2012年11月9日金曜日

ピートとパパの会話(その142 ”晩秋へのいざない” )

 (晩秋の紅葉ロードと比良山系)

パパ 「そろそろ晩秋だね」
ピー  「もう晩秋だよん」
    「柿も喰った。栗も喰った。芋も喰った。アケビも喰ったし、
    後は冬眠するだけ。おっと、松茸はどこだ?」
パパ 「そんなもの無い。エリンギにしとけ。歯応えは同じじゃ」
ピー  「はっ、はっくしょーん!・・・・・・」
パパ 「さて、晩秋に似合う曲と言えば、枯葉だね」
    「まんず、ドリス・ディから聴いてみよう」


ピー  「歌唱の雰囲気が晩秋だね~。それにストリングスのハーモニーが
     綺麗だ」
パパ 「夏にこの曲を聴いても気持ちがついてこない」
    「では、元祖フランス語で聴いてみよう」
    

ピー  「お~、ジュリエット・グレコじゃん」
    「ドリス・ディより感傷的だね~」
パパ 「元々枯葉はシャンソンなのじゃよ」
    「フランス語ちゅーのは、ヨーロッパの晩秋によく似合う」
ピー  「ストリングスやアコーディオンの音色も汎ヨーロッパ的な印象だ」
パパ 「ヨーロッパの印象派と言えば、ドビュッシーじゃな」


   「このYOUTUBEは誰がUPしたのか知らないが、評価欄のように
    表題画と曲がマッチしていない感じがするなぁ」

ピー  「よくわーらんが、そんなものかね~」
パパ 「多分、印象派の作曲者と画家を同列視したのだろう」
    「絵は後期印象派のスーラ作”アニエールの水浴”だが、
    ドビュッシーは印象派ではないという人もいる」
ピー  「だから、絵と音楽に若干の違和感を伴うのか」

(モネとスーラの作品 同じ印象派でも明らかに作風が異なる)

パパ 「また、元々印象派の絵画は遠近法を無視したところから始まるが、
    スーラはしっかり遠近法を取り入れてお~る」
ピー  「でも印象派独特の点描法で描いているじゃんか」
パパ 「だから印象派の分類に入れるんだが、作風は人物を
    バランスよく配置し、計算された幾何学的構図になっている」
    「これは近代絵画の始まりというより、元祖ポスター画だなぁ」
ピー  「そんなことを言ったら叱られるぞ~」
    「でもヒロ・ヤマガタと同様な作風に思えるね」


(紅葉の八ヶ岳ロングトレイルを行く)

パパ 「ではと、枯葉が新大陸へ上陸すれば、こうなるという見本を
    聴いてみよう」
    「スタンリー・ジョーダンの枯葉ね」


ピー  「おやまぁ、えらく感じが違うね」
パパ 「リズムセクションが入るとこうなる。ま、リズムセクションの
     音頭が異なるんだな」
    「これは、叙情や哀愁を醸し出すというより、ただの技術的な
    演奏アクションになっちょる」
ピー  「パリの晩秋という季節感も無くなるね」
パパ 「マイルスの枯葉も殆ど季節感が無い」
    「ま、ジャズはリズムを基調としているから、四季の情感を表現
    する感性に乏しい」
ピー  「ジャズね~、ロマンチックじゃないねぇ」

    (若き日の LEE MORGAN)

パパ 「もう一発、叙情的美旋律が無くなった曲を聴いてみよう」
    「リー・モーガンの The Rumproller から Desert Moonlight ね」


ピー  「おお、昔聴いた旋律だ。これは”月の砂漠”だな」
    「だけど途中から月の砂漠じゃなくなってるよ?」
パパ 「そうなんよ。ワシは、これをジャズのソナタ形式と呼んじょる」

