「はいはい」
パパ 「江と竹千代の乳母 福との跡継ぎを巡る戦いに変容して行く」
    「ドラマが夏の陣で終われば、このような展開は必要無いのだが・・」
ピー  「でも、江の生涯を描いているんだろ?」
パパ 「史実では、長男の竹千代(家光)が家督を継ぐ」
    「田淵久美子氏は、ここをドラマとして面白く描こうとしている」
ピー  「どのように?」

パパ 「もう平和への闘争を描く必要がなくなり、内なる女の戦いに変わる」
ピー  「ほう、女性好みのドラマになるのか」
     「でも、どうして女性は、そういうことを好むのか知らん?」
パパ 「以前、ボーヴォワールの哲学の中で話したことがある」
          ↓
http://hiroigui.blogspot.com/2008/12/blog-post_25.html

ピー  「そういうことかいな・・・」
パパ 「で、田淵氏は、長男の竹千代よりも、次男の国松の方を特段の器量
    良しとして描いている」
ピー  「ほ~?」
パパ 「ここでの表現は、二つの根拠に基づいていると考えられる」
     「先ず、豊臣が滅び、平和な世の中が到来したこと」
ピー  「へーへ」
パパ 「第二に、次男国松のような政治的器量良しに政権を任すと冒険主義
    に陥り、再び戦国の世にするかも知れないという恐れ」
ピー  「はは~ん、秀吉の朝鮮出兵の二の舞か」
    「すると、平和維持という観点から、どちらを跡継ぎに選ぶかという
    ドラマ展開にする訳だ」「そこに江と富を絡ませるんだね」
パパ 「ここに、田淵氏が、竹千代と国松を極端に異なった性格として脚色
    表現した理由がある」
     「それに、竹千代を跡継ぎにしたという史実があり、ドラマ化し易い」
ピー  「歴史が脚本だ」

パパ 「ま、天下統一後は、それを維持する行政機構を中心に政治が動く」
    「それと、国家を維持していくには、経済的な才覚も必要だ」
ピー  「ほとだね、少々器量の劣る竹千代を核とし、その周辺に優秀な
    家来を配置して、幕藩体制を維持して行くんだね」
パパ 「そう、行政主体の体制にして、平和を安定的に継続して行くんだ」
    「つまり、徳川家の支配体制ね」
ピー  「武家諸法度の発布もそうだね」
パパ 「こういうことは、行政側からすれば、担ぎやすい竹千代の方がやり
    易い訳だ」「最早カリスマ性や軍事的才覚・非情な精神は必要ない」
ピー  「家康や秀忠も、そのような理由から竹千代を跡継ぎに
    したのかなぁ?」
パパ 「んだ。それを女性の感性で描いちょんのよ」
ピー  「ほう、このドラマの最後の見所だねぇ」
パパ 「富というのは、後の春日局だよ」
ピー  「分かった。竹千代が頼りないから、春日局が権勢を振ることになる
    のか~」
パパ 「ワシも、そう考えておるのじゃよん」

ピー  「だんだんと描き方が分かってきたよ」
パパ 「この脚本の面白味は、戦国史を女性側から再考しようとしたところに
    ある。それによって、歴史を違った目で捉えられるということだ」
ピー  「ほ~、戦国を男のチャンバラ物語でなく、女性という平和主義者から
    見ると、こうなるということか」
パパ 「それが、このドラマにおける田淵久美子氏の狙いだ。チョーン」
ピー  「ふ~・・・」

2011年10月27日木曜日

ピートとパパの会話(その133 クラシックの秋)



パパ 「芸術の秋になったなぁ~」
ピー  「秋は、どうして芸術なん?」
パパ 「理由は分からん。誰かが最初に言い出したらしい」
    「んで、今日はクラシックの話をしよう」

ピー  「ずーと、JAZZやPOPSの話だったもんね」
パパ 「ま、JAZZは、季節感に乏しいからねぇ~」
ピー  「ほー、そりゃまたどうして?」
パパ 「自由や解放感といった黒人の願望を体現した音楽だからね」
    「そこに、ビーバップやフリージャズが生まれたアメリカ独特の
    歴史的必然性がある」
ピー  「はぁー」
パパ 「それに、ジャズはリズム中心の音楽だから、季節感を表現
    するのには向かないような気がする」

ピー  「ジャズは、自然や季節を感じ、それを音楽的に表現することが
    無かったの?」
パパ 「それよりも、黒人個人の解放感の表現が先だったのよん」
    「これは、アメリカ文化の特徴の一つだね~」
ピー  「ふ~ん・・・」
パパ 「じゃがの、欧州へ渡ったジャズメン達は、伝統ある文明に接し、
    洗練された人生観や自然観を認識するようになった」
    「ケニー・ドリューなんか、その最たる人だ」
ピー  「どうしてそうなるの?」
パパ 「そのことに触れると、延々と続くから止めておこう」

ピー  「ちょっと聞きたいんだけど、欧州では自由や解放といったことを
    音楽で表現しなかったの?」
パパ 「ショパンの '革命' なんかがそうだ」
    「しか~し、当時の帝国主義的欧州では、個人の感情よりも国家と
    いう概念が先行したから、黒人音楽のジャズとは表現が異なる」
ピー  「どう異なるのよ?」
パパ 「簡潔に言うと、ジャズは音の跳ね具合で感情表現をしたが、
    クラシックは全体的な曲の構成でそれを表現した」
    「非常に理論的ではあるが、何かを扇動するような意図を感じる」
ピー  「ややこしいことを言うね~」
    「えーと、今日は、クラシックの話だよね」

パパ 「そう、リズムよりメロディという訳さ。秋じゃけんね」
    「では最初に室内楽のことを話そう」「室内楽は指揮者が
    いないよね」「どうやって楽曲を揃えると思う?」
ピー  「そもそも指揮者っているの?」
パパ 「指揮者がいないと、演奏者が自分勝手な判断で演奏するから
    無茶苦茶になる」
ピー  「ほう、演奏者個人の感性が剥き出しになるんだ」
パパ 「そうじゃ、そこを指揮者がコントロールして、全体としての
    音楽性を引き出すんじゃよ」
ピー  「大変な役目だね」
パパ 「だから指揮者と楽団員が反目し合うこともある」
    「かつての小澤征爾とN響のようにね」

ピー  「そういやー昔、オケ弾きとソロ弾きの話をしてたよね」
パパ 「覚えていたかい、ピート君。オケ弾きは皆と仲良くやっていける
    タイプ、ソロ弾きは個性的で且つ芸術的センスの持主だ」
ピー  「ほと、少人数の室内楽は、ソロ弾きのタイプかな?」
    「個性的な人達が、どうやって楽曲を合わすんだろう?」

パパ 「ほほ、では実際に視て、聴いてみよう」
    「ゲバントハウス弦楽四重奏団の演奏で、モーツアルトの
    弦楽四重奏曲第19番 ’不協和音’ね」
ピー  「モーツアルトか~。どういう演奏形態になるのかな?」
パパ 「先ず出だしだけれど、画面21秒後に左の第一バイオリンの奏者が
    弓を静かに振り降ろす」
ピー  「指揮者のボーイングだね」
パパ 「これが出だしの合図で、それに従ってチェロが序奏を弾き始める」
    「これをアインザッツと言い、この動作を業界用語で
    'ザッツを出す'という」
ピー  「セーノ~とかサンシ~とは言わないんだ」
パパ 「そして、1分49秒後にフレーズが変わり、軽快なロココ風の
    メロディへと推移していく」
ピー  「細かい視かただなぁ」
パパ 「演奏者がお互いにアイコンタクトを取りながら、テンポを合わせて
    演奏している様子がよく分かる」「これが、アンサンブルの極意だ」
    「では、サロン風の演奏を視てみよう」



ピー  「ほっほう、お互いにチラチラと顔色を窺っちょるね」
パパ 「かつて演奏者に、室内楽の演奏感について聞いてみたんだ」
    「そうしたら、気を使うから室内楽は嫌だってさ」
    「オケの場合、指揮者の指図どおりにやっていればいいから、
    楽だって」  
ピー  「おやおや、聴くと演奏では、そんなに違うのか」
パパ 「それに、馴れない人が室内楽を演奏すると、譜面にばかり
    気をとられ、アンサンブルにならない」

ピー  「さっき言ったロココって何?」
パパ 「モーツアルトのように装飾音を多様した音楽の様式をいう」
    「彼の作曲年代は、ロココ全盛期が過ぎた頃かな」
    「ロココ様式は、1789年のフランス革命で消滅した」

ピー  「ということは、宮廷文化に起因する様式だね」
パパ 「そう、ロココは、建築や絵画の様式にも表れている」
    「ロココ様式は、その内装に特徴があって、白を基調とし、
    その周りを金色で囲むとかね」
    「神聖ローマ帝国の世紀末芸術とも言える」
ピー  「バロックより、一層成金趣味的になったんじゃないの?」
パパ 「そうだね。建築や内装は、権力や財力を誇示する象徴だからね」
ピー  「絶対王政の好きそうな様式だ」
パパ 「絵画の場合は、甘美で官能的な美を表現し、退廃的でもあるのが
    特徴だ」「特に、ワトーとかフラゴナールが有名で、中学の
    美術史にも出てくるよ」
ピー  「音楽や建築や絵画は、その時代を反映しているのかぁ」


(左はロココ様式の内装。 右はフラゴナールの有名なブランコをする
 女性を下から覗いている退廃的でちょっとHな絵)


パパ 「では、チャイコフスキーの'ロココの主題による変奏曲' を
    聴いてみよう」「ワシの好きな曲だ。ヨーヨーマの演奏だよ」



ピー  「はぁ~、第7変奏まであるのか~。秋を感じさすね~」
パパ 「ロマン派や古典だけでなく、バロックも聴いてみよう」
    「ワシの好きなバッハのブランデンブルグ協奏曲第5番だ」



ピー  「ほう、紅葉の銀杏並木を歩いているような気がする」
パパ 「それも、カントが歩くようなドイツの街角ね」
    「家で聴くなら、チョット気取って上下に開閉するダブルハング
     の窓から西洋庭園を眺めながら聴くのがいい」
ピー  「なるほど、掃き出しの縁先では雰囲気を感じないのね」
パパ 「そう、ピートが田んぼの畔を歩いていても似合わないのと同じだ」
    「では最後に、バッハのアリオーソを聴こう」
    「フランス映画、'恋するガリア' のテーマ曲だよん」



ピー  「曲の雰囲気から、そろそろ晩秋だねえ・・・」

2011年9月23日金曜日

ピートとパパの会話(その132 映像と音楽(3))



パパ 「今日も前回の続きだよん」
ピー  「この前は、ロックンロールとロカビリーの違いを話したね」
パパ 「そう、その続きだ」「今日は、リトル・リチャードの
    トゥッティ・フルッティ(Tutti-Frutti)という曲から始めよう」
    「当然ロックンロールじゃけんね」



ピー  「喧しいなぁ。前回の’のっぽのサリー’と同じじゃんか」
パパ 「エルビスがやると、こうなる ↓」



ピー  「これは~、ロカビリーだね」
パパ 「そう、ベースはスラッピング奏法だし、エルビスはヒーカップに
    マンブリング唱法っぽい。ヒルビリーの延長線上だ」
ピー  「ほほう、ロカビリーの三大特徴だね」
    「ところでトゥッティ・フルッティって、何?」
パパ 「果物の味がするガムらしいが、関係不明」
ピー  「ところでさ、二人とも歌の中で’ル・バッパ・ワッパッパ’、
    なんて意味不明な事を口走っているけど・・・」
    「これって、ドゥーワップ (doo-wop)?」
パパ 「ちゃう!」
    「正調ドゥーワップは、これだ ↓」



