2013年2月28日木曜日

ピートとパパの会話(その143 ”吾輩はラブである” )



おっほん! 吾輩はラブである。
否、犬である。名前はピート。

どこで生れたかとんと忘れてしまったが、クークー泣いていた事だけは
記憶している。暫くしてパピーウォーカーさんちへ預けられ、そこで大事
に育てられたことははっきり覚えている。
その後吾輩は盲導犬の訓練を受けることになったが、どうも性に合わな
かった。
そうこうしているうちに、吾輩は再び別の家へ行くことになり、野良犬の
ごとく路傍に餓死することはなくなった。

別の家で再び人間と暮らすのは不本意だが、その日その日がどうにか
こうにか送られればよいと思っただけだ。嫌になれば適当に放浪でもするさ。
まあいくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまいし、ここで気を永く
犬の時節を待つのもよかろう。
かくして吾輩は、ついにこの家を自分の住家と決める事にしたのである。

吾輩は、ここで始めて飼い主というものを見た。この時、妙なものだと思った
感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されるべきはずの顔が、
つるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。

ちょっと断っておきたいが、元来人間が何ぞというと犬畜生と、事もなげに
軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるは、はなはだよくない。
人間の糟(かす)から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から犬が製造されたごとく
考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする体罰教師などには
ありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。

いくら犬だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、
平等無差別、どの犬も自家固有の特色などはないようであるが、犬の社会に
這入って見るとなかなか複雑なもので十人十色という人間界の言葉は、
そのままここにも応用が出来るのである。

ちょっと一息。
書を読むや躍るや犬の春一日(はるひとひ)
俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな。

人間の心理ほど解し難いものはない。この飼い主の今の心は怒っているの
だか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつ
あるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたい
のだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだか
さっぱり見当が付かぬ。

犬などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、
怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。

第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないから
である。人間のように裏表のある生き物は、日記でも書いて世間に出され
ない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等
犬属に至ると行住坐臥、行屎送尿(こうしそうにょう)ことごとく真正の日記で
あるから、別段そんな面倒な手数をして、己れの真面目(しんめんもく)を
保存するには及ばぬと思う。
日記をつける暇があるなら縁側に寝ているまでの事さ。イヒヒ

パパ 「何やら昔、何処かで読んだような呟きだなぁ」
ピー  「そうかい。ちょっと夏目さんの言い分を拝借しただけさ」
    「それに、我等犬族の本音を言ったまでさ。チーン」

2012年11月9日金曜日

ピートとパパの会話(その142 ”晩秋へのいざない” )

 (晩秋の紅葉ロードと比良山系)

パパ 「そろそろ晩秋だね」
ピー  「もう晩秋だよん」
    「柿も喰った。栗も喰った。芋も喰った。アケビも喰ったし、
    後は冬眠するだけ。おっと、松茸はどこだ?」
パパ 「そんなもの無い。エリンギにしとけ。歯応えは同じじゃ」
ピー  「はっ、はっくしょーん!・・・・・・」
パパ 「さて、晩秋に似合う曲と言えば、枯葉だね」
    「まんず、ドリス・ディから聴いてみよう」


ピー  「歌唱の雰囲気が晩秋だね~。それにストリングスのハーモニーが
     綺麗だ」
パパ 「夏にこの曲を聴いても気持ちがついてこない」
    「では、元祖フランス語で聴いてみよう」
    

ピー  「お~、ジュリエット・グレコじゃん」
    「ドリス・ディより感傷的だね~」
パパ 「元々枯葉はシャンソンなのじゃよ」
    「フランス語ちゅーのは、ヨーロッパの晩秋によく似合う」
ピー  「ストリングスやアコーディオンの音色も汎ヨーロッパ的な印象だ」
パパ 「ヨーロッパの印象派と言えば、ドビュッシーじゃな」


   「このYOUTUBEは誰がUPしたのか知らないが、評価欄のように
    表題画と曲がマッチしていない感じがするなぁ」

ピー  「よくわーらんが、そんなものかね~」
パパ 「多分、印象派の作曲者と画家を同列視したのだろう」
    「絵は後期印象派のスーラ作”アニエールの水浴”だが、
    ドビュッシーは印象派ではないという人もいる」
ピー  「だから、絵と音楽に若干の違和感を伴うのか」

