2010年4月29日木曜日

ピートとパパの会話(その98 小沢が解る?⑭)


ピー  「ん? 最低裁判所の写真だね~ ↑」
パパ 「最高裁判所だよ~」
ピー  「へ? 今回は、またまた小沢どんシリーズかい?」
パパ 「いい加減に幕としたいんだが、小沢どんが何かと話題を提供
    してくれるからねぇ」
ピー  「今回は何?」
パパ 「検察審査会だよ」
ピー  「おー、小沢どんの天敵だね」
パパ 「昔、パパは、検察審査会の審査員をしていたことがあるんだ」
ピー  「ほえ、渦中の人だね」「検察審査会とは、どういう組織なん?」
パパ 「検察が不起訴にした事案を、不服申し立てによってもう一度審査
    し、起訴か不起訴かを決める会だ」
    「真の目的は、検察への権力介入を阻止することが狙いだ」
ピー  「起訴・不起訴における検察判断の妥当性を審査するのかぁ」
    「またどうして検察審査委員をしていたの?」
パパ 「'くじ' で勝手に当たったんだ」「それで裁判所に出頭せよと」
    「で、最初に裁判制度や法律用語の説明を一通り受ける」
    「半年間で何件かの審査をし、その内、不起訴相当が1件あった」
ピー  「どういう判定の仕方をするの?」
パパ 「裁判所の職員から事案の説明を受け、審査委員で議論を行う」
    「場合によっては、検察や当事者からも説明を受ける」
ピー  「ほと、法律に沿った専門的見解を出すのじゃなく、正に民意による
    判定だね」
パパ 「法律に沿った判決は、裁判官が出すんだよん。そこを間違っては
    いけない」「マスコミが、検察審査会の判定を、あたかも判決の
    ように報じるのは問題だねぇ」
ピー  「国民は、検察審査会を権力だと勘違いする?」
パパ 「そうだよん。検察審査会は、司法の独立を守る民主主義の一制度に
    過ぎない」
ピー  「なるほど~、検察の不起訴は、国家権力の介入によるものかも知れ
    ない?。 だから今一度、グレー部分を民意でもって判定しようと」
パパ 「裁判という過程を経る前に、検察だけで起訴・不起訴を決めるのは、
    公正さを欠いている場合もあり得るということだ」
ピー  「検察の政治的判断や司法への権力介入の排除か~・・・」
パパ 「例えばさ、今回の小沢どんの一件でも、宗男ハウスが検察審査会の
    判定や検察の判断に対して批判を繰り返しているが、これこそ司法
    の独立に対する権力の介入だと、パパには思えるねぇ」
ピー  「そうか、自分達に都合が悪いから介入するのか~」
パパ 「民意は介入させないが、自分達は司法に介入する」
    「これは独裁国家だ」
ピー  「何もなければ、裁判で正々堂々と主張すれば良いんだね」
パパ 「そうだよん、検察審査会の判定なんか、何も気にする事はない」
ピー  「悪さをしているから気になるんだなぁ」
パパ 「しかし、日本は法治国家だから、法に基づいての司法判断をする」
    「だから、必ずしも大衆が要求する判決にならない場合もあり得る」
ピー  「は~ん、パパが(その79)で言っていた大津事件がいい例だねぇ」
パパ 「覚えていてくれはりましたか」
ピー  「でも、宗男ハウスは、何をそんなに必死になっているの?」
パパ 「そら、宗男ハウスは、小沢どんにくっ付いていないと自分の存在
    が無くなるからさ」「自民からはホカされたし」
    「それに、小沢どんと同じ土着の利益誘導型政治だから、お互い気も
    合うんじゃないかな。ヒヒ」
ピー  「小判ザメだね。小沢どんが居なくなると困るんだ」
パパ 「さてと、今回の一件を少し推論して見ようか」「あくまで推論だよ」
ピー  「はいはい、推論ね」
パパ 「先ず、小沢どんを不起訴にした検察当局の考え方じゃが~」
    「起訴出来ないことは無いが、相手が政治的巨悪であるが故に、今の
    時期に検察が起訴すれば、司法権力による政権潰しだと批判されか
    ねない」「ここは、民意に任した方が検察としても得策であると・・」
ピー  「その推論からいくと、検察は審査会を利用したんだ」
パパ 「これは、週刊誌的主観だからね。フフフ」
    「まぁ、世論の状況から言って、検察は不服申し立てが出るのを承知
    していた筈だがね。これ推論だしね。フフフ」
ピー  「これからどうなるのだろう?」
パパ 「司法に任せておけばいい」
ピー  「宗男ハウス達が、新たな法律で検察審査会を無くすとか?」
パパ 「そこで機能するのが、内閣法制局じゃが~、小沢どんが、これを
    無力化したからな~」
    「仮に、小沢どんが嫌疑不十分になっても、民意として選挙で判断
    すればいい」
ピー  「だから~、小沢どんは選挙重視なんだねぇ」「自分の為にだけある
    民主主義か~・・・」
パパ 「結局薬局、法律の不備があるから、司法の場に民意を反映さす必要
    が生じてくる」
ピー  「ほう、政党助成金をネコババしても、罰する法律が無いとかだね」
パパ 「そうそう、これは、法律施行前に当然予想された事だが、誰か都合
    の悪い有力者がいて、制限を設けられなかったんだ」
ピー  「法の番人も甘かった?」
パパ 「さぁ、どうかな?。 ま、都合の悪い人の意見が通ったんだね~」
    「こういう事があるから、検察審査会のような民主主義を守るための
    機能が必要になってきたのさ」
ピー  「小沢どん達は、それをどんどん壊して行ってるんだね」
    「彼らを民意で監視する法的機能も必要だなぁ」

2010年4月28日水曜日

ピートとパパの会話(その97 音楽とアイデンティティ)


