2011年8月23日火曜日

ピートとパパの会話(その127 音楽と学習臨界期(前編) )

パパ 「今日は、音楽と学習臨界期について話そう」
ピー  「臨界? 核分裂反応のことじゃないだろうね?」
パパ 「先ず、この曲から聴いてみよう」



ピー  「井上陽水の少年時代かぁ~」
パパ 「歌詞は意味不明な単語の羅列に過ぎないが、メロディが
    美しいので、歌詞もその中に自然と溶け込んで流れている」
    「これは、井上陽水の真骨頂だねぇ」
ピー  「ほほう、西洋のPOP SONGを聴いているようなものだね」
    「歌詞の意味よりも、リズムやメロディに心が動くんだ」
パパ 「ま、この歌は、陽水自身の少年時代の追憶を感覚的に
    綴ったものだ」

ピー  「それで~え、この歌と今回の話がどういう関係なのよん?」
    「そもそも表題の学習臨界期って何?」
パパ 「学習臨界期てーのは、主に心理学や言語学に出てくる用語で、
    行動パターンの形成期や言語習得期のことを指している」
ピー  「はん? 音楽とも関係ある?」
パパ 「当然音楽にも同様の学習臨界期がある」
ピー  「すると、音感教育なんかもそうだね」
パパ 「学者は、生まれてから凡そ思春期までの期間を学習臨界期と
    呼んでいる」
ピー  「それが、陽水の’少年時代’を持ち出した理由か~」
    「ほと、陽水の音楽的感性の源は、彼の少年時代にあると?」
パパ 「そうだと思う」
ピー  「三つ子の魂百までだね」
パパ 「んだ。むか~し、演奏家と話をしていたら、’何事も二十歳
    までに経験しておかないと駄目だなぁ~’なんて言っていた」
ピー  「歳をとると中々身につかないという事かな?」
パパ 「そうかもね。だから学習臨界期という考え方があるのさ」
    「この時期に無茶苦茶勉強すれば、脳の活性化方向が無茶苦茶
    勉強向きになると、ワシャー考えとるのよん」
ピー  「本当か知らん?」
パパ 「言語学では、この時期以降のことを臨界期仮説と呼んじょる」
    「新しい言語を身につけるのが難しいと考えられる時期に入るんだ」
ピー  「臨界期仮説? 学問ちゅーのは、内容より用語の方が難しいなぁ」

パパ 「そこでね、皆さん歳を重ねると、演歌に傾いて行く人が多いが、
    それが何故なのか? というのが表題の主旨だ」
ピー  「そういや~以前、そのようなことを言っていたね」
    「今回、そのことをおいらと話そうってのかい?」
    「ややこしいことを言っても、おいらには ? だからね」

パパ 「人間は、ピークを過ぎると幼少期から少年期にかけて経験した記憶
    に回帰して行くような気がしてならない。というのが話の始まり」
ピー  「幼少期から少年期の記憶とは、つまり学習臨界期のことだね」
パパ 「人間の学習臨界期は、大まかに見積もって二十歳頃までだと、
    ワシは 考えているんだ。そこが脳のピークだ」「それ以降は、記憶の
    蓄積を 取り崩して行くような発想になる。ま、記憶の応用だね」
ピー  「事実だとすれば、不思議な現象だ」


(ダリ作:記憶の固執  中学生の頃、この絵にどえらい衝撃を受けた)

パパ 「これは、原始時代の人間の耐用年数というか、当時の30年という
    平均寿命が影響していると考えているんだ」
    「未だその30年に脳が支配されている。というのがワシの見解だ」
ピー  「ほう、例のミトコンドリア・イブ以来、脳のDNAが20~30万年間も
    進化していないと考える訳?」
パパ 「何故だか進化のスピードが遅い気がする」
    「分子時計が止まっているようだ」「地球規模の自然変動も無いし、
    それが理由かも知れない」

ピー  「ほと、原始時代の脳から考えて、二十歳以上の人生は物事を吸収
    するのではなく、昔の記憶に頼って脳が対処しているに過ぎないと
    言うこと?」
パパ 「だから次第に物覚えが悪くなり、考え方は保守的になり、その後は
    昔のことばかり言い出す」「つまり、記憶への回帰現象が始まる」
    「というか、生理的に学習臨界期の記憶しか残らなくなる」 
ピー  「ほほう、ニーチェの文学,永劫回帰だね~。NHKでもやっちょった」
    「大体人間は長生きし過ぎだべ」
パパ 「そういう意味では、臨界期記憶への回帰は、終末期における脳の
    自己防衛作用かも知れない」「老化に対する生への執着だ」
ピー  「昔の記憶で現在の人生を置き換えようと?」
パパ 「多分ね。老いへの不安が、脳をそうさせるのだろう」
    「ってことは、潜在的に30年以上の人生が想定されていないんだな」
ピー  「脳は、耐用年数を過ぎると死への軟着陸を準備するんじゃない?」
パパ 「これはもうフロイトの世界だねぇ」
ピー  「脳とは不思議なものじゃの~」
パパ 「何故そうなるのかは、脳生理学の研究者に任すとして、先へ進もう」
ピー  「へい」

     
(左はフロイト. 右はムンクと有名な'叫び' 何故かフロイトとムンクが同一人物のような気がする)

パパ 「学習臨界期では、言語のみならず固有の風俗や伝統的な文化に
    よって、複合的に脳への刷り込みが行われる」
    「記憶への回帰現象を考える上で、ここが非常に重要な部分だ」
ピー  「刷り込み? ローレンツの実験だね」
パパ 「ほら、日本では’おふくろの味’とか言うじゃんか」
    「この学習臨界期に記憶されたことが、後に回帰現象として青年期
    以降の嗜好に現れてくる。と、ワシは考えちょるんよ」
ピー  「音楽で言えば、それが演歌であったりする訳なんだね」
パパ 「そうなんよ。しかし、よく見なければならないのは、生活環境に
    よって学習臨界期の経験が異なることだ。それが個性になる」
ピー  「う~ん、分からなくはないけど~?」
パパ 「例えばね~、笈田敏夫というジャズ歌手がいた。と、言うことから
    ぼちぼち後編に入って行こう」
    「本日は、ここまでですぅ」
                                        つづく

0 件のコメント:

コメントを投稿