ピー  「ほえ? ムード歌謡じゃんか?」
パパ 「前川兄いのバックで、ああああ~♪うう~♪るるっる、る~♪
    とか歌っているコーラスが、ドゥーワップなんだよん」
ピー  「ほっ?」
パパ 「ドゥーワップは、1950年代のコーラスグループに取り入れられ、
    主旋律を歌うボーカルを盛り立てる役目をしたんだ」
    「この歌唱は、ゴスペルとジャズの融合でおわす」
ピー  「クールファイブとの関係は?」
パパ 「単にドゥーワップのコーラススタイルを取り入れただけさ」
    「他にマヒナスターズや東京ロマンチカもそうだよん」
ピー  「ドゥーワップは、米国発かぁ」
パパ 「アメリカでは、オンリー・ユーを歌ったプラターズが有名だよ」
ピー  「日本でも流行ったよ。おいらは’16トン’が好きだな」



パパ 「ざ~っと話してきたけど、POPSやロックを遡って行くと、
    ジャズを通過して西アフリカのイボ族の音頭と欧州の民謡に
    到達する」
ピー  「面白いね。二つの流れが米国で統一されてジャズやロカビリー
    になり、そして、再び分散して行くんだねぇ」
パパ 「アメリカ音楽の系統樹を探れば、ユーロアメリカンやアフロ
    アメリカン、更にはクレオール等の音楽が融合し、ジャズ、
    ROCK、POPS等へと発展して行った過程がよく分かる」
ピー  「アメリカならではの融合と分散だ」

パパ 「だけどねぇ、R&Bやジャズってーのは、白人に対する黒人の
    カウンター・カルチャーだなぁ」
ピー  「対抗文化って訳?」
パパ 「例えば、リトル・リチャードの’ノッポのサリー’は、
    パット・ブーンに真似されないようにと、非常な早口で
    怒鳴りまくるように歌う曲として作られたんだ」
ピー  「はは~ん、こういう曲でパットブーンのノリが悪いのは、
    そういう理由かぁ」
パパ 「そいうこと。じゃが、ヤンチャ坊主のプレスリーは違った」
ピー  「悲しいかな、彼らの持つ音楽的独創性を白人に搾取され
    たんだなぁ」
パパ 「だから、黒人の音楽を理解するには、合衆国の歴史を知らねば
    ならないのさ」
ピー  「それで、ジム・クロウ法がどうとか言うのかい?」
パパ 「音楽は人文科学だと言われるが、ことアメリカ発の音楽に
    関しては、社会科学としての認識も必要だ」
ピー  「どうして?」
パパ 「何故なら、アメリカ社会の矛盾が、ジャズを始めとする独自の
    音楽を発展させる原動力になったからさ」
    「そこに、認識すべきアメリカ音楽の本質がある」

ピー  「社会的矛盾がもたらしたアメリカ音楽の発展と融合ねぇ」
    「本質の論理的解釈は?」
パパ 「黒人音楽の発展過程とその融合は、弁証法的な解釈で、
    その本質を認識し得る」
    「対立と闘争、そして、矛盾の統一だ」
ピー  「対立と闘争ってのは、黒人と白人の関係だね」
    「矛盾の統一とは、融合を指すんだね」
    「 Rock'n Roll + Hillbilly = Rock-A-Billy ちゅーことか」

パパ 「しかしそれは、’新世界’というアメリカだからこそ、音楽の
    融合が起こり得た、という事実を見逃してはならない」
    「また、互いに影響を受けたのでは無く、文化の対立と闘争を経て、
    まったく新しいものが興ったと考えた方がいい」
ピー  「パパ特有の歴史観? 或いは唯物史観?」
パパ 「アメリカは、自由を求めた清教徒が一から作った国だ」
    「社会の形成期に、伝統的な思想や観念に縛られることがなかった
    から、異文化同士の融合が起こり得たと考えられる」
ピー  「自由の精神かぁ。だから、R&B,ジャズ,ロック系統は、ヨーロッパ
    では興らなかったのか」
    「新世界音楽と定義付ければ良いのかも知れないね」
パパ 「そして、西アフリカのイボ族の音頭が、アメリカでの文化的融合
    を経て、世界に影響を及ぼし、遂にはジュリアード音楽院で教え
    られるようにもなった」
ピー  「ほっほう! 壮大な航海だ~」
パパ 「ここに、アメリカ合衆国という国の精神があると思わないかい?」

2011年9月21日水曜日

ピートとパパの会話(その131 映像と音楽(2))



パパ 「今日は、チャールストンがとんでもないところに影響を
    及ぼしたという話から始めよう」
ピー  「どんな影響を何処に及ぼしたのかな?」
パパ 「まんず、この映像からね ↓」



ピー  「なんじゃこれは? ドリフのひげダンスじゃんか」
パパ 「このリズムの元は、テディ・ベンダーグラスのDo-Meという曲
    じゃが、問題は踊りのスタイルだ」
ピー  「ふざけて踊っているだけだろう?」
パパ 「彼らはエンターテイナーだ。何処かにネタはないかと、常に
    魚の目鷹の目で探しておーる」
    「しかもドリフは演奏家だ。音楽を辿って行くのが常套だよ」
ピー  「ふむふむ」
パパ 「そして、遂に彼らはネタを見つけたのじゃよ。それが下の画像だ」
   「手足の動かし方をよ~く見てみよう」



ピー  「リズムも踊りも、ひげダンスに似てはいるけどぉ?」
パパ 「これは、1920年代のチャールストンだ。この映像がドリフに影響を
    与えた」「リズムは、シンセサイザーで追加したものだけどね」
ピー  「う~ん、確かに手首を90度曲げて外に突き出す動きは似ているが」
    「だけど、一体どういう意味の動きなん?」
パパ 「チャールストンやリンディ・ホップは、西アフリカのイボ族の踊りが
    そのルーツらしいと言われている」
ピー  「その人達が、アメリカに連れてこられたのかぁ」
パパ 「彼らの踊りは、精霊と看做す動物の真似をするのが特徴で、しかも
    即興的だ」
ピー  「アフリカのシャーマニズムがルーツかぁ」
    「即興的というのも、ジャズのルーツらしいや」
パパ 「ワシは、この手足の動きから、鳥の雛の真似をしている映像だと
    思っている」
    「この映像が、一世を風靡したドリフのひげダンスに繋がったのじゃ」
ピー  「まことしやかに聞こえるけど、しかしこじ付けだな~」



ピー  「黒人音楽は、ダンスと密接に関係してるのかぁ」
パパ 「ジャズやR&Bも、元々ダンスミュージックだかんね」
パパ 「黒人のジャズは、大きく分けて二つの流れがあると考えているんだ」
    「一つは奴隷社会の困苦からの解放を願ったR&B系」
    「これは、今日のロックに繋がって行く」
ピー  「もう一丁は?」
パパ 「白人音楽の影響を受けて、R&Bから分派したスウィング系だ」
    「こちらはマイルドなPOPSへと変化して行く」
ピー  「は~ん、アメリカ発のPOPSは、黒人音楽がそのルーツなんだ」
パパ 「んだ。では、黒人発のロックンロールと、それを真似た白人
    の映像を見てみよう」
    「先ず、R&Bのリズム感を取り入れたロックンロールの祖、
    有名なリトル・リチャードのLong Tall Sallyだ」



ピー  「ノッポのサリーか。でもさ、観客が白人ばかりだね」
パパ 「気がついたかね、ピート君。そこが重要」
    「黒人の面白い演奏を観て、白人が楽しむ構図だ」
    「後ろ向きでピアノを弾いたりしたのは、その理由からだ」
ピー  「ちゅーことは、リトル・リチャードは、ロックンローラー系の
    ヴォードヴィリアンなんだね」
パパ 「そんとおり」
ピー  「黒人が、当時の米国社会で生きる道かぁ・・・」
パパ 「しゃーから、彼が正当に評価され出したのは、1964年に悪名高き
    南部のジム・クロウ法が廃止されてからだ」
ピー  「ジム・クロウ法?」
パパ 「有色人種に対する公共施設の利用制限法だ」
    「白人と同席出来ないとかね」「日本人もこの制限対象になったが、
    後に名誉白人扱いとされ、同席を許されたんだ。チーン」
ピー  「ジャズを知るには、アメリカ合衆国の法律史も知る必要が
    あるのかぁ・・・」
パパ 「で、ロックンロールは、次第に白人にも受け入れられるように
    なるんだ」「ここで、ノッポのサリーの白人版を聴こう」
    「当時の良い子ちゃん、パット・ブーンではなく、エルビスだ」
ピー  「パット・ブーンじゃ駄目なの?」
パパ 「こういうリズムは、良い子ちゃんでは駄目なんだよ」



ピー  「ほう、スゲィ迫力。ロックンロールはエルビスでないと
    駄目なのか~」
パパ 「エルビスの値打ちはそこにある」
    「それと、これはロックンロールではなく、ロカビリーだ」
ピー  「だって、リトル・リチャードのカヴァーだろ? ロックン
    ロールじゃんかー」
パパ 「ロックンロールを踏襲しつつも、演奏形態がちゃう」
    「それはね、エルビスが白人だということ」
ピー  「よくわーらんな~」
パパ 「ロカビリーは、黒人のロックンロールと白人のヒルビリーが
    融合したものだよん」
    「じゃけん英語で ’Rock-A-Billy’と書く」
ピー  「な~んか講義を受けているようだなぁ。ふ~」
パパ 「どちらも同じなんだが、当時、黒人が歌ったものをロックン
    ロール、白人が歌ったものはロカビリーと言った」
ピー  「なんじゃそれは~。これもジム・クロウ法の影響かい?」
    「要は、ややこしいことを抜きにして、聴きゃいいんだろう?」
パパ 「ジャズやロックンロールを理解するには、合衆国の歴史も
    知らねばならない」
    「ライナーノートの解説を読むだけでなく、自分で調べ、
    自分で考えなきゃ~ね」
ピー  「黒人音楽ってのは、そんなにしんどいものかい?」
パパ 「知るってのは、黒人音楽への理解も深まるし、歴史的、系統的
    に把握できる」
ピー  「音楽の範疇だけに留まらないんだ」


          (1920年代の典型的なフラッパーの女性)

パパ 「因みに某大学の国際政治学科では、合衆国の歴史を教える
    のに、ジャズの変遷や当時のファッションから入るんだ」
ピー  「ほんまかいな?」
パパ 「例えば、ローリングツウェンティーとかフラッパーとか
    ボブカット てーことも講義内容に入れてお~る」
ピー  「またどうして?」
パパ 「米国の民主主義を考える上で、必要且つ重要なことだからさ」
ピー  「ちょっと意味を説明してよ」
パパ 「ローリングツウェンティー(roaring twenties)とは、喧騒の
    20年代を指す。カンザスシティやシカゴ時代のことだ」
    「ジャズが猛烈に発展した時期でもあり、チャールストンも
    この時代だ。禁酒法とかアル・カポネが暗躍したのもこの頃」
ピー  「フラッパーとかボブカットは?」
パパ 「これは、当時の女性ファッションだ。ウーマンリブの精神にも
    繋がった開放的なファッションを指す」
    「ボブカットは、おかっぱにした女性のヘアースタイルだよ」
ピー  「どうしてそんなファッションが流行ったの?」
パパ 「それはね~、日本人は物真似だけど、合衆国にはそれなりの
    理由がある」「それは、またの機会に話そう」
    「本日はここまででやんす。続きは次回ね」

