2011年11月16日水曜日
ピートとパパの会話(その134 "江 戦国の姫たち")
ピー 「今日は、何の話かな?」
パパ 「ちと趣を変えて、大河ドラマ’江、姫たちの戦国’の話をしよう」
ピー 「して、どのような展開の話でござるかな?」
パパ 「脚本家の田淵久美子氏が、ドラマをどのように描いているかに
焦点を当てるでござ~る」
ピー 「ふ~ん、脚本の話なのか」
パパ 「このドラマは、女性側から見た戦国物語と言える」
ピー 「ほっほう、そこが、今までの戦国ドラマとの相違点かな?」
パパ 「そうだよん。このドラマの根底に、田淵久美子氏の一貫した平和
へのテーゼを感じる」
ピー 「はぁ、おいらはチャンバラのドラマだと思っちょった」
「して、どのように描いてるのよ?」
パパ 「まんず配役じゃが、徳川秀忠に向井理をもってきた」
ピー 「それが?」
パパ 「田淵氏は、このドラマに非力で優男(やさおとこ)の向井理を
配置することで、意図的に'平和' を醸し出そうとしたんだ」
「これは適役じゃな」
「同じように、太賀が演じる豊臣秀頼も優男に仕立てている」
ピー 「これが男性脚本家だと、強面の時代劇俳優を持ってくるのかな?」
「例えば役所宏司とか」
パパ 「それでは田淵氏の狙いである女性側から見た戦国、つまり'平和’
への感情表現がぶち壊しになる」
ピー 「真田幸村を演じている浜田学は?」
パパ 「戦国武将として、ええ味を出しちょーる」
「田淵氏は、真田幸村をまさしく軍人として描いている」
ピー 「軍人ねぇ・・・」
パパ 「権謀術数渦巻く戦国の世で、仕えるべき主人から離れず、絶対に
政治的な動きをしない。正に軍人として描き、ドラマの中で平和
とのバランスを取っている。チョイ役のように見えるが、絶妙の
配役じゃ」
ピー 「色男はいないのかな?」
パパ 「それは豊臣秀吉だよ。これも女性側から見た秀吉像であり、
好感が持てるように、かなりの脚色が施してある」
「色男というより、ただの助平親父なんだけどね。ふふ」
ピー 「なんじゃそれは」「ま、面白ければ許そう」
パパ 「さて、ドラマ後半じゃが、簡単に言えば、徳川秀忠と豊臣秀頼が
平和を模索し始め、それを江、淀、初が支援して行くという展開
だった。ここでも田淵脚本の思惑が垣間見える」
ピー 「それで」
パパ 「で、大阪夏の陣でドラマが一変する」
「この辺りはね~、田淵久美子と言えども、歴史の事実から逸脱する
訳にはいかない」
ピー 「ここは、史実に従ってドラマを描いた?」
パパ 「まぁ~、向井理と太賀を鬼にして史実に従った訳だ」
「子離れできない宮沢りえを交えてね」
「ここに 'おね' と '淀’の関係を、家康の思惑を交えて表現すれば、
もっと怪しいドラマになったのだが~・・・」
ピー 「どういうこと?」
パパ 「'おね'は、実際のところ家康に天下をやるのだが、何故やったかだ」
「それだけでもドラマが出来上がる」
ピー 「似たようなことを’その66 太宰治とチーズフォンデュ’で
話さなかった?」
↓
http://hiroigui.blogspot.com/2009/10/66.html
パパ 「ああ、言ったかも知れない」
「ここで田淵久美子氏は、大阪夏の陣の総括として、’平和な世の中に
するため、どうしても豊臣を滅ぼさねばならなかった’、と向井理に
言わせている」「これは、歴史の大義名分であり、結果論だ」
ピー 「ほと、脚本家として、史実と妥協した?」
パパ 「平和という基調からして、そのように言わさざるを得なかっただけさ」
ピー 「しかし、それは可逆的だ。家康に天下盗りの野心があるから、
平和が乱れる」
パパ 「なるほど、秀吉が天下統一を成し遂げて暫くは、世も平和だった」
ピー 「だけど、ややこしいドラマの見方をするねぇ」
パパ 「いや、これは歴史観だ」
「んで、今後のドラマ展開だが」
ピー 「はいはい」
パパ 「江と竹千代の乳母 福との跡継ぎを巡る戦いに変容して行く」
「ドラマが夏の陣で終われば、このような展開は必要無いのだが・・」
ピー 「でも、江の生涯を描いているんだろ?」
パパ 「史実では、長男の竹千代(家光)が家督を継ぐ」
「田淵久美子氏は、ここをドラマとして面白く描こうとしている」
ピー 「どのように?」
パパ 「もう平和への闘争を描く必要がなくなり、内なる女の戦いに変わる」
ピー 「ほう、女性好みのドラマになるのか」
「でも、どうして女性は、そういうことを好むのか知らん?」
パパ 「以前、ボーヴォワールの哲学の中で話したことがある」
↓
http://hiroigui.blogspot.com/2008/12/blog-post_25.html
ピー 「そういうことかいな・・・」
パパ 「で、田淵氏は、長男の竹千代よりも、次男の国松の方を特段の器量
良しとして描いている」
ピー 「ほ~?」
パパ 「ここでの表現は、二つの根拠に基づいていると考えられる」
「先ず、豊臣が滅び、平和な世の中が到来したこと」
ピー 「へーへ」
パパ 「第二に、次男国松のような政治的器量良しに政権を任すと冒険主義
に陥り、再び戦国の世にするかも知れないという恐れ」
ピー 「はは~ん、秀吉の朝鮮出兵の二の舞か」
「すると、平和維持という観点から、どちらを跡継ぎに選ぶかという
ドラマ展開にする訳だ」「そこに江と富を絡ませるんだね」
パパ 「ここに、田淵氏が、竹千代と国松を極端に異なった性格として脚色
表現した理由がある」
「それに、竹千代を跡継ぎにしたという史実があり、ドラマ化し易い」
ピー 「歴史が脚本だ」
パパ 「ま、天下統一後は、それを維持する行政機構を中心に政治が動く」
「それと、国家を維持していくには、経済的な才覚も必要だ」
ピー 「ほとだね、少々器量の劣る竹千代を核とし、その周辺に優秀な
家来を配置して、幕藩体制を維持して行くんだね」
パパ 「そう、行政主体の体制にして、平和を安定的に継続して行くんだ」
「つまり、徳川家の支配体制ね」
ピー 「武家諸法度の発布もそうだね」
パパ 「こういうことは、行政側からすれば、担ぎやすい竹千代の方がやり
易い訳だ」「最早カリスマ性や軍事的才覚・非情な精神は必要ない」
ピー 「家康や秀忠も、そのような理由から竹千代を跡継ぎに
したのかなぁ?」
パパ 「んだ。それを女性の感性で描いちょんのよ」
ピー 「ほう、このドラマの最後の見所だねぇ」
パパ 「富というのは、後の春日局だよ」
ピー 「分かった。竹千代が頼りないから、春日局が権勢を振ることになる
のか~」
パパ 「ワシも、そう考えておるのじゃよん」
ピー 「だんだんと描き方が分かってきたよ」
パパ 「この脚本の面白味は、戦国史を女性側から再考しようとしたところに
ある。それによって、歴史を違った目で捉えられるということだ」
ピー 「ほ~、戦国を男のチャンバラ物語でなく、女性という平和主義者から
見ると、こうなるということか」
パパ 「それが、このドラマにおける田淵久美子氏の狙いだ。チョーン」
ピー 「ふ~・・・」
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