2011年9月4日日曜日

ピートとパパの会話(その128 音楽と学習臨界期(後編(1))


パパ 「それでは前回の続きをやろう。後編その(1)ざんす」
ピー  「学習臨界期の話だね。笈田敏夫がどうとか?」
パパ 「笈田敏夫は、何故ジャズを好きになったのか?
    ということから話していこう」
ピー  「でも、笈田敏夫って1925年生まれだろう?」
パパ 「2003年に亡くなったよ」
ピー  「そんな古い時代の人がジャズを?」
    「それと、どうして笈田敏夫に興味を持つの?」
パパ 「戦前は英語がご法度だったし、当時の日本人の感覚から
    しても、ジャズが好きになるなんて殆ど有り得ないことだった」
    「そいう中で、笈田はジャズをやった。だから興味がある」
ピー  「町内でABCなんて言ったら警察に捕まったんだろう?」
    「それなのに、またなんでジャズなんか?」
パパ 「昔、インタビューで彼が言っていたのは、’僕が潜水艦の
    通信士官をしていた頃、軍用無線機から米国のジャズが聴こ
    えて来た。こんな素晴らしい音楽を作る国とは、一体どんな
    国だろうと思った。それ以来、内緒で聴いていた’。と、さ」
ピー 「相手国と戦争をしているんだろう? 非国民じゃんかぁ」

パパ 「彼がジャズを素晴らしいと感じたのは、ピアニストであった
    父親の影響を受けたからだと思う」
    「彼の父親は、ベルリン国立音楽学校に留学していたんだ」
    「んで、笈田敏夫も4歳までベルリンで育った」
ピー  「ほう、総じて言えば、音楽に国境は無いということかぁ」
パパ 「彼が日本海軍に居たのは、二十歳の頃だったから、まあ多感
    な時期にジャズの洗礼を受けたことになる」
ピー  「ふ~む、学習臨界期の上限ギリギリの年齢だな~」
パパ 「笈田に関しては諸説あって、17歳頃にインチキレコードで
    一儲けしたとか、どうもはっきりしない部分もある」
ピー  「戦時中だからね~」
パパ 「では、笈田敏夫のジャズボーカルを聴いてみよう」
    「ジャズというより、ポップスなんだけどね」
    「女性ジャズシンガーの真梨邑ケイとのデュエットで
    ’久しぶりね’って曲だ」
ピー  「真梨邑ケイって、行動に少々難アリの人だろう?」
パパ 「それはどうでもいい」



ピー  「こういう曲を潜水艦の軍用無線機で聴いていたのかぁ」
パパ 「当時の日本は、威勢のよい軍歌一辺倒だったからねぇ」
    「そらもう魅かれるわさ」
    「ま、日本では’酋長の娘’が精一杯の頃だ」



ピー  「日本の旋律は、米国のジャズと趣きが異なるね~」
パパ 「国民性の違いが出ているんだろうね」
    「何たって戦意高揚にジャズを使ったんだから、米国は~」
ピー  「日本の歌は、何だか民謡仕立てにも聞こえるね」
パパ 「弥生時代から続く稲作文化の感性だ」
ピー  「米国は狩猟民族の感性?」
パパ 「皆さん欧米人を狩猟民族に例えるが、むしろ牧畜の方が
    盛んだ」「それに、イタリアの一部では稲作もしている」
ピー  「は~ん?」
パパ 「日本人も、その昔は狩猟をしていたのだから、有史以前の
    狩猟・稲作でのDNA的分類比較は当たらないかも」
    「換言すれば、音楽的感性の醸成は、もっと文明的・文化的な
    要素が強いのかも知れない」
ピー  「ってことは、音楽が独裁政権に利用される可能性も?」
パパ 「学習臨界期に、権力が望む単一の音楽的感性を刷り込まれ
    ると、 権力者を讃えるものばかりを量産することになる」
ピー  「それは駄目だ」
パパ 「芸術に必要なもの、それは自由の精神じゃ」
    「そのことについて、遠い昔に話した記憶がある」↓

http://hiroigui.blogspot.com/2008/06/blog-post_12.html

ピー  「だけど、パパの認識も怪しい。芸術はもっと素朴なもので、
    自然から受ける感覚的なものを表現していると考えるべきだよ」
パパ 「それは近代以前の話だねぇ」
    「さて、次は中本マリのジャズボーカルを聴こう」
    「彼女は思春期に音楽教育を受けたから、音程が極めて安定
    している」「続きに阿川泰子が歌っているが、気にしなくて
    いいよ」
    「埋め込みコードが無いからURLから聴いてね」↓ 

http://www.youtube.com/watch?v=DGv6uR6LZUQ&feature=related

ピー  「ほう、日本人とは思えないスウィング感だね~」
パパ 「そう、黒人歌手のように堂々と歌っている」
    「学習臨界期に正しい教育を受けると、何にでも応用可能な
    感受性が出来上がる」「秋吉敏子然り」
    「ま、中本マリの雰囲気は、肝っ玉母さんのようだがね」
ピー  「でもさ、外国の歌は歌詞が分からないしな~」
パパ 「そういう場合は、歌手から雰囲気を読取るしかないねぇ」
    「そこでだね、由緒正しい日本の感性を聴いてみよう」



ピー  「ほっほう、演歌の真骨頂が出ているねぇ」
パパ 「さてと、ここで演歌とポップスの根本的な違いを考えよう」
ピー  「違い? 同じ音楽じゃんか?」
パパ 「ほら、今回は学習臨界期の話だからね。そこから両者の
    違いを 考えてみようという訳さ」
ピー  「どうでもええ話に思えるがね~」

パパ 「日本人は、先ず青年期までに日本固有の文化的要素を
    社会や家族によって脳に刷り込まれる」
ピー  「それと演歌との関係は?」
パパ 「演歌歌手は、抜群に歌が上手い。どうしてだと思う?」
ピー  「そう言えば、ポップスの歌手は ?? な歌い方の人がいるね」
パパ 「演歌は、日本人の心の中の美意識を歌う」
    「だから、歌詞の内容表現に重点を置いている」
    「これは、日本文化における精神世界の表現だから、
    日本人に対して誤魔化しが効かない」
ピー  「ほう、演じる歌んだ。だから演歌というのかぁ」
    「ほと、演歌歌手の表情や仕草も重要になるね」
パパ 「外国育ちの人が、それを醸し出すことは難しい」

ピー  「侘び寂びの文化かぁ。日本人にしか分からない世界だね」
パパ 「そのため作曲者は、演歌歌手に徹底的な歌唱教育を行う。
    腹式呼吸から始まり、演歌の感情表現まで全てだ」
ピー  「マイフェアレディだね」
パパ 「これは、日本での学習臨界期における生活体験があって
    こそ 受容可能だと思われる」
ピー  「それで演歌歌手は歌が上手いのかぁ」
パパ 「心で歌い、心で聴くから、下手糞だと国民が納得しないよ」
ピー  「それに比べれば、日本のポップス歌手は自分流だねぇ」
パパ 「ある時、大工の棟梁が、洋間は徹底的に誤魔化せるが、
    日本間は誤魔化せない、と言っていた。それと同じだ」
ピー  「な~るほどぉ」

パパ 「さ~てさて、ここで学習臨界期に養われた生活体験が、
    最も顕著に現れた事例を見てみよう。と思ったが、益々
    話が長くなるので、次回の後編(2)で話そう」
ピー  「3部作かい。何時もながら話が長いのぉ~」

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