2011年9月19日月曜日

ピートとパパの会話(その130 映像と音楽(1))

ピー  「今日は、なんの話?」
パパ 「映像や音楽から何が読取れるか、という話をしよう」
ピー  「ややこしい話は否だからね」
パパ 「ここでは、人種固有の文化が融合し、新しい音楽を生み出して
    いった米国社会の背景と、その影響について考えてみよう」
ピー  「つまりは、その頃の映像や音楽の話かい?」
パパ 「まず、この映像から見てみよう」
    「ノーマン・グランツという人が、1944年に制作した
     JAMMIN' THE BLUESという題名の映画で、当時のジャムセッション
    を描いた作品だ」



ピー  「50年以上前の映画だね。この映像から何を読取るの?」
パパ 「色々ある。この映画が制作された1944年は、チャーリー・パーカー
    やディジー・ガレスビーによるビーバップが出現するほん直前だ」
    「まずは、そういうジャズ変革期の歴史を認識してと!」
ピー  「それで?」
パパ 「この短編映画の音楽は、Midnight Symphony、On the Sunny Side
    of the Street、Jammin' the Bluesの3部構成になっている」
ピー  「一粒で3度美味しい映画かぁ」
パパ 「ジャムセッションだから、Midnight SymphonyとJammin' the Blues
    では、ソロ演奏によるアドリブを披露している」
ピー  「なるほど、これがビーバップの基になる訳だね」
パパ 「また、Jammin' the Bluesは、演奏形態の中にニューオリンズジャズ
    やデキシーランドジャズの名残りを見て取れる」
ピー  「して、ニューオリンズとデキシーの違いは?」
パパ 「超々簡単に言うと、ニューオリンズジャズはアフロアメリカン(アフリ
    カ系米国人=黒人)の演奏で、デキシーランドジャズはユーロアメリカ
    ン(白人)の演奏を指す」
    「黒人対白人という米国社会の構図を映したものだ。当時は一緒に
    演奏するということが無かった」
ピー  「簡単すぎる説明だなぁ」
パパ 「中身は時代的にほぼ同じで、どちらもシンコペーションのリズムを
    強調した形態だ」
ピー  「ほと、ベースとラッパのおっさんのデキシー風カンカン帽は、白人の
    影響かな?」
パパ 「このジャムセッションは、若干楽器が異なるものの、管楽器は3管
    編成だし、リズムセクションを含め、ニューオリンズジャズの基本
    スタイルを踏襲したものと言える」
    「テナーサックスの一人は、有名なレスター・ヤングなんだ」
ピー  「ほう」
パパ 「それと、ソロの回しは、ルイ・アームストロングの演奏スタイルで、
    初期のアンサンブル主体のジャズよりも遥かに進化している」
ピー  「でも、管楽器がやけにうるさいな~」
パパ 「管楽器がうるさいのは、デキシーやニューオリンズの名残りなのさ」
    「だけど、曲風はビーバップになる直前のスウィング感溢れるものだ
    し、ジャズの革命前夜における緊迫した演奏が伝わってくる」
ピー  「うん? スウィングの衰退が始まるの?」
パパ 「秋吉敏子流に言えば、下に潜ったスウィング感になる」
パパ 「この映画は、ビーバップまでのジャズの歴史の集大成だね」
    「そこに、1944年制作というこの映画の意味合いがある。と思う」

ピー  「映像の続きだけど、珍しくギターが出てくるね」
パパ 「このジャムセッションで唯一の白人、バーニー・ケッセルだ」
ピー  「うん? どうして白人が混ざっているの?」
パパ 「それは~、音楽プロデューサーであるノーマン・グランツの好みだ」
    「彼は、ユダヤ商法の持主だから、人種なんてどうでもいいんだ」
ピー  「ほう、要は実力と利益の問題なんだなぁ」
パパ 「バーニー・ケッセルの作品は ’On Fire’が有名だ。ワシもCDを
    持っちょる」   

ピー  「2番目のOn the Sunny Side of the Streetはどうなのさ?」
パパ 「この曲のボーカルは、マリー・ブライアントだ。この人はダンサーの
    筈なんだが?」
    「それと、この時代にしては珍しくクラシック・ブルーススタイルで
    歌っている。これが何とも言えない良か雰囲気を醸し出している」
ピー  「クラシック・ブルース?」
パパ 「細かく説明すると大変だが、これは1930年頃の女性ボーカル
    スタイルで、単にジャズバンドをバックに歌う形式をいう」
    「これもノーマン・グランツの趣味かも知れないよ」
ピー  「わざわざクラシック・ブルースを映像化したのは、何か理由があり
    そうだなぁ」
パパ 「黒人社会の歴史的背景を知らねば、この雰囲気を理解するのは
    難しい」
ピー  「映像から色々なことが読取れるんだねぇ」
    「まるで時代考証だ」
パパ 「でさ、マリー・ブライアントのヘアースタイルに注目してみよう」
    「これは、サザエさんだ」
ピー  「長谷川町子は、マリー・ブライアントのヘアーを真似たのか知らん?」
    「ところで、Jammin' the Bluesに合わせて踊っているのは、この人?」
パパ 「そう、パートナーは、アーチー・サベージというダンサーだよん」
    「踊っているダンスは、リンディ・ホップだ」
ピー  「ダイナミックな踊りだねぇ」
パパ 「この映像をジルバだと言う人もいるが、まだまだチャールストンの
    ステップが残っており、これは明らかにリンディ・ホップだ」

ピー  「リンディ・ホップって、以前、話していなかった?」
パパ 「そう、これね

    「続きに元祖リンディ・ホップの映像を見てみよう」
    「世界でいっちゃん最初に公開された映像だ。↓」



    「ノーマン・グランツは、この映像を意識しながらJAMMIN' THE BLUES
    の映画を制作したと、ワシは思っているのよん」
ピー  「黒人男女が、無茶苦茶に動き回っている映像にしか見えないよ」
    「それより、最初のジャムセッションらしき演奏がいい」
パパ 「この後、リンディ・ホップは、白人によって次第にマイルドなダンス
    へと変化して行くんだ」
ピー  「チャールストンはどうなのよ?」
パパ 「下にチャールストンの映像を載せておくから参考にするといいよ」
    「これは、1920年頃のステップを再現したものだ」



    「んで、このチャールストンが、とんでもないものに影響を与えたんだ」
    「次回は、ワシの独断と偏見で、その影響について話そう」
ピー  「変な展開になりそうな予感がする。やだな」

2011年9月7日水曜日

ピートとパパの会話(その129 音楽と学習臨界期(後編(2))

ピー  「今日は、後編(2)の話だね」
パパ 「以前、会話の中でジャズの変遷について話したのを覚えて
    いるかい?」「先ず、それを思い出してみよう」 ↓
 
http://hiroigui.blogspot.com/2008/07/jazz_26.html

ピー  「あ~、マイルスか。思い出したばい」
パパ 「それでは、ヤンチャ坊主とお坊ちゃまの演奏の違いを聴い
    てみよう」
    「ヤンチャ坊主は、ビーバップの権化。お坊ちゃまの演奏は、
    荒々しさが無く大人しい演奏だ」

ヤンチャ坊主(チャーリー・パーカー ’KoKo')


お坊ちゃま(マイルス クールの誕生から 'Move')


パパ 「Moveは、ビーバップの形態は残しているものの、イントロ
    からスウィングに後戻りしたような印象を受ける」
    「特徴としては、演奏にアンサンブルの復活が聴き取れる」 
ピー  「これ以降、マイルスのクールジャズが主流になって行くの?」
パパ 「クールジャズは、ほんの一瞬の出来事だと思っている」
ピー  「うん?」
パパ 「クールの誕生は、ビーバップから決別したかったマイルスの
    宣言に過ぎないと、ワシは考えているのじゃよん」
    「だから、決別のインパクトはあったものの、マイルス自身は
    クールを少しやっただけだ」
ピー  「インパクト?」
パパ 「黒人の解放感とは別の雰囲気が出てきたからね」
    「それによって、白人にもジャズが広まって行くようになった」
    「後に開花するウェストコーストジャズがそれなんだ」
    「これは、マイルスの功績だね~」
ピー  「ふ~ん。それでビーバップから決別した理由は、パパの言う
     学習臨界期における’育ちの良さ’なのかい?」
パパ 「繰返すが、そのことを語ったのが ↑ の’ジャズ編その3’だ」
    「ここに、マイルスジャズの本質がある」
ピー  「色々と考えちょるんだねぇ」

パパ 「クールジャズが衰退して行った理由は、当時の米国社会の
    経済的理由にもあるのだが、長くなるから触れないね」
ピー  「ジャズ界が不況になった?」
パパ 「で、マイルスは考えた。もう一度ビーバップに戻り、そこに
    黒人の間で流行っていたR&Bやラテンのリズム感を取り
    入れ、ジャズの活性化を図ろう。 とね」
ピー  「そういうマイルスの発想自体、ジャズの商業化だよね~」
パパ 「R&Bでビーバップの荒々しさを抑制すれば、自分の感性
    とも矛盾しなくなる。 と、マイルスは考えた筈だ」
ピー  「本当か知らん?」

パパ 「ここからが、マイルスの真骨頂なんだよ~」
    「ほんで、ビーバップをより複雑化し、コード進行と共に
    スケール(音階)を重視したハードバップという演奏スタイル
    を作り上げた」
ピー  「それが皆さんよく言うハードバップかぁ」
パパ 「暫くはこのスタイルで行くが、ビーバップ同様コード進行の
    限界が存在していた」
ピー  「どういうこと?」
パパ 「コード分解によるアドリブの範囲に限界が見えてきたんだ」
    「限界があると言う事は、最終的に誰がやっても似たような
    演奏になるちゅーことだ」
ピー  「それは~、目立ちたがり屋のマイルスにとっては耐え難い
    ことだな~」
    「なら一層、スウィングに戻れば~」
パパ 「ここで、マイルスのハードバップの代表作を聴いてみよう」

マイルス (All of You)


ピー  「よう分からんが、ビーバップよりメロディが少し前へ出て
    きたような」
    「それに、ソロのアドリブがハチャメチャでなくなったなぁ」
    「でも、このハードバップも限界が来るんだって?」
パパ 「そこでマイルスは、更なる試行錯誤を繰返すことになる」
    「ジュリアード音楽院で学んだ経験も生きてくるんだよん」
ピー  「そーれから?」
パパ 「従来のコード進行を後ろに引っ込め、スケールに旋律を加味
    したモードを主体にすることで、よりアドリブの自由度を増す
    ことに成功した」
ピー  「偉い奴じゃの~、マイルスは」
パパ 「しか~し反面、ビーバップがもっていたジャズの開放的な
    躍動感が希薄になった」
    「それに、この自由を追求したアドリブの問題が、実は~、
    最後までマイルスを悩ますことになる」
ピー  「おいらは 'ふーん' としか言いようがないなぁ」
パパ 「では、ビーバップと決別し、クールジャズからハードバップを
    経て、より自由なモードジャズに辿り着いたマイルスの
    'Dr. Jackle' を聴いてみよう」「ソロのアドリブに注目!」

マイルス (Milestonesから 'Dr. Jackle' )


ピー  「なんじゃこりゃ! ビーバップに戻ったんじゃないの?」
パパ 「ビーバップは、アドリブに入ると元のメロディが分からない
    ような展開を見せる」
    「じゃが、モードジャズは、最初のメロディを基調とするから、
    アドリブに移っても、そこから派手に逸脱することはない」
ピー  「フレーズに連続性があるのかぁ」
    「モードちゅーのはそういうことか」
パパ 「それでは、モードジャズの代表作をもう一発」