・・・・・・・・・・・黒服は武満徹・・・・琵琶の鶴田錦史

パパ 「しゃてと、今日は、音楽とアイデンティティについて話そう」
ピー  「アイデンティティ?」
パパ 「アイデンティティとは、心理学で自己同一性と言う意味らしい」
    「だけど、これでは何のことかさっぱり分からん」
ピー  「分からん事を話すの?」
パパ 「その国の人達が、一様に持っている固有の深層意識と言うか、
    同一性の文化ちゅーか、それがどのような形で音楽に反映され
    ているのかを聴いてみようと」
ピー  「はーん、ナショナル・アイデンティティだね」「民族意識のような
    ものか」「ほんで何なの?」
パパ 「いやさ、上海万博のテーマソングが岡本真夜の曲だったろう」
ピー  「あ~、おっ母が、上海パクリ博とか上海パク博とか言っていたね」
    「岡本真夜は焼け太りだと悪口を言う人もいるみたい。へへ」
    「でも、上海万博当局は、その後音信普通とか。パクリ天国、著作権
    無視の中国らしいね~」「万博を開催するには数十年早い?・・」 
パパ 「中国には、良い曲がいっぱいあるのに何故真似たのだろうと思う」
ピー  「そう言えばそうだね。支那の夜とか、上海の花売り娘とか」
パパ 「それは、日本人の曲! 西條八十と上原げんと,の作曲だよ」
    「で、盗作と言われている件だが、中国は西洋的な近代様式に、
    まだまだ慣れていないように思える」
ピー  「中国は、万国博という国際博覧会で、近代国家になったぞ、と世界
    に見せ付ける必要があるのだろ?」「だから万博を開催するのじゃ
    ないの?」「それがパクリ博? 分からんの~」
パパ 「だけど、頭の中が近代化に追い付いとらんから、今様の独自性を
    表現した曲が出来ないんだなぁ」「かつて、日本もそうだった」
ピー  「それで、岡本真夜の曲を?」
パパ 「近代国家の文化様式を習得し、それを国民意識として先進国レベル
    にまで高めるには、何十年という歳月が掛かる」
    「それよりも、中国のナショナル・アイデンティティを前面に出す
    方が、自然で良いと思うがねぇ」
    「例えば、これなんか良いんじゃないかな~」
http://www.youtube.com/watch?v=gDVUOzTYDOQ&feature=related
    「二胡なんかも中国のナショナル・アイデンティティだよ」
http://www.youtube.com/watch?v=6k-9qqKxcrA&feature=related
ピー  「お~、中国の音曲だ」
パパ 「国の文化によって、メロディも独特になるから面白い」
    「それでさ~、何故民族によってメロディが異なるのかという疑問が
    生じる・・」「で、少しだけその理由が分かった」
ピー  「何か民族の持つ根源的なものでも?」
パパ 「その国独特のメロディは、宗教にそのルーツがあるのかも知れない、
    とパパは思っちょるのよ」「それでは、中東の一例を」
http://www.youtube.com/watch?v=F--JD9LGFQY&feature=related
    「この聖なるコーランから中東独特の音曲が生まれた」
http://www.youtube.com/watch?v=ac8TgmYv_iQ&feature=related
ピー  「お~、これは明解だねぇ」「日本ではどうなの?」
パパ 「日本には二つの流れがある」「仏教と神道だ」
    「では仏教の音曲から聴いてみよう。先ず御詠歌ね」
http://www.youtube.com/watch?v=f8QDKMqRA6E&feature=related
    「これが民謡に繋がる。津軽あいや節を聴いてみよう」
http://www.youtube.com/watch?v=zUBFBOnqAPE&feature=related
    「そして、演歌へと発展していく」
http://www.youtube.com/watch?v=ovxDu-TDyjE
ピー  「何かこじ付けじゃないの~」
パパ 「次に神道の音曲を聴いてみよう。古代の音色だよ」
http://www.youtube.com/watch?v=UnptWMKEA4I&feature=related
    「この音曲様式が、祇園精舎、那須与一へと繋がる」
http://www.youtube.com/watch?v=xyUVT8sas6g
http://www.youtube.com/watch?v=1zsJXncKieg&feature=related
    「近代に入って、宮城道夫が表現すると、こうなる」
http://www.youtube.com/watch?v=X0OYz3qz28A&feature=related
    「そして、美空ひばりへ」
http://www.youtube.com/watch?v=83wt-YkKC9w
    「この頃になると、仏教と神道の音曲が統一され、国民歌謡となる」
ピー  「こじ付けのこじ付けだなぁ」
パパ 「んでじゃ、この日本民族の神道音曲を現代音楽に取りいれた人
    が、世界的に有名な武満徹という作曲家だ」
ピー  「ほう、現代音楽ね~」
パパ 「武満徹は貧乏でさ~、紙にピアノの鍵盤を描いて練習をして
    いたんだ」「それを黛敏郎が見かねてピアノを贈ったのさ」
ピー  「ええっ? 紙の上でピアノを練習していた~?」
パパ 「それに10代の頃は、進駐軍キャンプで賄いをしながらジャズを
    聴いていた」「この人は、中学を出て直ぐ働いたから、音楽は全て
    独学で勉強したんだ」
ピー  「ほう、面白い作曲家だねぇ」
パパ 「この辺りは、池辺晋一郎の回顧談を読むと面白いよ」
ピー  「ほう、色んな音楽家と繋がりがあるんだ」
パパ 「武満徹は、ストラヴィンスキーに見出されたんだよん」
    「では、武満徹のノヴェンバー・ステップスを聴いてみよう」
http://www.youtube.com/watch?v=I9BqooZOJnY
    「この曲で琵琶を弾いているのが、鶴田錦史だ」
ピー  「写真の人だね」
パパ 「おじさんのようだけど、この人は女性なんだ」
    「この曲は、死の音階を用いているねぇ」「夜の墓場でライブを
    すれば、物凄い臨場感を演出できる」
ピー  「ゲゲゲの鬼太郎だ。気持ちわる」
パパ 「武満徹の音楽は、西洋と日本固有の神道的潜在意識の
    融合だなぁ」
ピー  「どうして融合させたの?」
パパ 「武満は、西洋音楽嗜好だ」「だけど、西洋音楽の中に自分の
    アイデンティティを見つけられなかったんだなぁ」
ピー  「つまり、西洋音楽は、西洋人の感性でしか表現できない困難さが
    あるということ?」「技術的な問題では無さそうだね」
パパ 「そうなんだ。この民族固有の文化的感性は、生れ育った地で脳内に
    インストールされるんだなぁ」「三つ子の魂百までだ」
    「武満は、早くからその事に気付いていた、とパパは推測しちょる」
ピー  「それで、西洋音楽に琵琶や尺八の音色を取り入れ、日本人の感性を
    表現した?」「そこにしか身の置き場がないんだなぁ」
パパ 「だけど、経験したことの無い和楽器の響きで攻められると、西洋人
    はコロっと参るんだな~」
ピー  「ビートたけしがフランスで評価されるのも、そういう感覚?」
パパ 「フランス人はゲテモノ食いだ」「他の西洋諸国ではイマイチだよ」
    「故岩城宏之という指揮者が、西洋の曲をやる時はビフテキを食う
    と言っていた」
ピー  「ビフテキから西洋人固有の感覚を吸収し、指揮に生かすの?」
パパ 「本人は、そのつもりだと言っていた」「彼は武満が好きでさあ、
    故武満徹の集大成をやると張り切っていたが、その彼も他界した」



