2011年10月27日木曜日

ピートとパパの会話(その133 クラシックの秋)



パパ 「芸術の秋になったなぁ~」
ピー  「秋は、どうして芸術なん?」
パパ 「理由は分からん。誰かが最初に言い出したらしい」
    「んで、今日はクラシックの話をしよう」

ピー  「ずーと、JAZZやPOPSの話だったもんね」
パパ 「ま、JAZZは、季節感に乏しいからねぇ~」
ピー  「ほー、そりゃまたどうして?」
パパ 「自由や解放感といった黒人の願望を体現した音楽だからね」
    「そこに、ビーバップやフリージャズが生まれたアメリカ独特の
    歴史的必然性がある」
ピー  「はぁー」
パパ 「それに、ジャズはリズム中心の音楽だから、季節感を表現
    するのには向かないような気がする」

ピー  「ジャズは、自然や季節を感じ、それを音楽的に表現することが
    無かったの?」
パパ 「それよりも、黒人個人の解放感の表現が先だったのよん」
    「これは、アメリカ文化の特徴の一つだね~」
ピー  「ふ~ん・・・」
パパ 「じゃがの、欧州へ渡ったジャズメン達は、伝統ある文明に接し、
    洗練された人生観や自然観を認識するようになった」
    「ケニー・ドリューなんか、その最たる人だ」
ピー  「どうしてそうなるの?」
パパ 「そのことに触れると、延々と続くから止めておこう」

ピー  「ちょっと聞きたいんだけど、欧州では自由や解放といったことを
    音楽で表現しなかったの?」
パパ 「ショパンの '革命' なんかがそうだ」
    「しか~し、当時の帝国主義的欧州では、個人の感情よりも国家と
    いう概念が先行したから、黒人音楽のジャズとは表現が異なる」
ピー  「どう異なるのよ?」
パパ 「簡潔に言うと、ジャズは音の跳ね具合で感情表現をしたが、
    クラシックは全体的な曲の構成でそれを表現した」
    「非常に理論的ではあるが、何かを扇動するような意図を感じる」
ピー  「ややこしいことを言うね~」
    「えーと、今日は、クラシックの話だよね」

パパ 「そう、リズムよりメロディという訳さ。秋じゃけんね」
    「では最初に室内楽のことを話そう」「室内楽は指揮者が
    いないよね」「どうやって楽曲を揃えると思う?」
ピー  「そもそも指揮者っているの?」
パパ 「指揮者がいないと、演奏者が自分勝手な判断で演奏するから
    無茶苦茶になる」
ピー  「ほう、演奏者個人の感性が剥き出しになるんだ」
パパ 「そうじゃ、そこを指揮者がコントロールして、全体としての
    音楽性を引き出すんじゃよ」
ピー  「大変な役目だね」
パパ 「だから指揮者と楽団員が反目し合うこともある」
    「かつての小澤征爾とN響のようにね」

ピー  「そういやー昔、オケ弾きとソロ弾きの話をしてたよね」
パパ 「覚えていたかい、ピート君。オケ弾きは皆と仲良くやっていける
    タイプ、ソロ弾きは個性的で且つ芸術的センスの持主だ」
ピー  「ほと、少人数の室内楽は、ソロ弾きのタイプかな?」
    「個性的な人達が、どうやって楽曲を合わすんだろう?」

パパ 「ほほ、では実際に視て、聴いてみよう」
    「ゲバントハウス弦楽四重奏団の演奏で、モーツアルトの
    弦楽四重奏曲第19番 ’不協和音’ね」
ピー  「モーツアルトか~。どういう演奏形態になるのかな?」
パパ 「先ず出だしだけれど、画面21秒後に左の第一バイオリンの奏者が
    弓を静かに振り降ろす」
ピー  「指揮者のボーイングだね」
パパ 「これが出だしの合図で、それに従ってチェロが序奏を弾き始める」
    「これをアインザッツと言い、この動作を業界用語で
    'ザッツを出す'という」
ピー  「セーノ~とかサンシ~とは言わないんだ」
パパ 「そして、1分49秒後にフレーズが変わり、軽快なロココ風の
    メロディへと推移していく」
ピー  「細かい視かただなぁ」
パパ 「演奏者がお互いにアイコンタクトを取りながら、テンポを合わせて
    演奏している様子がよく分かる」「これが、アンサンブルの極意だ」
    「では、サロン風の演奏を視てみよう」



ピー  「ほっほう、お互いにチラチラと顔色を窺っちょるね」
パパ 「かつて演奏者に、室内楽の演奏感について聞いてみたんだ」
    「そうしたら、気を使うから室内楽は嫌だってさ」
    「オケの場合、指揮者の指図どおりにやっていればいいから、
    楽だって」  
ピー  「おやおや、聴くと演奏では、そんなに違うのか」
パパ 「それに、馴れない人が室内楽を演奏すると、譜面にばかり
    気をとられ、アンサンブルにならない」

ピー  「さっき言ったロココって何?」
パパ 「モーツアルトのように装飾音を多様した音楽の様式をいう」
    「彼の作曲年代は、ロココ全盛期が過ぎた頃かな」
    「ロココ様式は、1789年のフランス革命で消滅した」