マイルス (Kind of Blueから 'So What' )


パパ 「この演奏からマイルスの理知的で都会的なセンスが伺える」
    「これは、チャーリー・パーカーには無い育ちの良さだ」
ピー  「でも、音楽理論から分析的に聴いてみても、訳が分からん」
    「ビーバップもハードバップもモードも、皆同じに聴こえるよ~」
    「分かるのは、曲が違うということだけだよ」
パパ 「わしもよく分からん。実際は、自分で演奏しないと理解で
    けんよ」
ピー  「おいらは、聴いてみて判断することにしよう」

パパ 「ま、この時代は、ハードバップとモードジャズが複走混在
    しており、素人にはさっぱり判別がつかないちゅーのが
    現実だね」
ピー  「ややこしいのぉ」
パパ 「普通に聴いている分にはどうでもエエことだし、どうとか
    言っているのは、評論家がジャズの変遷を説明し易いように、
    音楽理論上のことをチョコッと言っているに過ぎない」
ピー  「ふ~、実際のところ、素人には皆同じジャズだということか」

パパ 「要するにジャズの革命的な変遷は、スウィングからビーバップ
    へ変わった一度だけで、後はビーバップの亜流に過ぎないと、
    ワシャ~考えちょんのよ」
ピー  「ほとジャズは、スウィングとモダンジャズという2分類だけで
    いいじゃん?」
パパ 「そうだけど、後編(2)で言いたいのは、学習臨界期での生活環境
    の違いが、ジャズの演奏形態に変化をもたらしたという点だ」
    「これにスウィング、ビーバップ、クール、ハードバップ、
    モードといったジャズの変遷を重ね合わせたのさ」
ピー  「するとだね、マイルスがお坊ちゃまでなければ、ジャズは
    ビーバップのままだったかも知れないと?」
パパ 「何れは変化したのだろうが、お坊ちゃまの出現によって、急激に
    変化して行ったということじゃわい」

ピー  「こじ付けじゃないのぉ~」
    「おいらが考えるに、モダンジャズの変遷ちゅーのは、自由を得る
    ためのアドリブが、その武器であるコード進行に、逆に縛られる
    という矛盾を次々と生んで行った結果だ」
パパ 「そう、それが最終的に、誰もが似たような演奏になるという
    コード進行の限界に繋がった」「更にはモードそのものも、演奏
    上の限界を持つようになった」
ピー  「だから次々と演奏理論を変えなくてはならない羽目に陥った?」
    「これは自己矛盾だな~」
    「結局ジャズは、アドリブの問題だ!」
パパ 「鋭いね~」
ピー  「会話をしていると、次第に理解が深まってくる」

パパ 「さてと、すっかり本題から逸脱したが、学習臨界期の生活環境は、
    その後の人生を決定付ける重要な要素になると考えられる」
    「特に、マイルスの幼少期の環境が、ジャズ界に様々な影響を与え
    たことは、特筆すべき点だね」
ピー  「ヤンチャ坊主は革命を起こすには必要だが、その後はきちんと
    教育を受けたお坊ちゃまの感性が必要だと言うことかな?」
パパ 「まあ~ねぇ・・・。これは人間の多様性だと考える方がエエ」

2011年9月4日日曜日

ピートとパパの会話(その128 音楽と学習臨界期(後編(1))


パパ 「それでは前回の続きをやろう。後編その(1)ざんす」
ピー  「学習臨界期の話だね。笈田敏夫がどうとか?」
パパ 「笈田敏夫は、何故ジャズを好きになったのか?
    ということから話していこう」
ピー  「でも、笈田敏夫って1925年生まれだろう?」
パパ 「2003年に亡くなったよ」
ピー  「そんな古い時代の人がジャズを?」
    「それと、どうして笈田敏夫に興味を持つの?」
パパ 「戦前は英語がご法度だったし、当時の日本人の感覚から
    しても、ジャズが好きになるなんて殆ど有り得ないことだった」
    「そいう中で、笈田はジャズをやった。だから興味がある」
ピー  「町内でABCなんて言ったら警察に捕まったんだろう?」
    「それなのに、またなんでジャズなんか?」
パパ 「昔、インタビューで彼が言っていたのは、’僕が潜水艦の
    通信士官をしていた頃、軍用無線機から米国のジャズが聴こ
    えて来た。こんな素晴らしい音楽を作る国とは、一体どんな
    国だろうと思った。それ以来、内緒で聴いていた’。と、さ」
ピー 「相手国と戦争をしているんだろう? 非国民じゃんかぁ」

パパ 「彼がジャズを素晴らしいと感じたのは、ピアニストであった
    父親の影響を受けたからだと思う」
    「彼の父親は、ベルリン国立音楽学校に留学していたんだ」
    「んで、笈田敏夫も4歳までベルリンで育った」
ピー  「ほう、総じて言えば、音楽に国境は無いということかぁ」
パパ 「彼が日本海軍に居たのは、二十歳の頃だったから、まあ多感
    な時期にジャズの洗礼を受けたことになる」
ピー  「ふ~む、学習臨界期の上限ギリギリの年齢だな~」
パパ 「笈田に関しては諸説あって、17歳頃にインチキレコードで
    一儲けしたとか、どうもはっきりしない部分もある」
ピー  「戦時中だからね~」
パパ 「では、笈田敏夫のジャズボーカルを聴いてみよう」
    「ジャズというより、ポップスなんだけどね」
    「女性ジャズシンガーの真梨邑ケイとのデュエットで
    ’久しぶりね’って曲だ」
ピー  「真梨邑ケイって、行動に少々難アリの人だろう?」
パパ 「それはどうでもいい」



ピー  「こういう曲を潜水艦の軍用無線機で聴いていたのかぁ」
パパ 「当時の日本は、威勢のよい軍歌一辺倒だったからねぇ」
    「そらもう魅かれるわさ」
    「ま、日本では’酋長の娘’が精一杯の頃だ」



ピー  「日本の旋律は、米国のジャズと趣きが異なるね~」
パパ 「国民性の違いが出ているんだろうね」
    「何たって戦意高揚にジャズを使ったんだから、米国は~」
ピー  「日本の歌は、何だか民謡仕立てにも聞こえるね」
パパ 「弥生時代から続く稲作文化の感性だ」
ピー  「米国は狩猟民族の感性?」
パパ 「皆さん欧米人を狩猟民族に例えるが、むしろ牧畜の方が
    盛んだ」「それに、イタリアの一部では稲作もしている」
ピー  「は~ん?」
パパ 「日本人も、その昔は狩猟をしていたのだから、有史以前の
    狩猟・稲作でのDNA的分類比較は当たらないかも」
    「換言すれば、音楽的感性の醸成は、もっと文明的・文化的な
    要素が強いのかも知れない」
ピー  「ってことは、音楽が独裁政権に利用される可能性も?」
パパ 「学習臨界期に、権力が望む単一の音楽的感性を刷り込まれ
    ると、 権力者を讃えるものばかりを量産することになる」
ピー  「それは駄目だ」
パパ 「芸術に必要なもの、それは自由の精神じゃ」
    「そのことについて、遠い昔に話した記憶がある」↓

http://hiroigui.blogspot.com/2008/06/blog-post_12.html

ピー  「だけど、パパの認識も怪しい。芸術はもっと素朴なもので、
    自然から受ける感覚的なものを表現していると考えるべきだよ」
パパ 「それは近代以前の話だねぇ」
    「さて、次は中本マリのジャズボーカルを聴こう」
    「彼女は思春期に音楽教育を受けたから、音程が極めて安定
    している」「続きに阿川泰子が歌っているが、気にしなくて
    いいよ」
    「埋め込みコードが無いからURLから聴いてね」↓ 

http://www.youtube.com/watch?v=DGv6uR6LZUQ&feature=related

ピー  「ほう、日本人とは思えないスウィング感だね~」
パパ 「そう、黒人歌手のように堂々と歌っている」
    「学習臨界期に正しい教育を受けると、何にでも応用可能な
    感受性が出来上がる」「秋吉敏子然り」
    「ま、中本マリの雰囲気は、肝っ玉母さんのようだがね」
ピー  「でもさ、外国の歌は歌詞が分からないしな~」
パパ 「そういう場合は、歌手から雰囲気を読取るしかないねぇ」
    「そこでだね、由緒正しい日本の感性を聴いてみよう」



ピー  「ほっほう、演歌の真骨頂が出ているねぇ」
パパ 「さてと、ここで演歌とポップスの根本的な違いを考えよう」
ピー  「違い? 同じ音楽じゃんか?」
パパ 「ほら、今回は学習臨界期の話だからね。そこから両者の
    違いを 考えてみようという訳さ」
ピー  「どうでもええ話に思えるがね~」

パパ 「日本人は、先ず青年期までに日本固有の文化的要素を
    社会や家族によって脳に刷り込まれる」
ピー  「それと演歌との関係は?」
パパ 「演歌歌手は、抜群に歌が上手い。どうしてだと思う?」
ピー  「そう言えば、ポップスの歌手は ?? な歌い方の人がいるね」
パパ 「演歌は、日本人の心の中の美意識を歌う」
    「だから、歌詞の内容表現に重点を置いている」
    「これは、日本文化における精神世界の表現だから、
    日本人に対して誤魔化しが効かない」
ピー  「ほう、演じる歌んだ。だから演歌というのかぁ」
    「ほと、演歌歌手の表情や仕草も重要になるね」
パパ 「外国育ちの人が、それを醸し出すことは難しい」

ピー  「侘び寂びの文化かぁ。日本人にしか分からない世界だね」
パパ 「そのため作曲者は、演歌歌手に徹底的な歌唱教育を行う。
    腹式呼吸から始まり、演歌の感情表現まで全てだ」
ピー  「マイフェアレディだね」
パパ 「これは、日本での学習臨界期における生活体験があって
    こそ 受容可能だと思われる」
ピー  「それで演歌歌手は歌が上手いのかぁ」
パパ 「心で歌い、心で聴くから、下手糞だと国民が納得しないよ」
ピー  「それに比べれば、日本のポップス歌手は自分流だねぇ」
パパ 「ある時、大工の棟梁が、洋間は徹底的に誤魔化せるが、
    日本間は誤魔化せない、と言っていた。それと同じだ」
ピー  「な~るほどぉ」

パパ 「さ~てさて、ここで学習臨界期に養われた生活体験が、
    最も顕著に現れた事例を見てみよう。と思ったが、益々
    話が長くなるので、次回の後編(2)で話そう」
ピー  「3部作かい。何時もながら話が長いのぉ~」

2011年8月23日火曜日

ピートとパパの会話(その127 音楽と学習臨界期(前編) )

パパ 「今日は、音楽と学習臨界期について話そう」
ピー  「臨界? 核分裂反応のことじゃないだろうね?」
パパ 「先ず、この曲から聴いてみよう」



ピー  「井上陽水の少年時代かぁ~」
パパ 「歌詞は意味不明な単語の羅列に過ぎないが、メロディが
    美しいので、歌詞もその中に自然と溶け込んで流れている」
    「これは、井上陽水の真骨頂だねぇ」
ピー  「ほほう、西洋のPOP SONGを聴いているようなものだね」
    「歌詞の意味よりも、リズムやメロディに心が動くんだ」
パパ 「ま、この歌は、陽水自身の少年時代の追憶を感覚的に
    綴ったものだ」