ピー  「思い出したけど、以前のジャズシリーズ(その6)で秋吉敏子の
    ことを話したろう。その時も似たような事を言ってたよね」
パパ 「さて、もう少し話を進めよう」
    「黒人ジャズピアニストのバド・パウエルが作曲したテンパス・
    フュージットを聴こう」「ラテン語で '時は過ぎ行く' という意」
http://www.youtube.com/watch?v=yrO45Tzvhxg
    「更に、ビ・バップの大御所、チャーリー・パーカーのKoKo」
http://www.youtube.com/watch?v=i_ZajJd-1kY
ピー  「凄いね」
パパ 「この黒人の感性は、一体どこから生まれるのだろうね?」
ピー  「抑圧に対する反動かなぁ?」
パパ 「ロシアの作曲家は、広大な地平線を表すような壮大さと、ジプシー
    の持つ物悲しさを同時に表現しているように感じるよ」
   (ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番)
http://www.youtube.com/watch?v=GXt_h1k5ddA&feature=related
   (チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番)
http://www.youtube.com/user/ValentinaLisitsa#p/u/99/u62s3BYpOfk
ピー  「ロシアの広大な自然から受ける感性だ」
パパ 「でも、ロシアから離れると、曲も都会人好みに洗練され、情緒的な
    作風になる」
   (ショパン ピアノ協奏曲第一番)
http://www.youtube.com/watch?v=nBGbRbUwcnI&feature=related
    「では、東ヨーロッパの哀愁を聴いてみよう」
   (ドヴォルザーク スラブ舞曲第二集72-2)  
http://www.youtube.com/watch?v=faPf92gsGgo
ピー  「チェコ国民学派だね」
    「いろいろ聴いたけど、民族固有の音色ってものがあるのか~」
    「これは、標題音楽としての聴き方だねぇ」
パパ 「その固有の音色が何に基づいているのか?、どこから来るのか?」
    「精神の感性・感受性は、何に影響されるのか?」
    「自然か、宗教か、土着の文化か、古代の文明か、興味津々考え中」
ピー  「ヨーロッパはネアンデルタール人やクロマニヨン人の生活まで
    遡り、北東アジアは北京原人、南方はジャワ原人まで遡って
    考察する必要があるよ」
パパ 「遡りすぎだ」
    「最後に、音楽と共に八ヶ岳の風景を楽しもう」
http://www.youtube.com/watch?v=v7Ca8tBgBHQ&feature=related

2010年4月23日金曜日

ピートとパパの会話(その96 小沢が解る?⑬)


ピー  「ま~た、小沢どんの発言が物議を醸し出したねぇ」
パパ 「高速道路の件だろ」
    「もう小沢どんシリーズは止めようと思っていたんだけどねぇ」
ピー  「今頃ブツブツ言い出したのは、選挙対策?」
パパ 「そう、高速道路が値下げや無料になるのはいいのだが・・・」
ピー  「本案は、事前に与党政権内で議論されてから国民に公表したん
    じゃないの?。政府案として」
パパ 「普通はね」「それをまたしても小沢どんが覆そうとしている」
ピー  「後先が逆じゃんか。与党がまるで纏まっていない?」
パパ 「いやいや、与党内で纏めた案を政府として公表したんだが・・」
    「ところがじゃよ、一部有権者から反発があって、これは参院選に
    影響しそうだと」
ピー  「様子を見ていて、そう小沢どんが思った?」
パパ 「マスコミは、高速料金を巡る小沢どんと前原兄ちゃんの対立構造
    を煽っているが、問題の本質はそこじゃ無いね」
ピー  「問題の本質?」
パパ 「この問題の本質を簡単に言うと、小沢どん独裁と言うことだよ」
    「国会内で散々野党が反対意見を述べても、聞く耳を持たなかった」
    「ところが、小沢どんの一言で鳩やんは七面鳥に変わった」
ピー  「そして、前原兄ちゃんが噛み付くと、また変わった?」
パパ 「料金への反発は、事前に予想もつき、選挙への影響も当然予想
    できた筈だよ」
ピー  「んじゃ、何故こないなことに?」
パパ 「そら、小沢どんの数読み予想が外れたんじゃよ」
ピー  「外れの原因は?」
パパ 「ひとえに人心を掴めていないからだろうね~」
    「だから、お金のバラマキで掴もうとする」
ピー  「バラマキというのは、人寄せパンダなのかぁ」
パパ 「元々諸問題の発生原因は、小沢どんの数読み予想の外れが
    原因だ」
ピー  「高速道路、普天間、子供手当て、暫定税率、農業個別補償かぁ」
パパ 「普天間を除いて10兆円以上必要じゃが、そのうち子供手当てで
    5.5兆円を必要とする」
ピー  「予算の半分以上じゃん。財源は、子供手当が圧迫しているのかぁ」
    「でも、小沢どんの目玉商品だから削減しないんだろ?」
パパ 「子供手当ての財源なんて元々無いんだ」
    「その分を他の経済浮揚策の予算削減で賄うのさ。それと国債ね」
ピー  「なんちゅう予算だ!」
    「この際、高速料金を見直すなら、全部の予算も見直すべきだよ」
パパ 「マスコミは、料金の高低問題や与党内の対立に焦点をあてるだけ
    じゃなく、小沢どんの一言で政府与党案が覆される事にこそ、問題の
    本質があると見抜くべきだね」   
ピー  「・・・小沢'ドン'独裁政権か~」
    「6月からの高速道路料金は、一体どうなるんだい???」
パパ 「この政権は、国民に訳のわーらん迷惑ばかりかけちょ~る」

2010年4月21日水曜日

ピートとパパの会話(その95 小沢が解る?⑫)


