2011年10月27日木曜日

ピートとパパの会話(その133 クラシックの秋)



パパ 「芸術の秋になったなぁ~」
ピー  「秋は、どうして芸術なん?」
パパ 「理由は分からん。誰かが最初に言い出したらしい」
    「んで、今日はクラシックの話をしよう」

ピー  「ずーと、JAZZやPOPSの話だったもんね」
パパ 「ま、JAZZは、季節感に乏しいからねぇ~」
ピー  「ほー、そりゃまたどうして?」
パパ 「自由や解放感といった黒人の願望を体現した音楽だからね」
    「そこに、ビーバップやフリージャズが生まれたアメリカ独特の
    歴史的必然性がある」
ピー  「はぁー」
パパ 「それに、ジャズはリズム中心の音楽だから、季節感を表現
    するのには向かないような気がする」

ピー  「ジャズは、自然や季節を感じ、それを音楽的に表現することが
    無かったの?」
パパ 「それよりも、黒人個人の解放感の表現が先だったのよん」
    「これは、アメリカ文化の特徴の一つだね~」
ピー  「ふ~ん・・・」
パパ 「じゃがの、欧州へ渡ったジャズメン達は、伝統ある文明に接し、
    洗練された人生観や自然観を認識するようになった」
    「ケニー・ドリューなんか、その最たる人だ」
ピー  「どうしてそうなるの?」
パパ 「そのことに触れると、延々と続くから止めておこう」

ピー  「ちょっと聞きたいんだけど、欧州では自由や解放といったことを
    音楽で表現しなかったの?」
パパ 「ショパンの '革命' なんかがそうだ」
    「しか~し、当時の帝国主義的欧州では、個人の感情よりも国家と
    いう概念が先行したから、黒人音楽のジャズとは表現が異なる」
ピー  「どう異なるのよ?」
パパ 「簡潔に言うと、ジャズは音の跳ね具合で感情表現をしたが、
    クラシックは全体的な曲の構成でそれを表現した」
    「非常に理論的ではあるが、何かを扇動するような意図を感じる」
ピー  「ややこしいことを言うね~」
    「えーと、今日は、クラシックの話だよね」

パパ 「そう、リズムよりメロディという訳さ。秋じゃけんね」
    「では最初に室内楽のことを話そう」「室内楽は指揮者が
    いないよね」「どうやって楽曲を揃えると思う?」
ピー  「そもそも指揮者っているの?」
パパ 「指揮者がいないと、演奏者が自分勝手な判断で演奏するから
    無茶苦茶になる」
ピー  「ほう、演奏者個人の感性が剥き出しになるんだ」
パパ 「そうじゃ、そこを指揮者がコントロールして、全体としての
    音楽性を引き出すんじゃよ」
ピー  「大変な役目だね」
パパ 「だから指揮者と楽団員が反目し合うこともある」
    「かつての小澤征爾とN響のようにね」

ピー  「そういやー昔、オケ弾きとソロ弾きの話をしてたよね」
パパ 「覚えていたかい、ピート君。オケ弾きは皆と仲良くやっていける
    タイプ、ソロ弾きは個性的で且つ芸術的センスの持主だ」
ピー  「ほと、少人数の室内楽は、ソロ弾きのタイプかな?」
    「個性的な人達が、どうやって楽曲を合わすんだろう?」

パパ 「ほほ、では実際に視て、聴いてみよう」
    「ゲバントハウス弦楽四重奏団の演奏で、モーツアルトの
    弦楽四重奏曲第19番 ’不協和音’ね」
ピー  「モーツアルトか~。どういう演奏形態になるのかな?」
パパ 「先ず出だしだけれど、画面21秒後に左の第一バイオリンの奏者が
    弓を静かに振り降ろす」
ピー  「指揮者のボーイングだね」
パパ 「これが出だしの合図で、それに従ってチェロが序奏を弾き始める」
    「これをアインザッツと言い、この動作を業界用語で
    'ザッツを出す'という」
ピー  「セーノ~とかサンシ~とは言わないんだ」
パパ 「そして、1分49秒後にフレーズが変わり、軽快なロココ風の
    メロディへと推移していく」
ピー  「細かい視かただなぁ」
パパ 「演奏者がお互いにアイコンタクトを取りながら、テンポを合わせて
    演奏している様子がよく分かる」「これが、アンサンブルの極意だ」
    「では、サロン風の演奏を視てみよう」



ピー  「ほっほう、お互いにチラチラと顔色を窺っちょるね」
パパ 「かつて演奏者に、室内楽の演奏感について聞いてみたんだ」
    「そうしたら、気を使うから室内楽は嫌だってさ」
    「オケの場合、指揮者の指図どおりにやっていればいいから、
    楽だって」  
ピー  「おやおや、聴くと演奏では、そんなに違うのか」
パパ 「それに、馴れない人が室内楽を演奏すると、譜面にばかり
    気をとられ、アンサンブルにならない」

ピー  「さっき言ったロココって何?」
パパ 「モーツアルトのように装飾音を多様した音楽の様式をいう」
    「彼の作曲年代は、ロココ全盛期が過ぎた頃かな」
    「ロココ様式は、1789年のフランス革命で消滅した」

ピー  「ということは、宮廷文化に起因する様式だね」
パパ 「そう、ロココは、建築や絵画の様式にも表れている」
    「ロココ様式は、その内装に特徴があって、白を基調とし、
    その周りを金色で囲むとかね」
    「神聖ローマ帝国の世紀末芸術とも言える」
ピー  「バロックより、一層成金趣味的になったんじゃないの?」
パパ 「そうだね。建築や内装は、権力や財力を誇示する象徴だからね」
ピー  「絶対王政の好きそうな様式だ」
パパ 「絵画の場合は、甘美で官能的な美を表現し、退廃的でもあるのが
    特徴だ」「特に、ワトーとかフラゴナールが有名で、中学の
    美術史にも出てくるよ」
ピー  「音楽や建築や絵画は、その時代を反映しているのかぁ」


(左はロココ様式の内装。 右はフラゴナールの有名なブランコをする
 女性を下から覗いている退廃的でちょっとHな絵)


パパ 「では、チャイコフスキーの'ロココの主題による変奏曲' を
    聴いてみよう」「ワシの好きな曲だ。ヨーヨーマの演奏だよ」



ピー  「はぁ~、第7変奏まであるのか~。秋を感じさすね~」
パパ 「ロマン派や古典だけでなく、バロックも聴いてみよう」
    「ワシの好きなバッハのブランデンブルグ協奏曲第5番だ」



ピー  「ほう、紅葉の銀杏並木を歩いているような気がする」
パパ 「それも、カントが歩くようなドイツの街角ね」
    「家で聴くなら、チョット気取って上下に開閉するダブルハング
     の窓から西洋庭園を眺めながら聴くのがいい」
ピー  「なるほど、掃き出しの縁先では雰囲気を感じないのね」
パパ 「そう、ピートが田んぼの畔を歩いていても似合わないのと同じだ」
    「では最後に、バッハのアリオーソを聴こう」
    「フランス映画、'恋するガリア' のテーマ曲だよん」



ピー  「曲の雰囲気から、そろそろ晩秋だねえ・・・」