(モネとスーラの作品 同じ印象派でも明らかに作風が異なる)

パパ 「また、元々印象派の絵画は遠近法を無視したところから始まるが、
    スーラはしっかり遠近法を取り入れてお~る」
ピー  「でも印象派独特の点描法で描いているじゃんか」
パパ 「だから印象派の分類に入れるんだが、作風は人物を
    バランスよく配置し、計算された幾何学的構図になっている」
    「これは近代絵画の始まりというより、元祖ポスター画だなぁ」
ピー  「そんなことを言ったら叱られるぞ~」
    「でもヒロ・ヤマガタと同様な作風に思えるね」


(紅葉の八ヶ岳ロングトレイルを行く)

パパ 「ではと、枯葉が新大陸へ上陸すれば、こうなるという見本を
    聴いてみよう」
    「スタンリー・ジョーダンの枯葉ね」


ピー  「おやまぁ、えらく感じが違うね」
パパ 「リズムセクションが入るとこうなる。ま、リズムセクションの
     音頭が異なるんだな」
    「これは、叙情や哀愁を醸し出すというより、ただの技術的な
    演奏アクションになっちょる」
ピー  「パリの晩秋という季節感も無くなるね」
パパ 「マイルスの枯葉も殆ど季節感が無い」
    「ま、ジャズはリズムを基調としているから、四季の情感を表現
    する感性に乏しい」
ピー  「ジャズね~、ロマンチックじゃないねぇ」

    (若き日の LEE MORGAN)

パパ 「もう一発、叙情的美旋律が無くなった曲を聴いてみよう」
    「リー・モーガンの The Rumproller から Desert Moonlight ね」


ピー  「おお、昔聴いた旋律だ。これは”月の砂漠”だな」
    「だけど途中から月の砂漠じゃなくなってるよ?」
パパ 「そうなんよ。ワシは、これをジャズのソナタ形式と呼んじょる」

ピー  「呈示部、展開部、再現部に分かれているあれかい?」
パパ 「そう、クラシックでいうソナタの第一楽章に相当する」
    「呈示部は、第一主題と第二主題に分かれる」
ピー  「ほと、最初に始まる月の砂漠の旋律が主題?」
パパ 「その前にピアノとリズムセクションによる序奏がドン々と入る」
    「それから主題となる旋律が始まる」
ピー  「その旋律は、第一主題と第二主題に分かれているの?」
パパ 「第一・第二主題は調性が異なるのじゃが~・・・」
    「ま、クラシックの古典派でもなかろうから、厳格な形式主義は無視」
ピー  「自由と解放のジャズだからね。へへ」

    (音羽山トレイルの陽だまりにて)

パパ 「さて、次の展開部は1分27秒後から始まる」
    「ここからがジャズの真骨頂なんだよ」
ピー  「そうかね。なんやよう分からんが」
パパ 「展開部は、第一主題と第二主題の対立(転調の繰返し)が
    ソナタ形式の特徴なのだが・・・」
    「ジャズの場合、この対立を演奏者が即興で行っていると、
    ワシは考えとるんだ」
ピー  「考えるのは、誰でもする」

パパ 「では、1分27秒後からの演奏をもういちど聴いてみよう」
    ーーー画面の進行をマウスで調整してねーーー

ピー  「何やら元の旋律から離れて訳のわーらん曲になってる」
    「これが、ジャズでいうアドリブとか即興演奏かいな?」
パパ 「そうだす。呈示部の旋律を基に、独奏楽器が思い思いの
    アドリブや即興演奏を繰り広げるのさ」
    「この独奏楽器による即興演奏は、ベートーベン時代からある」
    「それをクラシックでは、カデンツァと呼んじょるんよ」

ピー  「ほんで各主題による展開部の対立とは?」
パパ 「ジャズでは、主題の対立を展開部の独奏楽器でやっているんだ」
    「リー・モーガンがペットでパパァとやると、それに対抗して
    テナーサックスのジョー・アンダーソンがブリブリとジャブを連発する。
    また、ピアノも途中からチャチャを入れてくる」
    「ジャズの展開部は闘争だ」
ピー  「ほう、これがジャズの掛け合いかぁ~」
    「この展開部をより自由にしたのがフリージャズだね」

    (FREE JAZZ の面々)