・・・・・・・・・・・・・・(西村晃一画) ・・・・・・・・・・・・・・
パパ 「久しぶりに小沢どんの話しをしよう」
ピー  「ほんと久しぶりだね。何をしていたん?」
パパ 「いやいや、議論に値しないような政権だからさ、様子を見て
    いただけだよん」
ピー  「へ~ん?」
パパ 「現政権党は、ふる~い自民の上に接木をしたようなものだね」
ピー  「ふる~い自民とは、小沢どんと鳩やんだね」
    「二人とも金権体質?」
パパ 「んだ、いくら枝葉の部分が頑張っても、根が腐っちょるからね~、
    如何ともし難いなぁ」
ピー  「そこんとこは、おいらにも解ってきたよん」
パパ 「小沢どんは、またぞろ民主主義という言葉を言い放ったが、日本で
    一番非民主的行動をとるのが彼だからねぇ」
ピー  「どういうこと?」
パパ 「最たるものは、議員立法禁止、内閣法制局の国会答弁禁止だね」
    「中でも後者の件は、憲法9条改正へ向けての試金石を打ったとも
    言えるね」「どちらも民主主義を守るための制度なんだがね~」
ピー  「議員立法禁止と内閣法制局の件は、その78で言ってたよね」
    「小沢どんは、どうするつもりなん?」
パパ 「前に言ったように、小沢どんの目的の一つは憲法改正だ」
    「その改正によって、自衛隊の海外での武力行使を狙っている」
ピー  「自衛隊の海外での武力行使?」「イラクやアフガンへの派兵?」
パパ 「それには、憲法9条を守る内閣法制局を無力化する必要が
    あるってもんだよ」
ピー  「う~ん、法の番人の無力化かぁ。なるほど、これは問題だ」
    「でも、どうしてそんなことをするのかな~?」
パパ 「国家ビジョンを語らないから何とも言えないが、世界への権力の
    誇示に利用するつもりじゃないかと勘ぐりたくもなる・・・」
ピー  「権力の権化か~」
パパ 「しかし、何れは国際圧力でそのようなことも必要になるかも知れ
    ない」「問題は、小沢どんの、そのやり方が非民主的だってこと」
    「上意下達で議論を許さない」 
ピー  「これはさ~、大変なことになる前兆だなぁ・・・」
    「沖縄問題はどうなのさ?」
パパ 「こんなの収拾つかないよ」「結局のところ、当初の辺野古案を若干
    修正する方向で落着くんじゃないのかな?」
ピー  「辺野古案の修正?」
パパ 「前政権は沿岸部の埋め立てだったが、同じ案では民主の顔が立た
    ない」「だから少し沖合いへ持って行く。それを浅瀬案と言う」
ピー  「??? 言って悪いけど、'3-' の政権だな」
パパ 「'3-'、何それ?」
ピー  「キーボードの3とーを見ればわかる」
パパ 「ああ、キーボードのひらがな対応か。ふふ」
ピー  「だけど、米国はどう思ってるんだろう?」
パパ 「米国の小浜政権は、黙って鳩やんの自滅を待っているだけさ」
    「この問題で慌てる必要もない」「単純に日米合意の履行を求める
    だけだね」「契約不履行になると、もう世界から外交的に信用
    されないよ」
ピー  「米国は、移転先の地元合意を掲げているね」
パパ 「そうだよ、米国の方が民主的な案で、与党案は地元無視だ」
ピー  「小沢どんが、基地問題を政争に持ち込むから、このような
    ことになった?」
パパ 「政争と言うより、人気取りで沖縄の票田を狙ったんだろうね」
ピー  「それが大変な裏目に出た」
パパ 「沖縄や日本から米軍を追い出すなら、日本の安全保障論議から
    始めないとね」「福島おばはんを票に取り込んでいるようでは、
    この問題は前へ進まないよ」
ピー  「小浜政権もいい迷惑だね」
パパ 「ま、米国は日本の安全保障を握っているから強いよ」
    「いざとなれば、CIAを使って小沢どんを追い落とせばいい」
    「それに、あのおっさんは対米外交の基軸というか、一貫性が
    無い」「親米か親中か解らんという誤解を招く」
ピー  「日米外交にとって危険だねぇ。どうして一貫性を欠くの?」
パパ 「小沢どんが、目前の票田にしか興味を示さないからだよ」
    「結局あん人は、単なる選挙屋だなぁ」「だから国家ビジョンを
    示せない」
ピー  「世論が反米だとパンダ国に近付いて数にする?」
パパ 「票田の数読みによって方針をコロコロ変えるからねぇ」
    「それに従って、鳩やんも発言を変える」「普天間のようにね」
ピー  「日本外交の国際的信用度に係わるねぇ・・・」
    「以前小沢どんが、大量の手下を連れてパンダ国詣でをしたけど、
    その影響は?」
パパ 「あのような外交的奇行をするから、米国の不信を買う」
    「じゃけん鳩やんが、日本と米国は同盟国である。なんちゅー解り
    きったことを、今更ながら発言せざるを得なくなる」
ピー  「米国の民主主義は、小沢独裁を許さない?」
パパ 「はは、米国はなんと言っても民主国家だよ」「そのような国が、
    権勢だけを誇示しに来る140人もの愚団と会う訳がないよ」
ピー  「米国は、民主主義を遵守しない国には厳しいねぇ」
パパ 「それに、米国は日本の軍事・経済を握っているし、その米国に
    後ろ盾になってもらうと言い成りにならざるを得ないし」
    「だからパンダ国を相手にしたのさ」
ピー  「小沢独裁を進める上で、米国の紐付きが邪魔になるって訳?」
パパ 「パパはそのように見ている」
ピー  「そこで一番組みやすいパンダ国を利用してやろうと?」
パパ 「しかし、米国の考える民主主義は、米国にのみ恩恵を与える場合も
    あるからね~。そこを見誤ってはならない」
ピー  「ややこしいねぇ」
パパ 「それに、パンダ国の国家主席が小沢どんとその手下に会ったのは、
    米国を牽制するためだからねぇ」
ピー  「牽制? その真意は?」
パパ 「パンダ国の狙いは、アジアの覇権じゃないかな」「それを達成する
    には、アジアにおける米国の影響力を弱めねばならないと・・」
ピー  「それでパンダ国は、140人の愚団に会って全員と握手までしたの
    かぁ」 「戦略的だ」
パパ 「さすれば、小沢どん政権は、いずれ沖縄から米軍を追出してくれる
    だろうと・・・」「これは地政学上の問題でもある」
ピー  「パンダ国が日本を重要視するのは、背後に米国がいるからかぁ」
    「日本国民は、そこを勘違いしてはならないね~」
パパ 「それに、パンダ国は一党独裁だ。小沢どんの趣味に合う。ヒヒ」
    「一党独裁国家は、近代法に基づく法治国家では無いが、小沢どんに
    とって、そげんことはどうでもいい。要は利用の可不可だけだ」
ピー  「小沢どんとパンダ国の利害が一致したんだ」
    「ほと、小沢どんの行動は、何もかもが独裁への手立てだと?」
パパ 「ふふふ、日本で独裁政治を行うには、先ず税金のバラマキでもって
    大衆票を集め、その後に独裁政治に都合のよい法案を山盛り通す」
    「これ即ち、議会制民主主義の盲点を突く」
ピー  「ほう、大衆票とは子供手当てのことかな?」
パパ 「しかし、ここへ来て財政面から雲行きが危うくなってきたのと、
    小沢どんのカラクリが炙り出されてきたからね~」
    「ま~、間一髪でもって日本の民主主義が守られようとしている」
ピー  「何か~、政党助成金の余りを返還制度が無いからといって、10億円
    程自分の子供名義にしたって~?」
パパ 「週刊誌にそんなことが書いてあったっけ?・・・」
ピー  「もしそうなら、税金のネコババじゃないのぉ???」
パパ 「罰する法律が無いからねぇ。そこに目を付けた」
    「大衆社会では許されない事を、平気で行う政治屋が生息できる
    体制は、日本における議会制民主主義の危機だと言える」
ピー  「それを許している与党の人々も変だよ。民主主義の放棄だね~」
    「都合よく小沢どんにぶら下がっているだけだね」
パパ 「だから接木内閣なのさ。でも根が腐っちょるし、やがて接木も腐る」
    「ま、政治が明確な国家ビジョンを示せないのは、致命的欠陥だね」
ピー  「どうすればいいのさ?」
パパ 「現政権内にも国家ビジョンを進められる人材はいる」
    「与野党を問わず、そういう人材を結集して出直すべきだね」
ピー  「それには強烈なリーダーシップが必要だね」
パパ 「するとまたぞろ権力の権化が出てくるんだなぁ、日本という国は」
    「取あえずは、問題の二人を追い出してすっきりすることだな~」
ピー  「追い出さないと、何時までも国政がごたつく?」
パパ 「そのとお~り~!」