ピー  「それで~え、この歌と今回の話がどういう関係なのよん?」
    「そもそも表題の学習臨界期って何?」
パパ 「学習臨界期てーのは、主に心理学や言語学に出てくる用語で、
    行動パターンの形成期や言語習得期のことを指している」
ピー  「はん? 音楽とも関係ある?」
パパ 「当然音楽にも同様の学習臨界期がある」
ピー  「すると、音感教育なんかもそうだね」
パパ 「学者は、生まれてから凡そ思春期までの期間を学習臨界期と
    呼んでいる」
ピー  「それが、陽水の’少年時代’を持ち出した理由か~」
    「ほと、陽水の音楽的感性の源は、彼の少年時代にあると?」
パパ 「そうだと思う」
ピー  「三つ子の魂百までだね」
パパ 「んだ。むか~し、演奏家と話をしていたら、’何事も二十歳
    までに経験しておかないと駄目だなぁ~’なんて言っていた」
ピー  「歳をとると中々身につかないという事かな?」
パパ 「そうかもね。だから学習臨界期という考え方があるのさ」
    「この時期に無茶苦茶勉強すれば、脳の活性化方向が無茶苦茶
    勉強向きになると、ワシャー考えとるのよん」
ピー  「本当か知らん?」
パパ 「言語学では、この時期以降のことを臨界期仮説と呼んじょる」
    「新しい言語を身につけるのが難しいと考えられる時期に入るんだ」
ピー  「臨界期仮説? 学問ちゅーのは、内容より用語の方が難しいなぁ」

パパ 「そこでね、皆さん歳を重ねると、演歌に傾いて行く人が多いが、
    それが何故なのか? というのが表題の主旨だ」
ピー  「そういや~以前、そのようなことを言っていたね」
    「今回、そのことをおいらと話そうってのかい?」
    「ややこしいことを言っても、おいらには ? だからね」

パパ 「人間は、ピークを過ぎると幼少期から少年期にかけて経験した記憶
    に回帰して行くような気がしてならない。というのが話の始まり」
ピー  「幼少期から少年期の記憶とは、つまり学習臨界期のことだね」
パパ 「人間の学習臨界期は、大まかに見積もって二十歳頃までだと、
    ワシは 考えているんだ。そこが脳のピークだ」「それ以降は、記憶の
    蓄積を 取り崩して行くような発想になる。ま、記憶の応用だね」
ピー  「事実だとすれば、不思議な現象だ」


(ダリ作:記憶の固執  中学生の頃、この絵にどえらい衝撃を受けた)

パパ 「これは、原始時代の人間の耐用年数というか、当時の30年という
    平均寿命が影響していると考えているんだ」
    「未だその30年に脳が支配されている。というのがワシの見解だ」
ピー  「ほう、例のミトコンドリア・イブ以来、脳のDNAが20~30万年間も
    進化していないと考える訳?」
パパ 「何故だか進化のスピードが遅い気がする」
    「分子時計が止まっているようだ」「地球規模の自然変動も無いし、
    それが理由かも知れない」

ピー  「ほと、原始時代の脳から考えて、二十歳以上の人生は物事を吸収
    するのではなく、昔の記憶に頼って脳が対処しているに過ぎないと
    言うこと?」
パパ 「だから次第に物覚えが悪くなり、考え方は保守的になり、その後は
    昔のことばかり言い出す」「つまり、記憶への回帰現象が始まる」
    「というか、生理的に学習臨界期の記憶しか残らなくなる」 
ピー  「ほほう、ニーチェの文学,永劫回帰だね~。NHKでもやっちょった」
    「大体人間は長生きし過ぎだべ」
パパ 「そういう意味では、臨界期記憶への回帰は、終末期における脳の
    自己防衛作用かも知れない」「老化に対する生への執着だ」
ピー  「昔の記憶で現在の人生を置き換えようと?」
パパ 「多分ね。老いへの不安が、脳をそうさせるのだろう」
    「ってことは、潜在的に30年以上の人生が想定されていないんだな」
ピー  「脳は、耐用年数を過ぎると死への軟着陸を準備するんじゃない?」
パパ 「これはもうフロイトの世界だねぇ」
ピー  「脳とは不思議なものじゃの~」
パパ 「何故そうなるのかは、脳生理学の研究者に任すとして、先へ進もう」
ピー  「へい」

     
(左はフロイト. 右はムンクと有名な'叫び' 何故かフロイトとムンクが同一人物のような気がする)

パパ 「学習臨界期では、言語のみならず固有の風俗や伝統的な文化に
    よって、複合的に脳への刷り込みが行われる」
    「記憶への回帰現象を考える上で、ここが非常に重要な部分だ」
ピー  「刷り込み? ローレンツの実験だね」
パパ 「ほら、日本では’おふくろの味’とか言うじゃんか」
    「この学習臨界期に記憶されたことが、後に回帰現象として青年期
    以降の嗜好に現れてくる。と、ワシは考えちょるんよ」
ピー  「音楽で言えば、それが演歌であったりする訳なんだね」
パパ 「そうなんよ。しかし、よく見なければならないのは、生活環境に
    よって学習臨界期の経験が異なることだ。それが個性になる」
ピー  「う~ん、分からなくはないけど~?」
パパ 「例えばね~、笈田敏夫というジャズ歌手がいた。と、言うことから
    ぼちぼち後編に入って行こう」
    「本日は、ここまでですぅ」
                                        つづく

2011年8月13日土曜日

ピートとパパの会話(その126 ’雨乞い’)

ピー 「暑い・暑ーい・暑~い。蒸し暑い!」
パパ 「ムシがおるのよん」
    「では、音楽で雨乞いをしよう」
ピー  「そんなんで雨が降るの~? 中国ではミサイルを使って
    降らしているよ~」
パパ 「先ずは、Creedence Clearwater Revivalの’雨をみたかい’」



ピー  「相当古い曲だね」
パパ 「ほんじゃ、お馴染みのこの曲で雨を降らそう」


パパ 「次は、ジリオラ・チンクエッティの’雨’」


ピー  「白黒じゃんか。益々古くなって行く。降る雨も古臭いんじゃない?」
パパ 「これは、45年以上前の’雨’」


ピー  「まだ雨は降りませんね~」
パパ 「益々古くなって行く雨ざんす」
(雨に濡れても)

(シェルブールの雨傘)

(雨の訪問者)


ピー  「まだまだ降りませんね~、雨は」
パパ 「降るまで待とう’雨’ではないが・・・。そろそろ終って欲しい夏の日」
(さらば夏の日)


ピー  「結局降らなかったね。おいらにゃ~耐え難い夏の日差しだっぺ」
パパ 「天気予報は、どないなっちょる?」
ピー  「予報は、汗汗照り。音楽効果無し」

2011年8月8日月曜日

ピートとパパの会話(その125  '渚にて' 1959)


ピー  「表題の ’渚にて’ というのは?」
パパ 「1959年に映画化された小説で、核戦争後の世界を描いちょる」
    「原題は ’On The Beach’ で、映画ではグレゴリー・ペックが主演を
    している」
ピー  「なんじゃいな。おいらは海水浴の話かと思ったよ」
    「して、なんで ’渚にて’ を持出したん?」
パパ 「福島原発事故と、この映画が重なるからさ」
ピー  「ふ~ん、単なる戦争映画なんだろ?」
パパ 「今時の戦争アクション映画とは、趣きが全く異なる」
    「なんたってグレゴリー・ペック主演だからね」
ピー  「昔の映画は、ヒューマニズムがあると言っていたね」
パパ 「そう、これは、大人が観る映画だねぇ」
    「今のハリウッドに、このような映画を作れる監督がいるかなぁ?」
ピー  「具体的にはどういう内容なん?」
パパ 「核戦争後の放射能で人類が滅亡していくんじゃが、その過程での
    人間の葛藤と男女の悲哀を描いている」
ピー  「ほう、正に福島原発事故だ」
パパ 「この映画を観たのは、小学生の頃じゃった」
    「内容は殆ど理解出来なかったが、映像が記憶として残っておった
    のじゃよ。それで思い出した」
ピー  「おいら、そんな昔のことは憶えちゃいないねぇ」
パパ 「おや? ’カサブランカ’のセリフかい?」
ピー  「おいら、ハンフリー・ボガードじゃけんね。イヒヒ」
パパ 「ほんじゃ、この映画の最初と最後をチョコッと観てみよう」
    「俳優の表情と情景描写だけで、この映画の意図するところを
    感じられれば、あなたは素晴らしい」

http://www.youtube.com/watch?v=bfP1FCJTlo0

ピー  「全編に流れるワルチング・マチルダが印象的だね」
パパ 「エンディングに出てくる’THERE IS STILL TIME..BROTHER’という
    垂れ幕も印象的だ」
ピー  「’兄弟よ、まだ時間はある’ かぁ・・・」
    「福島原発事故と絡めると、誠に意味ありげなエンディングだねぇ」
パパ 「そう、こうなる前に手を打ちなさいよ、という風にも映る」
ピー  「はぁぁ・・・・・、人間はとんでもない動物じゃの~」
    「神は、何故人間を創り給うたのかのぉ~, アーメン」

2011年6月24日金曜日

ピートとパパの会話(その124 Roll Over Beethoven)


(Photo by Kentucky Educational Television)

ピー  「前回、Roll Over Beethovenがどうとか言っていたね」
パパ 「鬱陶しく蒸し暑い梅雨をブッ飛ばそうってのが、今回の趣旨じゃ」
ピー  「それが、Roll Over Beethovenかい?」
    「して、ベートーヴェンとどういう関係?」
パパ 「Roll Over Beethovenとはだね~、直訳をコネクリ々倒すと、
    ベートーヴェンなんかブッ飛ばせ、ちゅーことでござろーな」
ピー  「・・?、 意味不明でやんすな」
パパ 「とにかくRoll Overなんじゃよ」
ピー  「再び意味不明でござる」
パパ 「Roll Over Beethovenは、チャック・ベリーの楽曲で、1956年に
    発表されたロックン・ロールだよん」
ピー  「あ~ぁ、ロックでも聴いて梅雨の鬱陶しさをブッ飛ばそうと?」
パパ 「さいでござる」
ピー  「でもさ、何故ベートーヴェンなん? 再度しつも~ん!」
パパ 「あのね、えーと、米国は1955年~56年にかけて、キング牧師
    率いる公民権運動が高まりをみせ、特にローザ・パークス事件
    を切っ掛けに、黒人の人権闘争が過激になってきた時期
    じゃった。ということから話していこう」
ピー  「ローザ・パークス事件?」
パパ 「興味があるなら調べてみるといいよ。この事件の最高裁判決が
    注目を受け、その後の公民権運動に大きな影響を与えた」
ピー 「ほんでベートーヴェンは?」
パパ 「ベートーヴェンは、古典派の象徴だ。音楽界の超体制的存在ね」
ピー  「は~ん、つまり、ベートーヴェンをブッ飛ばすということは、
    黒人を支配している体制をブッ飛ばすということかぁ」
パパ 「んだ。誰も言わないが、チャック・ベリーは公民権運動に
    ベートーヴェンを引っ掛けたんだ、と、パパは思っている」
ピー  「ほっほう~、パパの米国史観?」
パパ 「じゃがの、チャク・ベリーは少々ベートヴェンを誤解している
    というか、勉強不足だ。音楽的にもフランス革命の影響を受け
    ていたことを見逃している」
ピー  「ややこしい話になってきたばい。ほんで?」
パパ 「チャック・ベリーは歌詞の中で、ベートヴェンあかん、R&B最高、
    ブルース最高と言っておーる」「R&Bもブルースも黒人音楽だ」
ピー  「ほと、ベートーヴェン=白人の支配体制 対 R&B,ブルース=黒人
    という構図かい?」
パパ 「そうだ。これは黒人の隠された革命歌なんじゃよ」
ピー  「ふ~む、深読みし過ぎじゃのぉ~・・・」
パパ 「では、チャック・ベリーの元祖Roll Over Beethovenを聴こう」
    「おっと、途中でチャック・ベリーがダックウォークを始めるから
    よく見てみよう」
ピー  「ダックウォーク?」
パパ 「ギターを弾きながら腰を落とし、片足を伸ばしてピョンコ
    ピョンコと歩くんだ」

http://www.youtube.com/watch?v=gsp4VCbVvn4&feature=related

ピー  「ほう、これがダックウォークか」
パパ 「ワシもやってみたが、どえらい脚力が必要だ」「2,3歩で進めなく
    なる」
ピー  「え~っ! 実際にやってみた~。アホちゃう」
パパ 「何事も経験だ」
    「まあしかし、この芸風は宮川左近ショーと同じだな」
ピー  「ほえ? マイドオ~ で始まるあれかい?」