パパ 「フリージャズは、旋律が破綻しとる。オーネット・コールマン、
    アルバート・アイラー、チャールズ・ミンガス」
    「この連中は訳が分からん」
ピー  「エリック・ドルフィーも、そのけがあるね」
パパ 「ドルフィーのバスクラは、チャルメラに聴こえる」
ピー  「無茶苦茶言うねぇ」

パパ 「んで展開部では、皆さん強烈に自己主張を始める」
    「それまでは、作曲者に支配された演奏になっているんだ」
パパ 「そうして7分37秒後に元の旋律に戻ってくる」
    「これが、再現部だ」
ピー  「すると聴衆は、ここでこの曲が”月の砂漠”だったことを
    思い出すという寸法かぁ」

パパ 「再現部で重要なのは、展開部で対立していた二つの主題が、
    ここで統一(調性の統一)されることなんよ」
ピー  「ん?」
パパ 「クラシックでは各主題の調を統一するが、ジャズは展開部を
    奏でていた独奏楽器が旋律に統一される」
ピー  「またそういう訳のわーらん事を言う」

パパ 「訳の分からん事をもう一発言おう」
    「ソナタ形式は、対立する二つの主題が展開部を経て統一される
    という極めて論理的な展開を見せる」
ピー  「分かった。これ即ち弁証法と言いたいんだろう?」
パパ 「当たり。ジャズも論理的な楽典で構成可能ということだよ」
ピー   「パパは弁証法が好きだねぇ」
パパ 「物事の仕組みや歴史の発展形態を理解する公式のようなもの
     だからね」
     「ま、弁証法の抵抗し難い誘惑というところかな」
ピー  「ジャズは、クラシックと何等遜色の無い音楽ということか」

 (晩秋の八ヶ岳南麓にて)

パパ 「では、最後にラ・ヴィ・アン・ローズを聴いて終わろう」
ピー  「ばら色の人生だね」



2012年10月30日火曜日

ピートとパパの会話(その141"開拓者達”)


パパ 「さて、芸術の秋とシャレこむつもりだったが、やめとこ」
ピー  「次回にでもするの?」
    「ところで上の写真は何なん?」
パパ 「左から堀江謙一、カズ、野茂だよ」
ピー  「それは分かるけど、な~んで一緒に並べているん?」
パパ 「ふふ、それが今日の話題だよん」
ピー  「堀江おっさんは冒険家、カズと野茂はスポーツだろ?」
    「何か組合せが変だよ」
パパ 「三人の共通点は、世界への扉を開いた事だ」
    「ま、日本では類まれなるパイオニア精神の持主だ」
ピー  「ほっほう」

パパ 「まず、堀江謙一は、ヨットでの太平洋横断が認められず、
    秘密裏に出国せざるを得なかった」
ピー  「どうして許可が出なかったの?」
パパ 「お役所流に言えば、前例が無いということかな」
ピー  「うん? イザナギ・イザナミの尊も、日本国を創造
    するとき、前例が無かったのでは?」
パパ 「それに、単独ヨットで太平洋を横断するなんて、
    当時は夢物語だったんだ」
ピー  「だから密出国しかできなかったのか」
パパ 「そして、堀江がサンフランシスコに到着した時、
    市長から大歓迎を受けた」
    「ところが日本のマスコミは、密出国に対して非難轟々
    の論評を展開していた」
ピー  「さすが米国は、開拓者魂を理解しているね~」
パパ 「米国自体が、フロンティアの国でもあるからね」
    「しか~し、米国の歓迎振りを見て日本のマスコミは、
    一転して堀江の快挙を報じるようになったのさ」
ピー  「日本のマスコミも一貫性がないね~」
パパ 「実際、堀江が帰国した時、密出国の一件は不問にされた」
ピー  「日本は法治国家だろう? おかしいよ」
パパ 「でもね、日本でマスコミ取材を受けている堀江の姿は、
    当時見ていて物凄く傲慢だった」
ピー  「パパは見ていたの?」
パパ 「ああ、よく覚えている。後にインタビューした記者が、
    堀江ほど傲慢な人間は見たことが無いと語っていた」
    「でも今はすっかり人間が丸くなり、むしろ好感が持てる」