2010年4月16日金曜日

ピートとパパの会話(その94 映画鑑賞Ⅱ)

ピー  「今日の話題は、SF映画だと言ったね」
パパ 「宇宙物のSFで有名なのが、米国漫画を映画化したスターウォーズ
    だね」「まぁしかし、この映画はまさしく漫画だね」
ピー  「漫画? でも面白いじゃんか~」
パパ 「いや~SF映画は、それなりの科学的根拠が無いとつまらないよ」
    「無いと漫画の延長になる」
ピー  「そうかね、おいらは面白いけどなぁ」
パパ 「スターウォーズの元を辿れば、千夜一夜物語に突き当る」
ピー  「千夜一夜物語? アラビアンナイトのことだね」
パパ 「そう、宇宙怪獣が出てきたりさ。これはシンドバットの冒険の
    リメークに過ぎない、とパパは思っちょる」
ピー  「そうか、シンドバットの冒険に出てくる一つ目の大男を宇宙怪獣
    に置換えたんだ」「すると、シンドバットの船は宇宙船だな」
パパ 「SF映画でありながら、チャンバラやレスリングで決着を付ける
    だろう」「これはもう、子供が観るウルトラマンの世界だ」 
ピー  「でもさ、どうしてそういう穿った(うがった)見方をするの?」
パパ 「宇宙怪獣の出方が科学的でないからさ」
ピー  「なんじゃそれは~」
パパ 「怪獣を出すにしたって、出方の根拠ちゅーもんがいるわさ」
ピー  「科学的な推論を根拠とするんかい?」
パパ 「Science Fictionじゃけん、Scienceとしての考え方が必要だ」
    「理由なく異性人や怪獣を出すのは、単なる活劇漫画だ」
    「形而上学的でSFとしての面白さに欠ける」
ピー  「ま~た、そういう訳の分からん事を言う」
パパ 「日本列島沈没も、プレートテクトニクスを根拠に展開された」
    「また、1956年に公開された’禁断の惑星’も、 精神分析学の
     'イド' という '自我の中の無意識的衝動' を根拠にしている」
  (禁断の惑星)
http://www.youtube.com/watch?v=8y4crGU7dkg

パパ 「この映画には、'イドの怪物' が出てくるんだけれど、これは
    人間の深層心理が創り出した怪物なんだ」
ピー  「すると、精神分析学を知らないと着想不可能な映画なん?」
パパ 「少なくとも精神分析上の 'イド ’ という言葉の中身を知っていな
    ければ作れないね」
ピー  「ふーん?」
パパ 「SF映画は空想の世界だから、必ずしも現実的な科学的信憑性を
    必要としない」「しかし、ストーリーは、推論に基づいた論理的 構成
    でなければ支離滅裂となる」
ピー  「SF映画を作成するには、そういう素養・教養が必要なんだね~」
    「Scienceを根拠にしたFiction映画とはそういうものかぁ」
パパ 「だから面白い。活劇が理論的に段階を追って展開されて行く」
    「20世紀のSF映画で一番興味深かったのは、2001年宇宙の
    旅だね~」

 HAL9000, ・・・・2001 Odyssey, ・・・・・・・・IBM7094
  
ピー  「2001年って、とっくに過ぎ去ってるじゃん」
パパ 「この映画は1968年に公開された」「当時、2001年くらいには
    このような宇宙の旅が可能になっているだろうという想定だ」
ピー  「宇宙の旅どころか、未だに地球周回軌道の域を出ないじゃんか」
パパ 「主題曲は、リヒャルト・シュトラウスが1896年に作曲した交響詩、
    'ツァラトゥストラはかく語りき’だよ」
  (2001: A Space Odyssey)
http://www.youtube.com/watch?v=vahx4rAd0N0

ピー  「ツァラトゥストラはかく語りきってのは、ニーチェの文学だろ?」
パパ 「若い頃、少し読んでみたが、このような哲学書は何の事かさっぱり
    理解でけなんだ」
ピー  「2001年宇宙の旅で、何でまたリヒャルト・シュトラウスの 'ツァラ
    トゥストラはかく語りき' という曲を使ったん?」
パパ 「誰も明確に解説しちょらんが、ニーチェの哲学思想である
    '永劫回帰' を意識してこの曲を採用したんじゃないかと・・・」
ピー  「永劫回帰?」
パパ 「永劫回帰とは、時を越えた連続性というか、テープレコーダーの
    テープを繰り返し再生するようなものだ」「全く同一の繰り返しと
    いうか、無限の時間の中で物質が消滅と再生を繰り返すという
    概念だ」
ピー  「さっぱり分からんの~」
パパ 「リヒャルト・シュトラウスは、その哲学思想の印象を交響詩として
    作曲したのじゃよ」 「しかし、映画と永劫回帰との関係がどうも
    しっくりこない。 未だに疑問だ」
ピー  「単純に映画製作者がこの曲を好きだっただけじゃないの~?」
パパ 「最終局面で永劫回帰を描きたかったんじゃないかと思うが・・」
    「サイケデリックな映像で終わったから、何のことか不明じゃ」
ピー  「映画音楽ごときで難しいの~、肩が凝る」  
パパ 「で、この映画の主役は、HAL(ハル)9000という人口知能なんだ」
    「このHAL9000が、二つの命令に対する矛盾から反乱を起こすんだ」
ピー  「コンピューターが知能を持つと反乱を起こすのかね」
    「鉄腕アトムの世界だ」
パパ 「実際、この映画の製作者は、手塚治虫に美術監督をやってくれと
    申し入れたそうだが・・・」
ピー  「ほう、日本のアトムを知っているんだ」
パパ 「ほんで船長は、HAL9000の反乱に対処するため、無能化の
    作業をするん だが、その最後の過程でHALがデイジー・ベルという
    曲を歌い 始めるんだ」「これは、コンピューターに対する歴史認識が
    ないと 描けない部分だ。 これには驚いたね~、流石だ」
ピー  「デイジー・ベルって?」
パパ 「デイジー・ベルは、IBM7094というコンピューターが1961年に
    世界で初めて歌った曲だ」
ピー  「コンピューターが勝手に歌うの?」
パパ 「いやいや、歌うようにプログラミングしたのさ」
    「そのデイジー・ベルをちょっと聴いてみよう。歌は中頃からだ」
  (IBM7094 Sing) 
http://www.youtube.com/watch?v=41U78QP8nBk
  (これはHAL9000のデイジー・ベル)
http://www.youtube.com/watch?v=qbqra7kRXbk&feature=related 