パパ 「ほんじゃー、宮川左近ショーを見てみよう」
    「松島一夫のギター回しは、チャック・ベリーと同じじゃけんね」

http://www.youtube.com/watch?v=SXVUlQ1tygc&feature=related

ピー  「宮川左近ショーと同列に論ずるのは、チャック・ベリーが
    可愛そうだよ」
パパ 「同じエンターテナーじゃんか。何の違いがあろうか、ピート君」
ピー  「おいらとは、意見の相違があるでござるな」
パパ 「で、Roll Over Beethovenをカヴァーしたのがビートルズだ。
    それでは辛抱して下手糞なカブト虫という楽隊屋を聴こう」

http://www.youtube.com/watch?v=tE6Vwn5H09c&feature=related

ピー  「おいらはこちらの方がいいや」




パパ 「時代は進み、60年代後半からシンセサイザーを使ったグループが
    出現してくる」「ELOというグループが、Roll Over Beethovenの
    カヴァーをやったんだ。聴いてみるかい?」
ピー  「ん? シンセサイザー? YMOじゃないの?」
パパ 「ちゃう。YMOは、ELOのコピー版のようなもので規模も小さい」
    「ELOはElectric Light Orchestraというんだが、ビートルズより
    ずっと現代的で洗練されている」
ピー  「ほほう」
パパ 「さて、ELOのRoll Over Beethovenは、文字どおりベートーヴェンの
    第五を前奏にもってきて、しかもストリングスを使っている」
    「ま、エレクトリック・チェロなんだけどね」「ではいってみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=HgcKhqlFz4Q&feature=related

ピー  「はぁ、オーケストラに近い演奏形態だね。随所に第五の変奏が出て
    くる。寺内タケシもエレキでやっていたんじゃない?」
パパ 「お寺内氏の演奏に比べると、ELOは癖が無く旋律が滑らかだよ」
    「これは、ストリングスの効果だね」
ピー  「違和感なく第五とチャック・ベリーが融合しているね」
パパ 「しかし、これはロックン・ロールだ。小太鼓は由緒正しい
    伝統のリズムを刻んでいるし、鍵盤はブギ調でウキウキする」
ピー  「由緒正しいロックン・ロールね~」
パパ 「そうだよん。以前、アルバート・リーの話をしたろう。あれだ」
ピー  「そうか、小太鼓があの時と同じリズムを刻んでいるね」
パパ 「ロックン・ロールは、ブギウギ、R&B、ゴスペルといった
    黒人音楽を基調としているから、音楽の中にそれらの痕跡を
    見出すことができる」
ピー  「ほう、ただ浮かれているだけの若者音楽だと思っていた」
パパ 「60年代後半を境に、ロックン・ロールはエレクトリックサウンド
    へと進化して行くんだ」
ピー  「シンセサイザーとか、コンプとかリミッターとかだろう?」
パパ 「それは代表的なものだけだ。他方、幻想的なサウンドで演奏する
    サイケデリック・ロックなんちゅーのも、この頃に出てくる」
ピー  「サイケデリック?」
パパ 「LSDでラリってる時に見える幻想的な色彩感のことをいう」
ピー  「なんじゃそれは、おいらの守備範囲を越えている」
パパ 「これ以降、ロックン・ロールは単にロックと呼ばれるようになる」
    「うんじゃ手始めに、ワウを使ったエレクトリックギターを聴こう」
    「シカゴの午前4時25、6分前という曲だ。日本では'長い夜'
    という曲名だよん」
ピー  「午前4時25、6分前というと、午前3時35分頃だね?」
パパ 「そう、その時間に作曲したらしい」
ピー  「粋な曲名だ」

http://www.youtube.com/watch?v=WLiuMkGCOC4

ピー  「ワウちゅーのは、ギター音をワウワウと震わす装置のことだな」
パパ 「Yes. この音が堪らんのじゃよ~」
ピー  「あたま大丈夫かい?」
パパ 「続いてサイケデリック・ロックのバニラ・ファッジを聴こうと
    思うんじゃが、長くなるから止めとこう」
ピー  「ところで、どうしてロックが好きなの?」
パパ 「好きじゃなくて、違和感を感じないだけだよ」
    「ただね、皆さん歳を重ねると、カラオケで演歌ばかり歌うように
     なるのは何故だろうと考えるね」
ピー 「若い頃は、ロックも聴いていたのか知らん?」
パパ 「次回は、その辺りを考察してみよう」
ピー  「しかし、ロックは民謡のように一本調子だから疲れるばい」
パパ 「じゃ、最後にドイツ ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏で、
    モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番を聴き、精神を癒そう」

http://www.youtube.com/watch?v=6Zcy-zs9jmw&NR=1&feature=fvwp

2011年6月20日月曜日

ピートとパパの会話(その123  トロイカの崩壊)



ピー  「梅雨で空も鬱陶しいし、政治も鬱陶しいね」
    「小沢どんも梅雨空のように元気がないしぃ」
    「でも何故だろう?」
パパ 「そら、世間の目が厳しくなり、お金が思うように
    集まらなくなったからだよん」
    「じゃけん、分け前を貰えない子分達が騒いどる」
ピー  「内閣不信任案の件で、小沢どんの身内が分裂状態なのは、
    それで?」
パパ 「以前なら、こんなのお金を配って解決していたさ」
    「ばってん、今の小沢どんは軍資金に乏しい」
ピー  「ん? てことは、全てお金の問題か~」
パパ 「古い体質の政治グループは、お金が無くなれば霧散する」
    「お金が出来れば、またそれに結集する」
ピー  「なんじゃそれ? 砂糖に群がる蟻じゃんか」
パパ 「鳩やんがグループの長であり続けられるのは、お母ちゃんの
    お金を配っているからだよ~ん」
    「両者とも、根本的には角栄政治の亜流だな~」
ピー  「ちと言い過ぎじゃないの?」
パパ 「世界は、日本の政治をその程度にしか視ちょらんよ」

ピー  「一人元気なのは、都知事だね」
パパ 「彼は、政府を頼らないからねぇ」「だから何事も即座に実行
    できるし、後から政府が着いて来ている」
ピー  「政府がやらないなら、東京都がやるちゅーことか」
パパ 「それと彼は、経済が解るからね。この強みは大きい」
ピー  「は~ん、経済が解るちゅーことは、社会を豊かにする政策に
    長けているということだね」
    「これは、パパが言っている社会保障の原理か知らん」
パパ 「んだ、あの人のリーダーシップの根本は、二本の柱から
    成立っている」
ピー  「政府を頼らない。経済が解る。この二つだね?」
パパ 「そうだ、そこに自治行政の真髄を見ることができる」
    「大阪のまる子知事も同じだ」
ピー  「はは、ちびまる子そっくりの髪型だね。顔の輪郭もよく似ちょる」
    「愛知の自治体は?」
パパ 「愛知の例の二人だね。彼らは今以上に伸びないね~」
    「何故なら、選挙後に二人揃って小沢どんに挨拶に行ったろう」
    「それが失敗だったのさ」
ピー  「どうして?」
パパ 「小沢どんは金権政治の権化だ。そこへ挨拶に行ったものだから、
    選挙民は一蓮托生と看做してしまったのさ」
ピー 「ほう、だから名古屋市以外の選挙で振るわなかったのかぁ~」
パパ 「二人とも当てが外れたろうな。民意がわかっちょらんよ」

ピー  「して、イラ菅は?」
パパ 「あれにやらしてみたんだが、国政が無茶苦茶になったというのが
    実情だね。単に思いつきでやってるんだから」
    「彼は、政策立案の政治プロセスや民主的な手続きを無視している
    に等しい」
ピー  「勝手にあちこちへ口出しするんだな。三権分立も何もないね」
    「それを政治主導と勘違いしているのかぁ」
パパ 「その点小沢どんは政治のプロだね」
    「内閣法制局の国会答弁禁止や議員立法の制限など、目立たない
    ように立法府を上手く追込んで行った。流石だよ」
ピー  「それに比べると、イラ菅は生徒会のようなものだね。はは」
パパ 「それとイラ菅は、外国人献金問題も無視している。明らかに
    法律違反だよ。日本国憲法にも抵触するんじゃないかい」
ピー  「なるほど~、だから自民党は、イラ菅が辞めれば大連立も有り
    得る、と言っているんだね」
    「民主党内からも、居座りに批判が続出しているね~」
パパ 「ま、民主党もとんでもない奴を選んじゃった、というのが
    本音だろうな。ワシもそうじゃがな」
    「とにかく、閣僚連がイラ菅に辞任要求をしているんだからね」
ピー  「ほと、与野党の見解は、危なっかしいイラ菅には国政を
    任せて置けないということか。でも後継は?」
パパ 「もし大連立をするなら、後釜はそれまでの繋ぎでしかない」
    「適当に決めればエエさ」
ピー  「そんなことで国政が維持できるの?」
パパ 「平成に入ってから首相が15人も変わっちょる」
    「一人平均1年半だよ。どうとでもなるさ」

ピー  「国家予算における財源の問題は?」
パパ 「自民党が言うように4Kを止めればいいよ」
    「そして、それを震災の復興財源に充てればええ」
ピー  「でもガキ手当は?」
パパ 「そら、ガキ手当は無いよりもあった方がエエ」
ピー  「そうだろう~」
パパ 「じゃが~、言っておくがさ、パパ達の時代にはガキ手当なんか
    無かったぞ」「教科書代や給食代も有料だった」
    「それでも大多数の親は子育てをしてきたんだ」
ピー  「でもさ、民主党や福島おばはんは、子供は社会で育てるもの
    と言ってるじゃんか」
パパ 「何をぬか味噌ほうれん草。昔からちゃんと社会で育ててきたわい!」
    「例えば、扶養手当であるとか諸々の控除が税制面でなされてきた」
    「その手当や控除相当分を、社会の皆で負担してきたということだよ」
ピー  「あ~、それでガキ手当を出す代わりに、今までの手当や控除を
    減らす訳かぁ」
パパ 「そうだよん。財政予算ちゅーのは天秤のようなもので、何かが
    増えれば何かを減らして平衡を保たねばならない」
ピー  「なんで~?」
パパ 「何故なら、国家予算は前年より減らないし、限られた総額の中で
    収支のバランスを取るからさ。それに伴い税金や手当も増減する」
ピー  「ほと、今更ながら、子供は社会で育てるものと言い出したのは、
    辻褄あわせと票集めの方便かい?」
パパ 「そうじゃ。今回の震災でも4Kを維持しようとするから、増税論
    が出てくる」「4Kを無くせば増税しなくて済むかもね」