ピー 「カズは?」
パパ 「この人も、ブラジルのサッカーに魅せられ、日本で最初に
    単独ブラジルへ渡った」
ピー  「誰もやらないことを最初にやった。開拓者だね~」
パパ 「それも日本ではなく外国でね」
    「ここでも日本人は、最初の開拓者に対して冷たかった」
ピー  「どういうこと?」
パパ 「それは、1998年のワールドカップ選手選考にある」
    「当時の岡田監督は、代表からカズを外した」
    「この采配は、ちとアホである」
ピー  「アホとはまた手厳しいね」
パパ 「岡田監督は、自分の時に優勝しようと思うから、
    このような采配になる」
    「これは、自分自身を売り出そうとしたにすぎない」
ピー  「ふ~む。そういや~当時、日本サッカーの実力は、
    FIFAナショナルチーム中、最低ランクに等しかったね」
パパ 「ちゅーことは、もっと将来を見据えて日本のサッカーを
         考える必要があったということだよん」
ピー   「日本サッカーの将来?」
パパ 「ここは、日本サッカー界のために、カズを絶対に出場さす
    べきだった」
    「そうしてカズを中心に据え、日本のサッカーへの注目度、
    人気度を増していくべきだった」
ピー  「なるほど、プロスポーツは、興業的要素も考える必要が
    あるのか」
パパ 「そうだよ。あの時、岡田監督がカズをワールドカップに
    出しておけば、日本サッカー界は興業的にもっと変わって
    いただろうな」
ピー  「うんうん、なるほど~」
パパ 「それは、今回のFIFAフットサルワールドカップ日本代表
    にカズが選ばれたことからも伺える」
    「もう遅きに帰したがね」
ピー  「は~ん。例えば、成績が悪いと言うだけで石川遼を外せば、
    ゴルフなんちゅーのは単なるオッサンの玉遊びになるね」
パパ 「それと同じことだよ」
    「岡田監督は、目の前の勝敗には長けていても、戦略的な
    考え方に難ありの人だ。チーン」

ピー  「野茂は?」
パパ 「彼は、当時の鈴木監督と喧嘩してでも大リーグを目指した」
    「そして、後に続く後輩達に世界への道を開いた。偉大だよ」
ピー  「ここでも足を引張ったのは、監督かな?」
パパ 「そういうこと。監督ちゅーのは、マネージメントも考え、
    他に人を育てる役目もある」
    「鈴木はんは、根性だけで野球をやってきた人だから、
    それ以外のことを言い出す人間を理解できなかった」
ピー  「日本古来の根性野球かな」
パパ 「日本国内だけなら、それで十分だ。なぜなら、周り全てが
    根性野球だからね」
ピー  「しかし、世界が相手では、そうはいかないのかな?」
パパ 「その通り。世界と勝負するには、欧米流の合理的・
    システム的なやり方を学ぶ必要があった」
ピー  「その切っ掛けとなったのが、野茂の行動だったんだね」

パパ 「そもそも日本のスポーツは、神事と結び付いている」
    「野球も例外ではない。勝敗だけではなく、神の前で
    如何に礼節を重んじ、納得して貰えるかが重要になる」
ピー  「神の納得?」
パパ 「神事は、占いということでもある訳さ」
    「神が納得すれば、良い占いが出る」
    「この辺りは、日本国の成り立ちを考えれば理解し得る」
ピー  「根性は、神の納得を得るために必要ということかな」
パパ 「そうだよん。何が何でも欠乏困苦に耐えねばならん」
    「つまりは、生贄(いけにえ)の精神だ」
    「その見返りとして、現世での利益や安定を得られる
    という考え方だ」
ピー  「そんなものかねー」
パパ 「練習中に水を飲むな。野球部員は水泳をするな」
    「頭は丸坊主以外認めん。等々」
ピー  「丸坊主で得点を稼げるなら、米国人もそうするわね」
パパ 「全て非科学的だったし、今では正反対の方法を取っている」
ピー  「世界と関わるようになって、日本のスポーツも変わった?」
パパ 「そうね、良し悪しは別として、野球は神事から外れた」
    「そうして次第に米国流の野球を取り入れるようになった」
ピー  「それ以降、日本もWBCで優勝できるまでになったのかな」
パパ 「野茂の決断によって、一番恩恵を受けているのが、
    イチロウ達だ。彼等は、野茂に感謝しなければならない」
ピー  「確かにね」