ピー  「IBM7094は音声合成の声だね。コンピューター丸出しだ。はは」
パパ 「これでも目を見張るような出来事だったんだから~」
    「また、宇宙船の乗員がHAL9000に聞こえないようにドアを閉めて
    話すんだが、HAL9000は窓から唇の動きを読取るんだなぁ」
ピー  「ほほう、面白い設定だね」
パパ 「こういう発想がどのようにして浮かぶのか、実に興味深い」
ピー  「ところで、コンピューターって何時頃からあるの?」
パパ 「う~ん、パスカルとか1822年頃のバベッジの失敗作からボチボチ
    話さにゃならんね~」「長くなるから別の機会にしようぜ」
ピー  「ヘ」

2010年4月15日木曜日

ピートとパパの会話(その93 映画鑑賞Ⅰ)


パパ 「YOUTUBEを検索していたら、昔観た映画が出てきよった」
    「今日は、むか~しの映画の話をしよう」
ピー  「映画の話って初めてだね。昔と言うと、いつ頃?」
パパ 「1970年前後に流行った映画ね」
ピー  「上のオートバイの写真に関係あるのかい?」
パパ 「んだ、この写真は、パパが1970年に観たイージー・ライダー
    という映画なんだ」
    「当時、この映画が何を意味しているのか分からなかったよ~」
ピー  「バイク映画じゃないの?」
パパ 「ちゃう、確かにハーレーに乗り、自由を求めてアメリカの
    ハイウェイを疾走する姿は格好よかったけどね」
    「アメリカにはこんなバイクがあるのか~、というのが第一印象」
ピー  「やっぱりバイク映画じゃんか」
パパ 「では、先ず音楽から入ってみよう。ステッペンウルフの
    'ワイルドで行こう’だ」
  (Steppenwolf - Born To Be Wild)
http://www.youtube.com/watch?v=rMbATaj7Il8&feature=fvw

ピー  「ほう、正にアメリカンスタイルの映画だねぇ」
パパ 「さてと、映画の筋書きは誰かに任すとして~・・・」
    「この時代のアメリカは、ベトナム戦争の疲れや体制批判から、
    ヒッピームーブメントという社会現象が起こっていたんだ」
ピー  「自由や新しい価値観を求める若者の間で、世界的に共感された
    アメリカのサブカルチャーだね」「1969年のWOODSTOCKだ」
パパ 「そう、その自由を求める行動がヒッピームーブメントじゃったが、
    しかし、それは同時に既存の社会体制との間で軋轢を生んだ」
ピー  「それが、イージー・ライダーという映画?」
パパ 「その自由な価値観を求める若者と既存社会との軋轢を題材に
    した のがこの映画だと理解できたのは、ずっと後になってからだ」
ピー  「何故、若いときには理解できなかったの?」
パパ 「それはね、社会に対する経験不足からくるんだ。全体を見て総合
    的に判断する能力が、若いうちは何故か備わらないんだなぁ」
ピー  「以前の会話で、そのような事を話さなかったっけ?」
パパ 「マックスウェーバーの没価値性理論の事だろう」
ピー  「そうそう、物事を客観的に捉えるには、価値判断という基準を
    持ち込んでは駄目だとか言っていたね」
パパ 「そうだよん、価値観というのは人によって異なる」「じゃけん、
    客観性を担保するには、価値判断を排除して物事を考える必要が
    あるのじゃよ。これがまた難しい」
ピー  「おいらが分からないのは、何故最初にアメリカでヒッピームーブ
    メントが起こったのか、だよ」
パパ 「ま、アメリカの若者は、ベトナム戦争に命を掛けねばならない
    絶体絶命の状況だったからねぇ」
    「で、その絶望感から逃れる手段を、ヒッピーという自然回帰運動
    に求めたのだろうね」
ピー  「ほと、戦争で死ぬかもしれない精神状況から生まれた運動と、
    日本のそれとでは雲泥の違いがある?」
パパ 「日本のヒッピームーブメントは、単なるファッションだった」
    「そういうファッション感覚でこの映画を観るのは如何なものかと」
ピー  「自然回帰運動がファッション?・・・、そ~れはアメリカの 若者に
    失礼だよ」
パパ 「日本のヒッピー達は、ファッションで与論島にコミューンを作った
    んだが、結局何も得るものが無く、殆どの者が元の社会へ逆回帰
    して行った」「時が経てば流行も去るのさ」
ピー  「ふ~ん、そんなものかね~」
パパ 「この事はね、当時、実際に与論島へ行ったパパの知り合いが
    言っちょった」
ピー  「しかしねぇ、既存社会はどうして若者たちの自由を拒んだのさ」
パパ 「一つはロングヘアーという風体や、今までになかった価値観での
    生き方を求めたからだろうね」
    「しかも彼らは、既存社会を否定しようとした。そこが問題だ」
ピー  「どういう問題?」
パパ 「国家は有限だから、価値観の異なる双方が同じ体制内に同居する
    ことになる」「つまり、既存社会は彼らヒッピーを法の下で養う ことに
    なるのじゃよ」
ピー  「そうか、ヒッピー達は既存社会の恩恵を享受するだけで、自らは
    既存社会に貢献しないんだ」
パパ 「だから既存社会は、彼らを排除しようとするのさ」
ピー  「体制の危機だね。だとすれば、言わば弾圧を受けたんだ。彼らは」
パパ 「映画ではさ、既存社会がそういう若者を徹底的に排除して行く」
    「既存社会を作ってきた年寄りは、大抵保守的だ」
    「何故ならば、現在の生活だけを守ろうとするからね」
ピー  「イージー・ライダーは、そういう映画かぁ」
パパ 「当時は格好良さばかり目立ったんだが、ロケット工学の糸川教授
    が イージー・ライダーを観て、アメリカ社会の考え方を表現している
    映画だと言った。1970年頃にね」
ピー  「アメリカ社会を表現?」「糸川教授って?」
パパ 「糸川教授は、後の組織工学研究所長だ」
ピー  「ああ、研究所の連中とスパイ大作戦を必死に見ていた先生だろ」
パパ 「そう、'おはようフィリップス君' で始まるあのTV番組ね」
    「与えられた課題をどのように解決して行くかを、必死になって
    見ていたんだ。組織工学的にね」
ピー  「なんだ、仕事で見ていたのかぁ」
パパ 「彼が言うには、アメリカ社会を標準偏差の正規分布として図示
    すると、その両端の部分を切り捨ててしまうのがアメリカ だと」
    「当時のアメリカ社会を指して、そう言っていた」
ピー  「正規分布って上のグラフ? 釣鐘型だね」
パパ 「例えば、縦軸を人数、横軸を社会への帰属意識だと考えて集団の
    バラツキを見るんだ」
ピー  「普通の人は、真ん中に一番多く集まっているんだね」
    「で、社会への帰属意識が低い集団と高すぎる集団はいらないと?」
パパ 「糸川教授は、アメリカ社会をそのように表現していたな~」
ピー  「帰属意識が高すぎる集団って何よ?」
パパ 「高すぎる集団とは、全体主義を指しているんだろうねぇ」
ピー  「帰属意識が低い集団はヒッピーだね」
    「社会的な帰属意識が低いのは、自由と言う事かな」
パパ 「そうとも言えない」
    「ヒッピーのコミューンは、既存社会の制度を否定する者が集まった
    新たな社会体制だ」「社会である以上、やはり自由が制限される」
    「例えば、文明的な物を持ち込んではいけないとかさ」
ピー  「そうか~、ヒッピーコミューンは、自然回帰としての社会なんだ」
パパ 「ところがやね、自由だけを求めて、制度を否定した社会は維持
    出来ない」「だから何処のコミューンも、時を経ずして崩壊して
    行ったのさ」
ピー  「自由はあるが、考え方はバラバラって訳か」 
パパ 「社会は、正規分布で説明できるほど単純じゃないんだ」
ピー  「映画がややこしくなってきたな~」
    「バイクが良かったでエエじゃんか~」「娯楽としての映画を難しく
    考え過ぎだよ」「映画は楽しむことを優先しないとね~」
パパ 「よし、次回は楽しい筈のSF映画について語ろう」

