2011年9月21日水曜日

ピートとパパの会話(その131 映像と音楽(2))



パパ 「今日は、チャールストンがとんでもないところに影響を
    及ぼしたという話から始めよう」
ピー  「どんな影響を何処に及ぼしたのかな?」
パパ 「まんず、この映像からね ↓」



ピー  「なんじゃこれは? ドリフのひげダンスじゃんか」
パパ 「このリズムの元は、テディ・ベンダーグラスのDo-Meという曲
    じゃが、問題は踊りのスタイルだ」
ピー  「ふざけて踊っているだけだろう?」
パパ 「彼らはエンターテイナーだ。何処かにネタはないかと、常に
    魚の目鷹の目で探しておーる」
    「しかもドリフは演奏家だ。音楽を辿って行くのが常套だよ」
ピー  「ふむふむ」
パパ 「そして、遂に彼らはネタを見つけたのじゃよ。それが下の画像だ」
   「手足の動かし方をよ~く見てみよう」



ピー  「リズムも踊りも、ひげダンスに似てはいるけどぉ?」
パパ 「これは、1920年代のチャールストンだ。この映像がドリフに影響を
    与えた」「リズムは、シンセサイザーで追加したものだけどね」
ピー  「う~ん、確かに手首を90度曲げて外に突き出す動きは似ているが」
    「だけど、一体どういう意味の動きなん?」
パパ 「チャールストンやリンディ・ホップは、西アフリカのイボ族の踊りが
    そのルーツらしいと言われている」
ピー  「その人達が、アメリカに連れてこられたのかぁ」
パパ 「彼らの踊りは、精霊と看做す動物の真似をするのが特徴で、しかも
    即興的だ」
ピー  「アフリカのシャーマニズムがルーツかぁ」
    「即興的というのも、ジャズのルーツらしいや」
パパ 「ワシは、この手足の動きから、鳥の雛の真似をしている映像だと
    思っている」
    「この映像が、一世を風靡したドリフのひげダンスに繋がったのじゃ」
ピー  「まことしやかに聞こえるけど、しかしこじ付けだな~」



ピー  「黒人音楽は、ダンスと密接に関係してるのかぁ」
パパ 「ジャズやR&Bも、元々ダンスミュージックだかんね」
パパ 「黒人のジャズは、大きく分けて二つの流れがあると考えているんだ」
    「一つは奴隷社会の困苦からの解放を願ったR&B系」
    「これは、今日のロックに繋がって行く」
ピー  「もう一丁は?」
パパ 「白人音楽の影響を受けて、R&Bから分派したスウィング系だ」
    「こちらはマイルドなPOPSへと変化して行く」
ピー  「は~ん、アメリカ発のPOPSは、黒人音楽がそのルーツなんだ」
パパ 「んだ。では、黒人発のロックンロールと、それを真似た白人
    の映像を見てみよう」
    「先ず、R&Bのリズム感を取り入れたロックンロールの祖、
    有名なリトル・リチャードのLong Tall Sallyだ」



ピー  「ノッポのサリーか。でもさ、観客が白人ばかりだね」
パパ 「気がついたかね、ピート君。そこが重要」
    「黒人の面白い演奏を観て、白人が楽しむ構図だ」
    「後ろ向きでピアノを弾いたりしたのは、その理由からだ」
ピー  「ちゅーことは、リトル・リチャードは、ロックンローラー系の
    ヴォードヴィリアンなんだね」
パパ 「そんとおり」
ピー  「黒人が、当時の米国社会で生きる道かぁ・・・」
パパ 「しゃーから、彼が正当に評価され出したのは、1964年に悪名高き
    南部のジム・クロウ法が廃止されてからだ」
ピー  「ジム・クロウ法?」
パパ 「有色人種に対する公共施設の利用制限法だ」
    「白人と同席出来ないとかね」「日本人もこの制限対象になったが、
    後に名誉白人扱いとされ、同席を許されたんだ。チーン」
ピー  「ジャズを知るには、アメリカ合衆国の法律史も知る必要が
    あるのかぁ・・・」
パパ 「で、ロックンロールは、次第に白人にも受け入れられるように
    なるんだ」「ここで、ノッポのサリーの白人版を聴こう」
    「当時の良い子ちゃん、パット・ブーンではなく、エルビスだ」
ピー  「パット・ブーンじゃ駄目なの?」
パパ 「こういうリズムは、良い子ちゃんでは駄目なんだよ」



ピー  「ほう、スゲィ迫力。ロックンロールはエルビスでないと
    駄目なのか~」
パパ 「エルビスの値打ちはそこにある」
    「それと、これはロックンロールではなく、ロカビリーだ」
ピー  「だって、リトル・リチャードのカヴァーだろ? ロックン
    ロールじゃんかー」
パパ 「ロックンロールを踏襲しつつも、演奏形態がちゃう」
    「それはね、エルビスが白人だということ」
ピー  「よくわーらんな~」
パパ 「ロカビリーは、黒人のロックンロールと白人のヒルビリーが
    融合したものだよん」
    「じゃけん英語で ’Rock-A-Billy’と書く」
ピー  「な~んか講義を受けているようだなぁ。ふ~」
パパ 「どちらも同じなんだが、当時、黒人が歌ったものをロックン
    ロール、白人が歌ったものはロカビリーと言った」
ピー  「なんじゃそれは~。これもジム・クロウ法の影響かい?」
    「要は、ややこしいことを抜きにして、聴きゃいいんだろう?」
パパ 「ジャズやロックンロールを理解するには、合衆国の歴史も
    知らねばならない」
    「ライナーノートの解説を読むだけでなく、自分で調べ、
    自分で考えなきゃ~ね」
ピー  「黒人音楽ってのは、そんなにしんどいものかい?」
パパ 「知るってのは、黒人音楽への理解も深まるし、歴史的、系統的
    に把握できる」
ピー  「音楽の範疇だけに留まらないんだ」


          (1920年代の典型的なフラッパーの女性)

パパ 「因みに某大学の国際政治学科では、合衆国の歴史を教える
    のに、ジャズの変遷や当時のファッションから入るんだ」
ピー  「ほんまかいな?」
パパ 「例えば、ローリングツウェンティーとかフラッパーとか
    ボブカット てーことも講義内容に入れてお~る」
ピー  「またどうして?」
パパ 「米国の民主主義を考える上で、必要且つ重要なことだからさ」
ピー  「ちょっと意味を説明してよ」
パパ 「ローリングツウェンティー(roaring twenties)とは、喧騒の
    20年代を指す。カンザスシティやシカゴ時代のことだ」
    「ジャズが猛烈に発展した時期でもあり、チャールストンも
    この時代だ。禁酒法とかアル・カポネが暗躍したのもこの頃」
ピー  「フラッパーとかボブカットは?」
パパ 「これは、当時の女性ファッションだ。ウーマンリブの精神にも
    繋がった開放的なファッションを指す」
    「ボブカットは、おかっぱにした女性のヘアースタイルだよ」
ピー  「どうしてそんなファッションが流行ったの?」
パパ 「それはね~、日本人は物真似だけど、合衆国にはそれなりの
    理由がある」「それは、またの機会に話そう」
    「本日はここまででやんす。続きは次回ね」

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