パパ 「しかしね、日本ではこれらパイオニア精神に富んだ人々に
    冷淡だ」
ピー  「どうして?」
パパ 「まあ~、古来の精神論というか、そいうものから
    逸脱しているからさ」
ピー  「それも困るね」
パパ 「だけど、外国から見れば、それらは日本固有の神秘的な
    文化でもある」「またの機会に、外国からみた日本の
    神秘性について考察してみたいと思っちょるんよ」
ピー  「食の神秘性の方をたのむよ」

2012年8月31日金曜日

ピートとパパの会話(その140 '"夢見る頃を過ぎても" )

パパ 「今日は、最初に When I grow too old to dream.
    邦訳 ’夢見る頃を過ぎても’ を聴こう」
    「誰が訳したか知らないけれど、これは名訳だね~」
ピー  「その人は、きっと詩人だね」
パパ 「この曲は、1935年の映画『ザ・ナイト・イズ・ヤング』の
    主題歌だった」「では、ニッキ・パロットで聴いてみよう」




パパ 「なかなかイカしているだろう」
ピー  「ニッキって、植物じゃなかった?」
パパ 「そう、シナモンの一種だよん。この人とは無関係だけど」



(ニッキの木:シナモン)

パパ 「これがニッキの木。この根から樹液を搾り取って、
    昔懐かしいニッキ水を作るんじゃ」
ピー  「ピートんちに植えてある木だね」

ピー  「ほんで、ニッキ・パロットは何を歌っているの?」
パパ 「ま、夢見る頃を過ぎても、あなたへの想いは変わらない、
    ちゅーことを歌っているのかなぁ」
ピー  「ふ~ん、他に想うことはないのかね。フードの味とか」
パパ 「ない。ところで、京都のママんちへ来た仔はパティと言うらしいよ」
ピー   「ほう、パティに因んだ曲はないの?」
パパ 「では、有名なパティ・ページのテネシーワルツを聴こう」


ピー  「う~ん、この頃の曲にはヒューマニズムを感じるねぇ」
パパ 「そうじゃね、歳を重ねると、それが分かってくるらしい」
    「皆さんジャズでも白人好みのスウィングを聴いているよ」
ピー  「現代の歌手では、この雰囲気は出せない気がするなぁ」
パパ 「世界と社会の雰囲気が変わっちまったからね~」
   「ほな、映画 愛情物語から To Love Again を聴いてみようか」


ピー  「おー、タイロン・パワーとキム・ノヴァクじゃないの」
パパ 「んだ。この曲はショパンのノクターン第2番だ」
    「これが原曲ね」


ピー  「パパは、歳をとってもスウィングよりビーバップが好いの?」
パパ 「When I grow too old to dream. かな。ふ~」

2012年5月25日金曜日

ピートとパパの会話(その139 "オレンジ花特急")

ピー  「久しぶりの会話だね~」
パパ 「他の趣味に没頭していたからねぇ」
    「まだまだ忙しくて一日24時間では足らん」
    「今日は、ちょっと一休みね」
ピー  「ほんで何の話なん?」
パパ 「ちょっと亜米利加民謡を聞きたくなったし~」
    「その話をしようと思ってね」
ピー  「亜米利加の民謡?」
パパ 「亜米利加の泥臭~いブルーグラスという民謡じゃ」
    「では一発、Orange Blossom Special とシャレこんでみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=SEjp-CG7h4w&feature=related


ピー  「なんとなく忙しないな~」
パパ 「それがブルーグラスの特徴なのよん」
    「出足でフィドルがピア~ピア~とボーイングをするが、
    どういう意味があると思う?」
ピー 「さあ~、何かの真似?」
パパ 「んだ、蒸気機関車の汽笛なのさ~」
    「それが終わると、なんだ坂こんな坂という調子で弾きはじめる」
ピー  「ほうー」
パパ 「そして、タータカ,タータカといった軽快な2ビートに乗って
    飛ばしまくる」
ピー  「ん? オレンジブロッサムスペシャルというのは、写真の機関車?」
パパ 「そ、オレンジブロッサムスペシャルという名の汽車をモチーフに
    した曲なんだ。マイアミ、ニューヨーク間を1953年まで走っていた」
    「さて、映像を見ていて、何かに気が着かないかい?」
ピー  「はて?」
パパ 「ではもう一発、今度はカントリーロックを聴いてみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=C6uEACh0UUE&feature=fvwrel