2010年4月9日金曜日

ピートとパパの会話(その92 音楽の演奏時間)


ピー  「うん? 真ん中の写真は豊田勇造さんじゃんか」
パパ 「そうだよん、以前LPを出していたんだ」「シングルじゃなくて
    演奏時間の長いやつね」
ピー  「LPって?」  
パパ 「Long Playingといって、片面約24分のレコードだよ」
ピー  「1曲3分として、片面8曲分だね」
    「音楽の演奏時間というのは長短があるけど、どうしてかなぁ」
パパ 「そうね、長いのは1000年という演奏時間のものもあるし、
    ま、普通の歌謡曲なんかは3分位だね」
ピー  「千年? なんじゃそれは~」
パパ 「こんな長いのは冗談でやっているのであって、芸術的価値が
    あるとは思えない」
ピー  「クラシックでも小品集は3分位だろ?」
    「曲の時間を決定付けている要素ってのは何だろうね」
パパ 「歌謡曲やクラシックの小品集が短いのは、作曲者の感情持続が
    おおよそ3分で途切れるからじゃないかなぁ」
ピー  「それ以上は持続出来ないの?」
パパ 「う~ん、精神的に疲れるというか、緊張が持続しないんだな~」
    「何をどのように感情表現するかで曲の長短が決まるのだろうけど」
ピー  「オペラの演奏時間が2~3時間と長いのはどうして?」
パパ 「オペラは、物語を曲にしたものだからさ。小説と同じだ」
    「一時の感情を曲にあらわしたものは、3分でチョンになる」
ピー  「人間ちゅーのは、どうして感情を音に置き換えるの?」
パパ 「ま、自然界でいう求愛行動が昇華したものだろうねぇ」
ピー  「昇華? 人間は面倒な動物やのう~」
パパ 「文化と言っちょくれ」
ピー  「ジャズは、3分で終わる曲が多い気がするね」
パパ 「そうだね。それも一本調子の感情表現だ」「日本の民謡も
    似たような調子だなぁ」
ピー  「でもさ、俵星玄蕃や八百屋お七は結構長いじゃんか」
パパ 「古くさ~、そんなのよく知っているね」「この2曲は物語風
    だから長いんだ」
(長篇歌謡浪曲 元禄名槍譜/ 俵星玄蕃:たわらぼしげんば)約8分半
http://www.youtube.com/watch?v=vmrFoOMnV5E&feature=related

ピー  「八百屋お七も物語風だから約5分半かかっているね」
パパ 「この八百屋お七を宴会で歌われると途中で飽きる」
    「1時間近く演奏する交響曲に比べれば短いけどね」
ピー  「メンデルスゾーンの真夏の夜の夢とか、ムソルグスキーの
    禿山の一夜なんかも物語風だね」
パパ 「真夏の世の夢は、シェークスピアの戯曲を元に、メンデルス
    ゾーンが17歳の時に作曲したんだよ」
ピー  「ほう、17歳の感性か~」「ゴルフの遼君と同い年じゃんか」
パパ 「指揮者によっても演奏時間に差が出てくるよ」
    「ベートーヴェンの第五'運命' は、トスカニーニが振るとチョイ
    短くて29分、フルトベングラーで36分弱くらいかな」
ピー  「ほ~ん・・・」
パパ 「第六'田園' では両者の演奏時間が逆転し、その差4分となる」
    「指揮者の僅かな感性の違いが演奏に影響を及ぼし、そのため
    このような時間差が生じるんだろうね」
    「だから、放送局が録音盤をかけるとなると、 同じ曲でありなが
    ら時間調整が大変になる」
ピー  「ええ? どうするのさ?」
パパ 「放送時間が足らなくなると、僅かに曲のスピードを早くする」
    「ほと、音色が変わるから絶対音感の持ち主は?となる」
ピー  「な~んかマラソンのタイムを計っている感じだなぁ」
パパ 「時間だけじゃなく、作曲者の精神状態が、各楽章の作風に与える
    影響もなかなか面白い」
ピー  「精神統一が出来なくてバラバラになるのかい?」
    「それとも気が変わるとか?」
パパ 「その違いを楽しむと言えばそうなんだが~・・・」
    「んじゃ、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番'月光'でその差を
    聴いてみよう」
    「ウクライナのヴァレンティーナ・リシッツの演奏だよ」
    「欧州文化の感性を共有しているから、 ホロヴィッツの演奏と
    遜色がない」
    「全楽章で14分の演奏だ。先ず第一楽章と第二楽章ね」
 (月光第一、二楽章)
http://www.youtube.com/user/ValentinaLisitsa#p/u/11/UHd8jwXBzXE

ピー  「中学校で聴くのは第一楽章のみだね」
パパ 「それでは第三楽章を聴こう」
 (月光第三楽章)
http://www.youtube.com/user/ValentinaLisitsa#p/u/12/zucBfXpCA6s