ピー  「高校無償化は?」
パパ 「中卒で働いている少年少女が、同世代の高校生の授業料を
    負担させ られることに矛盾を感じるね~」「無償にするなら、
    勤労少年少女の税金も、全額無税にすべきだと思わないかい?」
ピー  「確かに不公平だねぇ。やはり単なるバラ撒きか」
パパ 「あくまで4Kに拘るなら、復興財源も何もかも、結局のところ
    小沢どん問題に帰する」
ピー  「民主党の諸問題の根源は、小沢どんか~」
パパ 「小沢どん、鳩やん、イラ菅、このトロイカはどえらい迷惑だ」
    「次回は、パっと明るくRoll Over Beethovenで行こうや」

2011年5月28日土曜日

ピートとパパの会話(その122  この国のかたち)


パパ 「久しぶりに政治の話をしよう」
ピー  「ま~た、小沢どんかい?」
パパ 「それもあるが、原発対応についてね」
ピー  「政府の言う事がコロコロ変わるし、どないなん?」
パパ 「政府発表は、大本営発表だから具合の悪い事は全て隠す」
ピー  「国民は何を信じればエエの?」
パパ 「自分で判断するしかないね」
ピー  「それは無理だよ。状況が分からないからね」
パパ 「その状況や情報を隠すんだから、自分で判断するしか
    ないのさ。常に最悪の状況を考えておく必要がある」
ピー  「政府や東電は、想定外とか言うじゃんか」
パパ 「想定外と言うのは、政治や経営の逃げだね」
    「東電の技術者達は、冷却電源喪失時からメルトダウンが
    分かっていた筈だよ。それが技術的立場だ」
    「この辺りの事情は、時系列に沿って論理的に考えれば分かるよ」
ピー  「じゃ何故それを発表しなかったの? 政治はそれを基に対応
    しなければならないのとちゃう?」
パパ 「問題は、イラ菅が’俺は原発に物凄く詳しいんだ’と言った
    ことだね」
ピー  「それが問題?」
パパ 「一国の首相がそういう発言をすると、周囲は何も言えなくなる」
    「だから、真実が隠されてしまうのさ」
ピー  「う~ん、東電の経営陣が待ちの姿勢になったのも、そのためかぁ」
パパ 「そういう事。しかも、何もかもを官邸が指示しようとするから、
    官僚も東電も個別の対策委員会も、ただ指示を待つだけになる」
ピー  「はぁ~?・・・」
    「それって、宮崎の口蹄疫で失敗したことじゃんか~」
パパ 「民主党の面々は、それを未だに政治主導と勘違いしているのさ」
    「これでは一党独裁のアホな社会主義国だ」
ピー  「だから行動が遅いのか~」「官邸の顔色を窺ってからでないと、
    誰も行動できないんだねぇ」
パパ 「ここに日本の民主主義の欠点がある」「お上が言い出すと、
    逆らえない雰囲気になるんだ」「会社でも同様なことが起こる」
ピー  「どうしてそうなるのよん?」
パパ 「パパが考えるに、中国から持込まれた律令制に則り、
    政(まつりごと)を司る一家族、及び、それをサポートする
    数人のグループによって、民衆が支配・教育されてきたから
    だろうね」「このシステムは実に見事だ」
ピー  「古代から続く問題か~」
    「そこに、日本のガラパゴス政治の根本がある?」
パパ 「そう、この支配体制の根本原理は今も同じだ」
    「変わったのは、封建領主から東大を頂点とする支配体制に
    なったことくらいだね」
    「それと、誰も責任を取らなくて済む体制にしたことだ」
ピー  「それで同じ過ちを繰返すことになるのか」
   「反省しなくてよい政治システムなんだね」
パパ 「そうだ、科学的合理性よりも、支配者の意思を優先する」
    「まぁ、近代民主主義の精神からすれば、すこぶる野蛮だ」
    「この辺りの事情は、司馬遼太郎の著作’この国のかたち’を
    読めば、何となく理解し得る」
ピー  「権力の意思の前では、民衆の意見は無視されるのかぁ」
    「だから、民衆の命を軽んずるのだね。20ミリシーベルトとか」
パパ 「んだ、じゃから都合の悪い事には’想定外’という言葉も
    使う」
ピー  「原発の問題でも、科学や技術に政治権力が介入するから、
    ややこしくなるのかぁ」
パパ 「はは、まぁそうだね」「因みに、最初にメルトダウンを言った
    官僚は、政治によって即更迭された」
    「これは、イラ菅が’メルトダウンは起きない’と断言した
    からだ」
ピー  「だが実際には起きていた」
パパ 「これを政治の世界では想定外という」
    「悪いがこの人はリーダーの資質に乏しい」
    「ただリーダーの真似をしているだけだ。だから思い付き発言を
    連発する」
ピー  「なるほど」「ほと、自分の周りに委員を一杯置くのも脆弱な
    資質を補うためだね。他力本願だ」
    「では、現実的な政治主導とは?」
パパ 「方針を示し、それに沿って官僚を動かすことだよん」
    「そのために官僚の存在がある」
    「そして、細かな指示は現場に任せればいい」
    「後は政治が責任を持つと言えば、安心して仕事ができる」 
ピー  「ほと、イラ菅の発言は’アホでした’となるね」
    「ところで、震災の復興費用をどうするのさ?」
パパ 「ガキ手当や高校無償化という4K財源を当てればいい」
ピー  「でもそう出来ないんだろう?」
パパ 「高速道路無料化やガソリン税補填等は止めるらしいが」
ピー  「何故だろう? 同じ民主党の公約じゃない?」
パパ 「これらは元々あるものだからさ」
    「経済がそれを軸に回っている」
ピー  「あぁ、そういう事か」
パパ 「でも新たに創設したバラマキは止められないとくる」
    「何故なら票に直接結び付いているからね」
ピー 「この辺は、民主党内でも賛否両論があるようだね」
パパ 「小沢どんグループが、ガキ手当とかの撤廃に猛反対して
    いるからね」「ここでも支配者が言い出したことだから、
    止められない」
ピー  「サンデル教授の’正義’が機能しないんだ。ほほ」
    「もし小沢どんが、撤廃OKと言えば財源問題は解決する?」
パパ 「結局のところ、根本的には全てが小沢どん問題だという
    事さ~ね」
    「この人が居なければ、事はスムーズに運ぶさ」
ピー  「党員資格停止なのに、親分のように振舞っているね」
    「これが、’この国のかたち’かぁ」

2011年5月4日水曜日

ピートとパパの会話(その121 Spain & Fifty's)



パパ 「さ~てと、今日は前回話題にした’スペイン’という曲の続編と
    Fifty'sについて話そう}
ピー  「フィフティーズって?」
パパ 「音楽で言えば、米国の50年代を代表するポップ・ミュージックの
    ことを指す」
ピー  「さよか」
パパ 「ほんでもって、前回のスペインという曲は、チック・コリアという
    米国人ジャズ演奏家による作曲なのじゃよん」
ピー  「うん? メリケン人がスペインとはこれ如何に?」
    「大まかなメリケン文化にスペインの郷愁を醸し出せるとは思えぬが」
パパ 「実は、スペインの作曲家ロドリーゴのアランフェス協奏曲の
    第二楽章をイントロに使ったのだよん」
ピー  「なんだ、パクリじゃんか」「文化の違いから考えて変だと思ったい」
パパ 「じゃがの、イントロ以降はその流れに乗り、勢いで作曲したと思わ
    れるが、なかなか上手く雰囲気を出しておるよ」
    「ほな、チック・コリアの演奏と、その原曲であるアランフェス協奏曲
    の第二楽章をチョコッと聴いてみよう」

チック・コリア
http://www.youtube.com/watch?v=8Q52r7xMd3U&feature=related

アランフェス協奏曲 第二楽章
http://www.youtube.com/watch?v=GS48Uwo4NzA

ピー  「チャルメラが鳴ってるじゃん」
パパ 「ちゃう、あれはイングリッシュホルンだ」「オーボエと同じダブル
    リードの木管楽器だよ」
ピー  「あの音を聴くと、おいらはお腹が空いてくる」
パパ 「ドヴォルザークの新世界もイングリッシュホルンのソロパートがある」
ピー  「お~、第二楽章の'家路’だね」
パパ 「カラヤン率いるウィーンフィルで聴いてみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=aYl4Xb4cDQ8&feature=related

ピー  「チャルメラは音がよく通るね~」
パパ 「イングリッシュホルンっ!」「この種の楽器は音がよく通るし、特に
    オーボエは音程調整が難しいから、楽団では440ヘルツの基準音程を
    この楽器に合わすようにしていた。昔はね」
ピー  「ふ~、クラッシックばかりでは肩が凝るでござるよ」
パパ 「んじゃ、チック・コリアのチョイ前に流行ったロックといこう」
    「言わずと知れた1969年の全米第一位、ローリング・ストーンズの
    ホンキー・トンク・ウィメンだ」

http://www.youtube.com/watch?v=8142QzZXO28&feature=fvst

ピー  「なんじゃあ?、この下手糞な楽隊屋は~」
    「歌の兄ちゃんは、音程が滅茶苦茶だし~」
パパ 「これはミック・ジャガー様だ。ま、顔はネアンデルタール人の
    生き残りのようだがね」
ピー 「それにさ、この時代の若者は皆ガリガリだね」
パパ 「脂っこいファーストフードが流行る前だから、皆ガリレオ・ガリレー
    の体格をしておる」
    「では、少し上手くなったストーンズを聴いてみようか」
    「大きなGAL風船が、アバンギャルド的な舞台芸術の様相を
    見せている」

http://www.youtube.com/watch?v=3-hMQWqVVzw&feature=related

ピー  「中国は、この公演を拒否したそうだね」
パパ 「社会風紀が乱れると思っているのだろうね」「50,60年代の日本も
    そうだった」「次は、同じ1969年にヒットしたショッキング・ブルー
    のビーナスを聴こう」
ピー  「いろいろ出てくるねぇ」
パパ 「ヴォーカルのマリスカ・ヴェレスはオランダ国籍らしいが、家系は
    ハンガリーのロマ出身だと言われている」
ピー  「ロマ?」
パパ 「ロマは国を持たず、東欧からスペインにかけて移動を繰り返す
    ジプシーのような人々だよ」「手作りの鍋釜を売ったり、路地演奏
    で生計をたてたりしている」

http://www.youtube.com/watch?v=auoArgmzqN4

ピー  「少しエキゾチックな感じがするね」
パパ 「次も同じ曲だ」

http://www.youtube.com/watch?v=WTb1LYaFV8I&feature=related

ピー  「ギョエ! これ同じ人なの?」
パパ 「そう37年後のマリスカだ」「昔の5倍は肥えている」
    「さあ、日本人がこのヴィーナスをやると、こんな感じになる」

http://www.youtube.com/watch?v=qg5E7aHT2HI&feature=related

ピー  「おやまぁ、田舎の都会趣味のようだ」
    「でもさ、マイクが上の写真と同じジャン」
パパ 「気が着いてくれはりましたか、ピーやん」
    「この画像は六本木ケントスでのライブだが、ケントスでは
    50年代を醸し出すため、このマイクを使っちょーる」
ピー  「マイクもファッションか」
    「Fifty's の象徴のようなマイクだね」
パパ 「このマイクは、通称エルビス・マイクと言い、業界ではガイコツ
    とも呼んじょるのよ」
ピー  「なんでそんなマイクが家にあるのよん?」
パパ 「これも趣味の一つじゃけんね」「ほ~れでは、祇園にある
    京都ケントスのプロモーションビデオを見てみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=HTXJ0T35d4A&feature=related