ピー  「一向に分からないねぇ」
パパ 「解答は、演奏者や聴衆の中に黒人が一人もいないことさ」
ピー  「はっはーん、そういうことか。黒人は、ブルースなんだ」
パパ 「これで亜米利加のカントリーミュージックがどういうものなのか、
    分かったろう」「ま、全ては語らないでおこう」
ピー  「う~ん、考えさせられるねぇ」

                        (ブルーグラスの牧場にて)
パパ 「ブルーグラスは、アイルランドやスコットランドの民謡を元に、
    亜米利加大陸の開拓者達の音楽として作り出されたものじゃな」
    「しか~し、流行り出したのは第二次大戦後だけどね」
ピー  「だから、何となく大陸的でワイルドな感じがするんだねぇ」
パパ 「ブルーグラスとは、ケンタッキー州に生えている牧草でもある」
    「ヨーロッパ原産の寒冷地向き牧草で、馬君の好物だ」 
ピー  「草からとった名前か~。西部劇の雰囲気だね」


                       (ラフマニノフと湖畔で遊ぶピート)
パパ 「が、同じ大陸的でも、ロシアは全く異なった雰囲気がある」
    「ラフマニノフのピアノコンチェルト第2番を聴いてみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=uJRHht55E1M&feature=related

ピー  「女性ピアニストがこんな重厚で重苦しい曲をよく弾くね」
パパ 「エレーヌ・グリモーというフランス人だよ」
    「曲は、如何にもロシア的な旋律から始まり、壮大な叙事詩
    としての雰囲気を醸し出している」
ピー  「ロシア国民楽派の影響を受けている?」
パパ 「第二楽章は甘美な旋律で、ドイツロマン派の影響を伺わせて
    おり、ラフマニノフの錯綜した気持ちが伝わってくる」
ピー  「だけど、フランス人がロシアのロマン派を弾くとは珍しいね」
パパ 「彼女は、ドイツロマン派が好きなんだ。またラフマニノフは、
    ドイツのドレスデン滞在中に作曲をしたこともあるんだ」
ピー  「さよか」
パパ 「ロマン派、ドイツ、ピアノコンチェルトといった連立方程式
    を組立てれば、何故に彼女がラフマニノフを弾くかが解ける」
ピー  「また訳の分からんことを言う」
パパ 「ではもう一度、亜米利加の雰囲気を聞くとしよう」

http://www.youtube.com/watch?v=fRgWBN8yt_E&feature=fvwrel

ピー 「我が心のジョージアか~」

2012年3月9日金曜日

ピートとパパの会話(その138 "Jazz Cafe")


パパ 「今日は、先日話していたジャズやポップスの取って置きの
    聴き方を話そう」
ピー  「Jazz Cafeの話かい?」
パパ 「いやいや、昼間にコーヒーを飲みながら聴くジャズや
    ポップスね」「そういうものは、ノスタルジックなものが
    エエという話だよん」
ピー  「ほっほう、音楽を聴くムード環境のことかな?」
パパ 「先日、1954年製のCollins Radio Companyの軍用受信機2台を
    メンテナンスしていたんだ」
ピー  「米国製なの?」
パパ 「そう、メンテナンスを終えて短波を受信したところ、
    突然グレンミラーのムーンライトセレナーデが聴こえてきた」

http://www.youtube.com/watch?v=n92ATE3IgIs&feature=related


(右の縦に2台並んでいる黒い軍用ラジオがCollins Radio Company製)

    「曲は1939年作だが、1954年製のラジオに良く似合う」
    「この時聴いたグレンミラーは、最高じゃった」
ピー  「スウィングじゃんか。この時の演奏が上手かった?」
パパ 「ちゃう。1954年製の米国ラジオで、それも米国のスタンダード
    ジャズが聴こえてきたからさ。アジア人と言えども、何故か
    郷愁を感じるんだなぁ」
ピー  「それはだねぇ、学習臨界期における進駐軍文化の影響だな」
パパ 「あ、そうかも知れないな」
ピー  「しかし、ラジオの音だろう? ステレオの方が良い音で
    聴けるんじゃないの?」
パパ 「そこが音楽を聴く雰囲気,環境,ノスタルジックというものさ」
    「なんたって、米国が一番強かった時代のラジオで、米国ムード
    溢れるスウィングを聴くんだからさ~」
    「音の良し悪しじゃないのさ」
ピー  「マリリン・モンローなんかもイケそうだね」