ピー  「呈示部、展開部、再現部に分かれているあれかい?」
パパ 「そう、クラシックでいうソナタの第一楽章に相当する」
    「呈示部は、第一主題と第二主題に分かれる」
ピー  「ほと、最初に始まる月の砂漠の旋律が主題?」
パパ 「その前にピアノとリズムセクションによる序奏がドン々と入る」
    「それから主題となる旋律が始まる」
ピー  「その旋律は、第一主題と第二主題に分かれているの?」
パパ 「第一・第二主題は調性が異なるのじゃが~・・・」
    「ま、クラシックの古典派でもなかろうから、厳格な形式主義は無視」
ピー  「自由と解放のジャズだからね。へへ」

    (音羽山トレイルの陽だまりにて)

パパ 「さて、次の展開部は1分27秒後から始まる」
    「ここからがジャズの真骨頂なんだよ」
ピー  「そうかね。なんやよう分からんが」
パパ 「展開部は、第一主題と第二主題の対立(転調の繰返し)が
    ソナタ形式の特徴なのだが・・・」
    「ジャズの場合、この対立を演奏者が即興で行っていると、
    ワシは考えとるんだ」
ピー  「考えるのは、誰でもする」

パパ 「では、1分27秒後からの演奏をもういちど聴いてみよう」
    ーーー画面の進行をマウスで調整してねーーー

ピー  「何やら元の旋律から離れて訳のわーらん曲になってる」
    「これが、ジャズでいうアドリブとか即興演奏かいな?」
パパ 「そうだす。呈示部の旋律を基に、独奏楽器が思い思いの
    アドリブや即興演奏を繰り広げるのさ」
    「この独奏楽器による即興演奏は、ベートーベン時代からある」
    「それをクラシックでは、カデンツァと呼んじょるんよ」

ピー  「ほんで各主題による展開部の対立とは?」
パパ 「ジャズでは、主題の対立を展開部の独奏楽器でやっているんだ」
    「リー・モーガンがペットでパパァとやると、それに対抗して
    テナーサックスのジョー・アンダーソンがブリブリとジャブを連発する。
    また、ピアノも途中からチャチャを入れてくる」
    「ジャズの展開部は闘争だ」
ピー  「ほう、これがジャズの掛け合いかぁ~」
    「この展開部をより自由にしたのがフリージャズだね」

    (FREE JAZZ の面々)

パパ 「フリージャズは、旋律が破綻しとる。オーネット・コールマン、
    アルバート・アイラー、チャールズ・ミンガス」
    「この連中は訳が分からん」
ピー  「エリック・ドルフィーも、そのけがあるね」
パパ 「ドルフィーのバスクラは、チャルメラに聴こえる」
ピー  「無茶苦茶言うねぇ」

パパ 「んで展開部では、皆さん強烈に自己主張を始める」
    「それまでは、作曲者に支配された演奏になっているんだ」
パパ 「そうして7分37秒後に元の旋律に戻ってくる」
    「これが、再現部だ」
ピー  「すると聴衆は、ここでこの曲が”月の砂漠”だったことを
    思い出すという寸法かぁ」

パパ 「再現部で重要なのは、展開部で対立していた二つの主題が、
    ここで統一(調性の統一)されることなんよ」
ピー  「ん?」
パパ 「クラシックでは各主題の調を統一するが、ジャズは展開部を
    奏でていた独奏楽器が旋律に統一される」
ピー  「またそういう訳のわーらん事を言う」

パパ 「訳の分からん事をもう一発言おう」
    「ソナタ形式は、対立する二つの主題が展開部を経て統一される
    という極めて論理的な展開を見せる」
ピー  「分かった。これ即ち弁証法と言いたいんだろう?」
パパ 「当たり。ジャズも論理的な楽典で構成可能ということだよ」
ピー   「パパは弁証法が好きだねぇ」
パパ 「物事の仕組みや歴史の発展形態を理解する公式のようなもの
     だからね」
     「ま、弁証法の抵抗し難い誘惑というところかな」
ピー  「ジャズは、クラシックと何等遜色の無い音楽ということか」

 (晩秋の八ヶ岳南麓にて)

パパ 「では、最後にラ・ヴィ・アン・ローズを聴いて終わろう」
ピー  「ばら色の人生だね」