ピー  「ほほう、ここでもエルビス・マイクが出てくるねぇ」
    「どれも上の写真と同じものだ」
パパ 「もう一発やってみよう」
    「こちらはベートーヴェン作曲じゃけんね」
    「観客の赤シャツのお姐やんがイカしたツイストを踊り出すから
    よ~く見てみよう」
ピー  「なぬ? ベートヴェン? お姐やんのツイスト?」

http://www.youtube.com/watch?v=p02k5CO_YxE&feature=related

ピー  「なんじゃこれわぁ、’エリーゼのために’やんか~」
    「でもこのライブの雰囲気、マイクが効いちょるねぇ」
パパ 「マイクは、只の収音器じゃないと分かってくれはりましたか」
ピー  「でもさ、なんで赤シャツのお姐やんのツイストがイカして
    るのさ?」
パパ 「ふふ、どう見えるかはセンスの問題だ」
ピー  「しかし、こういう音楽は疲れるなぁ」
パパ 「疲れた気分は、エロール・ガーナーが作曲したミスティで
    癒そう」「74歳になるビージー・アデールの演奏だよん」

http://www.youtube.com/watch?v=lGEidwEliyY&playnext=1&list=PL37C5C41FD6235D31

ピー  「はぁ~、なんともはやエレガントな演奏だねぇ」
パパ 「この人が演奏すると、どの曲もエレガントになる」
    「例えば、ちょっぴりつまずきかけてはいるが、日本のこの曲も」

http://www.youtube.com/watch?v=koWZcv6BL70&feature=related

ピー  「落ち着いたモダンなcafeで、想いに浸りながら聴くのもいいね」
パパ 「ミスティの作曲者は黒人だが、白人から何かに付けて差別を
    受けてきた感性だとは、とても思えない」
    「この豊かな情感・感性を表現・醸成しうる米国の社会的背景とは、
    一体どのようなものかを知りたいものだ」
ピー  「前から不思議なんだけど、色んな曲を分け隔てなく聴くパパの
    感受性はどこから来るの?」
パパ 「はは、まぁ、わしのパーソナリティとでも言っておこう」

2011年4月1日金曜日

ピートとパパの会話(その120 大震災へのレクイエム)

「東北地方太平洋沖地震で被災された方々に、
                心よりお見舞いを申し上げます。」


ピー  「正月以来の会話だね」
パパ 「んだ。中国の赤色革命の考察をするつもりだったが、大震災で
    それどころじゃない」
ピー  「被災した人達の心境を思うとねぇ」
パパ 「こういう時は、心の癒しが必要だから、せめて音楽でケアをと
    考えている」
ピー  「すると、パッと明るく陽気に騒げる音楽が良い訳だね」
パパ 「以前、会社の健康管理室の先生が、先ずは静かな音楽から聴いて
    いかないと逆効果だと言っていたね」
ピー  「ほう、次第に心をほぐしていかないと、いきなり喧しい音楽では
    拒否反応が出るんだ」
パパ 「では、武満徹の弦楽のためのレクイエムから聴いてみよう」
    「これは現代音楽だから馴れない人にはどうかなぁ?」
ピー  「不協和音の連続じゃないだろうね?」
パパ 「そうじゃないよ。作風は、悲劇の後の静寂という印象だねぇ」
    「ストラヴィンスキーがこの曲を聴いて、武満徹を見出したんだよん」
    「彼がこの曲を聴かなければ、武満徹はそんなに評価されなかった
    ろうな」「いつか武満徹の考察をやろうぜ」

http://www.youtube.com/watch?v=uHfa1uCAmAA&feature=related

ピー  「まさにレクイエムの作風だね」
パパ 「武満は、この曲をある人の追悼のために作ったらしい」
    「続いてショパンのワルツ第7番とリストの愛の夢」
    「特にワルツ第7番は、1972年のNHKドラマ’国境のない伝記
    クーデンホーフ家の人々’の主題曲に使われ、実に印象深かった」
    「へへ、実はこのときのピアニストは、何と吉永小百合じゃった」

http://www.youtube.com/watch?v=-2nnzIvOD3Y&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=7OfHoXJh9wg&feature=related


ピー  「このような曲を聴きながら、癒しへの下地を醸成していくのか~」
パパ 「次の段階として、すこ~し上昇志向の曲を聴いてみよう」
ピー  「いやに早いね」
パパ 「オスカー・ピーターソン、ステファン・グラッペリ、ジョー・パスの
    共演でヌアージュってぇ曲だ」
http://www.youtube.com/watch?v=JtjoQm4ncoc&feature=related

ピー  「ヌアージュ(NUAGES)とは、おフランス語で雲だったね」
パパ 「ステファン・グラッペリのビオロン演奏は、フランス人らしく
    哀愁を帯びたシャンソンの趣きがある」
ピー  「国民性が出ているのか知らん」
パパ 「次は、ジャズ・ヴァイオリニストの寺井尚子だよん。曲はスペイン」
    「共演のウェイウェイ・ウーが、甘く切ない見事な二胡を聴かせて
    くれる。それが次第に情熱へと変わっていくのが聴きどころだ」

http://www.youtube.com/watch?v=Cck6Xv4z0OE

ピー  「ほっほう、気分が次第に高揚してきたね」
パパ 「演奏後半、共演者のグルーヴィさがとてもいい」
ピー  「グルーヴィって?」
パパ 「う~ん、音楽におけるノリというかぁ、高揚感だね」
    「ジャズでgroovyという曲もあるよ」
    「実は、お次も寺井尚子なんだ。曲も同じスペイン」
ピー  「うん?そりゃーまたどうしてさ?」
パパ 「ま、寺井尚子のバイオリンよりも、ベースのイカした音に魅かれた
    というか」「この曲のベースを初めて聴いたのは、東京に居た時
    なんだ」「中盤からベース・ソロが始まるよ」    

http://www.youtube.com/watch?v=yyFi4NOEi38&feature=related

ピー  「ほう、ベースがベンベンいっちょるな~」
パパ 「ほんじゃ、喧しいロックンロールといこう」
    「ロックンロール・ギターの大御所アルバート・リーだよん」   

http://www.youtube.com/watch?v=YK8estjfQV0&NR=1

ピー  「喧しいの~。この曲を聴くには、まだまだ時期早尚の気がする」
パパ 「この演奏は、ヒルビリーやブギの感じがするからロカビリーに思え
    るが、ヒーカップ唱法やマンブリング唱法を用いていないから、
    これはロックンロールだ」
ピー  「色んな音楽をよくま~並べるねぇ」
パパ 「好きじゃけんね」「ポップ・ミュージックに飽きたところで、
    ベートーヴェンのピアノソナタ第7番を聴こう」
ピー  「おぉ、再びクラシックだ。それも古典ね」
パパ 「これは珍しく第4楽章まであるから、ピアノソナタにしては壮大だよ」   
http://www.youtube.com/watch?v=CFamUNlx9Zw&feature=fvwrel   http://www.youtube.com/watch?v=4qnrDk6h5Bk&feature=fvwrel   http://www.youtube.com/watch?v=bxCIjCFkde8&feature=fvwrel

ピー  「喧しい音楽の後で聴くとホッとするね」
パパ 「この後ベートーヴェンは、ハイリゲンシュタットの遺書を書くことに
    よって逆境から立ち直り、次々と傑作の森を生み出すことになる」
ピー  「被災した人々も早く立ち直ってくれるといいね」

2011年1月6日木曜日

ピートとパパの会話(その119 It could happen to you)



ピー  「It could happen to you って何よ?」
パパ 「こ~れは、ジミー・ヴァン・ハウゼンという人が作った曲名じゃ」
    「1944年の映画、And The Angels Sings の主題歌なんだよん」
ピー  「ほう? また突然の紹介だねん」
パパ 「NHK教育の番組’美の壷’に使われているジャズナンバーを聴いて
    いたら出てきたんじゃ」
ピー  「題名の意味は何なん?」
パパ 「そうねぇ~、’あなたにだって起こりえるよぉ’ってことかな」
    「ま、恋の予感ってとこだな」
ピー  「ってことは、季節は春だな」
パパ 「おぉ、鋭いねぇ」
    「この曲はジャズナンバーの範疇に入っているが、元々はポップソング
    だな~」
ピー  「どんな曲か聴きたいね~」
パパ 「その前に、ベートーヴェンの月光ソナタ第三楽章を聴いてみよう」

  http://www.youtube.com/watch?v=zucBfXpCA6s&feature=channel

ピー  「ベートーヴェンを引き合いに出したのは何故?」
パパ 「月光ソナタは古典だ。ベートーヴェンと言えども形式を重んじた
    作風に なっちょる」
    「んで、片やバド・パウウェルが弾く It could happen to you を聴く
    と、 何ものにも代えがたい自由さを感じる、と言うことさーね」
ピー  「いちいち大袈裟じゃの~」
パパ 「それに、バド・パウウェルが弾く It could happen to you は非常に
    情緒的だ」「では、先程の恋の予感という意味合いを心の片隅に
    置き、 先ずは聴いてみよう。感性を研ぎ澄ませて・・・」

  http://www.youtube.com/watch?v=0O7zSH1hfjw
著作権とやらで削除されたので、こちらでどうぞ。3曲目です。↓
  http://www.youtube.com/watch?v=RG7M-9gqHZs

ピー  「ジャズなのにピアノソロだね」
    「そして、古典のように、何かに支配されているような作風でもない」
    「極めて自由に演奏している風景が心に浮かぶね。これは、アメリカ
    が持つ自由さだねぇ」
パパ 「そうさ、その自由の表現が、アドリブや即興演奏となって現れてくる」
    「特に’It could happen to you’といった曲をジャズで弾くとね」
ピー  「う~ん、ジャズの真骨頂だね~」
パパ 「バド・パウウェルもヒロポン中毒だったのだが~、一体この表現の
    感性は、どこから生まれてくるのか不思議でしようがない」
    「この曲も色々な人が演奏しているが、実は歌詞もあるのじゃよ」
ピー  「ほえ? インストゥルメンタルじゃないのかぁ」
パパ 「これがその歌詞だ↓。適当に訳しなはれ」「但し、直訳はいかん。
    意味不明となる」
ピー  「ん? 文法的に訳すと駄目なん?」
パパ 「そこはほれ、恋の予感的に訳さにゃ~ならんのよ」

    Hide your heart from sight,
    Lock your dreams at night,
    It could happen to you.

    Don't count stars,
    Or you might stumble.
    Someone drops a sigh,
    And down you'll tumble.

    Keep an eye on spring,
    Run when church bells ring.
    It could happen to you・・・・

パパ 「うんじゃ、この歌詞を踏まえてVOCALを聴いてみよう」
ピー  「どの歌唱が、この曲の持つ意味合いに相応しいかだねぇ」
パパ 「It could happen to you と想いながら聴こう・・・」
    「それでは先ずチェット・ベイカーさん、どうぞ」

  http://www.youtube.com/watch?v=WfGcJ-0Yr84&feature=related

 ジョー・スタッフォード
  http://www.youtube.com/watch?v=WxWzfQsAjEU

 ローズマリー・クルーニー
  http://www.youtube.com/watch?v=Cw2YLyCOw3g&feature=related

 リタ・ライス
  http://www.youtube.com/watch?v=IfeREx6KcY4&feature=related

 ドリス・デイ
  http://www.youtube.com/watch?v=i9wYNGMeLvw&feature=related

 ダイアナ・クラール
  http://www.youtube.com/watch?v=C9wS--_n7oc&NR=1

パパ 「さて、お気に入りの雰囲気に出逢えたかな?」