http://www.youtube.com/watch?v=eL3nVwSPKWo

パパ 「1954年の'帰らざる河' かぁ。ラジオと同じ歳だ」
    「一度このラジオで聴いてみたいものだねぇ」
ピー  「なら、この曲は?」

http://www.youtube.com/watch?v=gAIIKuSI2Z0&feature=related

パパ 「1957年のドリス・ディか~。ちょっと気取った感じだな~」
    「このラジオで聴く場合、こちらの曲の方が郷愁を醸し出すよ」

http://www.youtube.com/watch?v=_Ek3eCbfqp0&feature=fvwrel

    「ペギー・リーのブラック・コーヒーもいい」

http://www.youtube.com/watch?v=XqIeKYRLhno&feature=fvwrel

パパ 「でも、そろそろ限界だな」
ピー  「限界?」
パパ 「60年代に入ると、このラジオでは時代の雰囲気を出せない」
ピー  「ふ~ん、いよいよ60年代に入るの?」
パパ 「そこで、60年代の装置でALTEC SOUNDを聴こうという寸法だ」
パパ 「では、最初にサラ・ボーンで行こう」

http://www.youtube.com/watch?v=KahAPQ9sl6g&feature=related


         (Altec Sound: 604E+288-16+1005B)

ピー  「ラバース・コンチェルトだね」
    「原曲は、バッハのメヌエットだろ?」
パパ 「そう。では、原曲をチェンバロで聴いてみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=KqSAGwa49MM

   「大体この装置では、主に60年代の曲を聴くんだけど、
    ビーバップを始め、50~60年代のポップスもこの装置で
    聴いている」「これは、1961年の Please Mr. Postman」

http://www.youtube.com/watch?v=425GpjTSlS4&feature=related

ピー  「ステレオが置いてある部屋の雰囲気がジャズっぽいね」
パパ 「60年代を醸し出したのさ」
    「んで、新しいPlease Mr. Postmanは、これ」

http://www.youtube.com/watch?v=dKtEWdYWHZQ&feature=related

ピー  「は~ん、音楽の持つ雰囲気が、装置と合わなくなったね~」
パパ 「ライブ環境から曲の雰囲気まで、現代風になっちょる」
    「だから、ここでステレオの雰囲気も変えるのさ」
    「下の写真は、スピーカーが一つしか写っていないが、
    ちゃんと二つあるから心配しなくていい」


  (カーペンターズ Now And Then. アンプはマッキントッシュ275)

    「アンプは、マッキントッシュの真空管」
    「では、この装置の雰囲気に合う曲を聴いてみよう」
    「カーペンターズのメドレーで、Fun Fun Funから聴こう」

http://www.youtube.com/watch?v=xePdSw_emhc&feature=related

ピー  「録音がコロっと変わって、Hi-Fiになったのかな」
パパ 「そうだよん。実際のところは、60年代の装置で聴く方が
    大迫力だ」「しかし、曲がイカツイ雰囲気に合わない」
ピー  「すると、聴きたい曲に合わせて部屋の雰囲気も変えねば
    ならないね~」
パパ 「そう、それが最高の聴き方なのさ」

2012年2月24日金曜日

ピートとパパの会話(その137 "MICHIKO LONDON")


(Ikapa Livea より michiko london fashionPrize)

パパ 「今日は、コシノ三姉妹の話題からだよん」
ピー  「あれ、jazzの聴き方じゃなかった?」
パパ 「それは次回にしよう」
ピー  「んで、コシノ三姉妹ちゅーのは、デザイナーのかい?」
パパ 「そ、NHKの朝ドラ、カーネーションに出てくる人達だ」
    「このドラマの見方は、大略して2通りあるんだ」
ピー  「ほう?」
パパ 「一つは岸和田の人情劇、もう一つはビジネスモデルとしての
    見方だ」「ワシはビジネスモデルとして見ちょる」
ピー  「ビジネスモデル?」
パパ 「んだ。結果が分かっているので、安心して見ていられる」
ピー  「ま~た、変な見方をしているのとちゃうかい?」
パパ 「ちゃう。ワシの見方は一種の職業病だね」「現役時代は、
    ビジネスの分析と合理化、制度構築ばかりやってきたかんね」
ピー  「前口上が長いな~」