ピー  「なんじゃこれは~、同じ作曲者とは思えないねぇ」
パパ 「第一楽章は、ロマン派の詩人ルートヴィヒ・レルシュタープが
    言ったルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟、のような表現だ」
ピー  「第三楽章との差は数分だろう?その数分間に何が起こったのさ」
パパ 「ま、数分間で作曲した訳じゃないからさ」
    「では、ベートーヴェンの心模様を少し考察してみよう」
ピー  「ほら始まった・・へへ」
パパ 「この曲は、ベートーヴェンの不滅の恋人、イタリアの伯爵令嬢
    ジュリエッタ・グイチャルディに捧げるために作曲されたんだ」
ピー  「ほほう、パパの言う求愛行動が昇華した曲だね」
パパ 「第一楽章は、ジュリエッタに対する想いを切々と表現している」
    「この楽章は、まるで詩人のような精神状態で作曲されている」
ピー  「ふ~む、第二楽章も同じような感じだね~」
パパ 「ところがじゃ、ベートーヴェンは、第三楽章に差し掛かる手前で
    フっと自分の境遇を思い出したのさ」
ピー  「ジュリエッタとは、14歳という年齢差があったから?」
パパ 「それよりも、ベートーヴェンを悩ませたのは、相手が伯爵令嬢
    だったことと、自分が病気がちだったということさ」
ピー  「山口百恵のイミテーション・ゴールドだな」
    「・・若いとおもう 今年の人よ 声が違う 歳が違う 夢が違う
    ほくろが違う・・、ってね」
パパ 「なんじゃそれ?」
ピー  「で、それを第三楽章手前で思い出したと?」
パパ 「でなければ、突然このような発狂したような音楽表現には
    ならん」 「しかし、この物凄い抑え難い感情の高ぶりを伴った
    音楽表現が、 パパは好きなんだな~」
ピー  「またどうして?」
パパ 「ハイリゲンシュタットの遺書を書く前のベートーヴェンの
    精神状態を最もよく現しているからさ。1801年の作曲だ」
ピー  「ハイリゲンシュタットの遺書を書いたのは1802年だったね」
パパ 「人生で最も悩んでいた頃だ」
    「しかしだよ、中学校で習った’月光’には問題がある」
    「その問題のために第一楽章しか聴かせられなかったと、
    パパは 考えているのじゃよ」
ピー  「問題って何よ?」
パパ 「音楽の先生は、ベートーヴェンが盲目の少女のピアノ演奏に
    魅か れて、その場で月光を作曲した、と教えた」
    「しかしこれは、日本で作られた物語だ」
ピー  「ほと、物語のイメージからして、強烈な印象の第三楽章は聴かせ
    られないんだ」「日本の音楽教育は変だねぇ」
パパ 「音楽は、その曲を作った作曲者の精神状態やその感情を踏ま
    えて聴くことで、より多くの感動が沸いてくると思うんだ」
ピー  「そうでなければ、単に音を聴いているだけなんだね」
パパ 「そう、ブラームスの弦楽六重奏曲も、シューマンの妻クララへの
    想いを曲に託したものとして聴くと、新たな感動が沸いてくる
    というものだよ」
ピー  「なるほど~、そういう聴き方もあるんだね~」
パパ 「では、 ベートーヴェンの'熱情' を聴いてみよう。これは遺書後
    の作品だから、同じ第三楽章の高まりでも、少し感情の抑制が効
    いている」
 (熱情 第三楽章) 7分半
http://www.youtube.com/watch?v=xz7usUEPWsc&feature=fvw

ピー  「う~ん、おいらには大差なく聴こえたけどねぇ」
    「それよりも、ベートーヴェンは感情の起伏が激しすぎるよ」
    「まるでゴッホのようだ」
パパ 「それがベートーヴェンの最大の魅力だ」
    「芸術家は、感情の起伏が激しいから芸術家足りうる」
    「その激しさが人々に感動を与えるというもの。小説家も然り」
ピー  「ベートーヴェンって、古典派だろう?」「それにしては個人の
    感情が剥き出しだね~」
パパ 「古典派とロマン派の中間だね」
    「でも、音楽表現としては、ロマン派の方が優雅で正に浪漫的だ」
ピー  「ロマン派とは、どういう派なの?」
パパ 「古典派が形式を重んじたのに対し、ロマン派は形式より個人の
    感情表現を重視した」
    「ロマン派の音楽は、情緒的、主観的、空想的だと言える」
ピー  「ちゅーことは、フランス革命に起源を持つ自由思想から来ている
    んだね」
パパ 「んだ、形式主義の打破だ。それによって作曲者自身の個性が強く
    出てきたのがロマン派の特徴と言えるね」
    「例えば、同じ年代でありながらショパンとシューマンの作風は
    全く違う」
ピー  「バロックや古典の音楽が、どれも似たような作風なのは、形式に
    縛られているからか~」
パパ 「多分そうだろうね」
ピー  「作曲者の昇華した感情表現かぁ」「音楽の聴き方が変わるね」

2010年4月6日火曜日

ピートとパパの会話(その91 ファイヤープレース)



パパ 「昨年来、山盛り積んでおいた剪定屑をやっと燃やすことができた」
ピー  「桜の剪定をした時の枝だね」
パパ 「太いものは蒔きストーブ用にご近所の人が持って行き、その残り
    を燃やしたんだよん」
ピー  「野焼きは禁止じゃないの?」
パパ 「んだ、廃棄物の処理及び清掃に関する法律第十六条の二で
    廃棄物の焼却は原則禁止されている」
ピー  「だろう~」
パパ 「が、実は例外事項が設けられていて、例えば宗教行事とか焚き火、
    その他日常生活を営む上で通常行われる廃棄物の焼却であって軽微
    なものは許されておるのじゃよ」
ピー  「ああ、それで京都の五山の送り火は禁止されていないのかぁ」
    「じゃ~、キャンプファイヤーは?」
パパ 「キャンプファイヤーも例外に含まれる」「剪定屑の焼却とか日常
    行われている焚き火も例外事項だ」「但し、軽微な焼却と言っても
    産業廃棄物の焼却は駄目だよ」
ピー  「焚き火も煙が出るから街なかでは無理だね」
パパ 「ま、ピートの庭なら何とか許されるかなぁ?」
    「で、その焚き火用にファイヤープレースのデザインを考えちょる」
ピー  「ファイヤープレース?」
パパ 「一般的には暖炉を指すんだけど、アウトドアでの焚き火用の場所も
    似たような意味合いで使われている」
ピー  「そのデザインとは?」
パパ 「地面を円形に掘り、その周りに岩石を配置するんだ」
    「石だから重いぞ~」
ピー  「ご苦労なこったい」
パパ 「焚き火をしながらコーヒーを沸かしたり、ダッチオーブンで料理を
    したり、そういうことができるように設計するんだよ」
ピー  「おいらは食べるだけでいいよ。準備はパパたちに任すからね」
パパ 「このファイヤープレース、考えると中々難しい」
    「これは庭師の仕事だな~」
ピー  「ほと、素人がやるとなると時間が掛かるね」
パパ 「ま、ぼちぼちやるしかないね」 「下の写真は、仮に石を置いて
    みたところだよ」「基本はこういうグランドデザインね」

2010年4月1日木曜日

皆様よろしくお願いします


ピートとパパの会話はこちらで行うことになりました~。
これからもよろしくお願いします。