パパ 「ほんでだ、ドラマでオハラ洋装店のお母ちゃん、糸子が仕事に
    限界を感じ始めるが、何故だと思う?」
ピー  「歳かな?」
パパ 「ちゃう! 岸和田という土地にしがみ付いているからだ」
    「オハラ洋装店は、岸和田町内の雰囲気以上には発展しない」
    「これは、お母ちゃんの父親も同じ状況じゃった」
ピー  「ん? それこそ何故なん?」
パパ 「ほほ、岸和田には、人・物・金が集中しないからだよん」
    「発展には、条件が必要なのじゃよん。大都市のように」
    「ただ、世の中の動きを早く取り入れることで、小規模ながら
    商売は続けられる。地域密着型ビジネスは、そこが重要!」
ピー  「アッパッパだけの商売では、何れ限界が来るということか・・」

パパ 「先ず限界に達したのが、父親の従来型商売」
    「そこへお母ちゃんが、洋裁という世の中の動きをいち早く
    取り入れて、店を大きくしたのさ」
ピー  「ほほう、時代の先取りだねぇ」
パパ 「そうなんじゃ。だけど岸和田の中に居ると、時代の変化が
    見えないから次第に取り残される」
    「岸和田で儲けられるのは、商売が同一土壌にある時だけだ」
ピー  「ドラマでは、そこをコシノ家の人々の世代交代として
    描いているよ?」
パパ 「だから2通りの見方が出来るんじゃわさ」
ピー  「つまり、岸和田の人情劇とビジネスモデルということかな」

パパ 「ここで、コシノ三姉妹の各々の特徴を見てみよう」
    「先ず長女、この人は時代の波に上手く乗ってビジネスを
    成功さすタイプ」
ピー  「次女は?」
パパ 「個性丸出しで自分本位。モードの先端を行くんだが、その分
    時代に先んじているから、世間の理解を得難い」
    「ま、ゴッホの絵のような感じだね」
ピー  「だからパリへ行くのかぁ」
パパ 「三女はアホぶってはいるが、母親と姉二人を見て育つから、
    抜け目がない」
ピー  「ドラマとしては、三女の展開が楽しみだねぇ」
パパ 「さてここで、母親と三姉妹に共通したところがあるのだが」
ピー  「なんだろう?」
パパ 「何れも外国の影響を受け、その真似から始めたということじゃよ」
    「それが、戦後の高度成長期と重なり、ビジネス戦略としての
    価値を持つに至った。今の中国と同じだね」
ピー  「はぁ・・・」

パパ 「けれども、コシノ三姉妹が猿真似で終わらないところが、
    ビジネスモデルとしての見所かな」
ピー  「猿真似とは、おフランスの真似だね」
パパ 「そう、真似だけでは母親と同じ道を辿り、何れ行き詰る」
    「何故なら、プレタポルテの時代に突入するからね」
    「これが時代の変化なのさ」
ピー  「なるほど~、大量消費の時代を迎える訳か~」
    「だからドラマの中で、岸和田の'北村' がプレタポルテのことを
    言い出したのかぁ。ふむふむ」
パパ 「そうだよ~ん。大資本がパリのデザイナーと契約し、プロダクト
    ラインで大量に生産を始める」
    「岸和田の洋装店では太刀打ち出来ないわな」

ピー  「はっは~ん。三姉妹が自分のブランドを立ち上げる理由は、
    そこにあるのか~・・・」
パパ 「そこが、コシノ三姉妹が只者ではないところじゃよ」
    「これは、お母ちゃんの教育の賜物だ」
ピー  「それに、自分のブランドちゅーのは、まだまだ日本で認知され
    なかった時代だろ? パリ偏重で」
パパ 「そやさかい、ヨーロッパで立ち上げる必要があった」
    「しかも、成功すれば世界から注目される」
ピー  「アジアの田舎では駄目なんだね」
パパ 「三女は、60年代のミニスカートに目をつけ、
    その後 MICHIKO LONDON というブランドを立ち上げる」
    「カーネーション、ますます面白くなるぞ。イヒヒ」