ピー  「ということは、宮廷文化に起因する様式だね」
パパ 「そう、ロココは、建築や絵画の様式にも表れている」
    「ロココ様式は、その内装に特徴があって、白を基調とし、
    その周りを金色で囲むとかね」
    「神聖ローマ帝国の世紀末芸術とも言える」
ピー  「バロックより、一層成金趣味的になったんじゃないの?」
パパ 「そうだね。建築や内装は、権力や財力を誇示する象徴だからね」
ピー  「絶対王政の好きそうな様式だ」
パパ 「絵画の場合は、甘美で官能的な美を表現し、退廃的でもあるのが
    特徴だ」「特に、ワトーとかフラゴナールが有名で、中学の
    美術史にも出てくるよ」
ピー  「音楽や建築や絵画は、その時代を反映しているのかぁ」


(左はロココ様式の内装。 右はフラゴナールの有名なブランコをする
 女性を下から覗いている退廃的でちょっとHな絵)


パパ 「では、チャイコフスキーの'ロココの主題による変奏曲' を
    聴いてみよう」「ワシの好きな曲だ。ヨーヨーマの演奏だよ」



ピー  「はぁ~、第7変奏まであるのか~。秋を感じさすね~」
パパ 「ロマン派や古典だけでなく、バロックも聴いてみよう」
    「ワシの好きなバッハのブランデンブルグ協奏曲第5番だ」



ピー  「ほう、紅葉の銀杏並木を歩いているような気がする」
パパ 「それも、カントが歩くようなドイツの街角ね」
    「家で聴くなら、チョット気取って上下に開閉するダブルハング
     の窓から西洋庭園を眺めながら聴くのがいい」
ピー  「なるほど、掃き出しの縁先では雰囲気を感じないのね」
パパ 「そう、ピートが田んぼの畔を歩いていても似合わないのと同じだ」
    「では最後に、バッハのアリオーソを聴こう」
    「フランス映画、'恋するガリア' のテーマ曲だよん」



ピー  「曲の雰囲気から、そろそろ晩秋だねえ・・・」

2011年9月23日金曜日

ピートとパパの会話(その132 映像と音楽(3))



パパ 「今日も前回の続きだよん」
ピー  「この前は、ロックンロールとロカビリーの違いを話したね」
パパ 「そう、その続きだ」「今日は、リトル・リチャードの
    トゥッティ・フルッティ(Tutti-Frutti)という曲から始めよう」
    「当然ロックンロールじゃけんね」



ピー  「喧しいなぁ。前回の’のっぽのサリー’と同じじゃんか」
パパ 「エルビスがやると、こうなる ↓」



ピー  「これは~、ロカビリーだね」
パパ 「そう、ベースはスラッピング奏法だし、エルビスはヒーカップに
    マンブリング唱法っぽい。ヒルビリーの延長線上だ」
ピー  「ほほう、ロカビリーの三大特徴だね」
    「ところでトゥッティ・フルッティって、何?」
パパ 「果物の味がするガムらしいが、関係不明」
ピー  「ところでさ、二人とも歌の中で’ル・バッパ・ワッパッパ’、
    なんて意味不明な事を口走っているけど・・・」
    「これって、ドゥーワップ (doo-wop)?」
パパ 「ちゃう!」
    「正調ドゥーワップは、これだ ↓」



ピー  「ほえ? ムード歌謡じゃんか?」
パパ 「前川兄いのバックで、ああああ~♪うう~♪るるっる、る~♪
    とか歌っているコーラスが、ドゥーワップなんだよん」
ピー  「ほっ?」
パパ 「ドゥーワップは、1950年代のコーラスグループに取り入れられ、
    主旋律を歌うボーカルを盛り立てる役目をしたんだ」
    「この歌唱は、ゴスペルとジャズの融合でおわす」
ピー  「クールファイブとの関係は?」
パパ 「単にドゥーワップのコーラススタイルを取り入れただけさ」
    「他にマヒナスターズや東京ロマンチカもそうだよん」
ピー  「ドゥーワップは、米国発かぁ」
パパ 「アメリカでは、オンリー・ユーを歌ったプラターズが有名だよ」
ピー  「日本でも流行ったよ。おいらは’16トン’が好きだな」



パパ 「ざ~っと話してきたけど、POPSやロックを遡って行くと、
    ジャズを通過して西アフリカのイボ族の音頭と欧州の民謡に
    到達する」
ピー  「面白いね。二つの流れが米国で統一されてジャズやロカビリー
    になり、そして、再び分散して行くんだねぇ」
パパ 「アメリカ音楽の系統樹を探れば、ユーロアメリカンやアフロ
    アメリカン、更にはクレオール等の音楽が融合し、ジャズ、
    ROCK、POPS等へと発展して行った過程がよく分かる」
ピー  「アメリカならではの融合と分散だ」

パパ 「だけどねぇ、R&Bやジャズってーのは、白人に対する黒人の
    カウンター・カルチャーだなぁ」
ピー  「対抗文化って訳?」
パパ 「例えば、リトル・リチャードの’ノッポのサリー’は、
    パット・ブーンに真似されないようにと、非常な早口で
    怒鳴りまくるように歌う曲として作られたんだ」
ピー  「はは~ん、こういう曲でパットブーンのノリが悪いのは、
    そういう理由かぁ」
パパ 「そいうこと。じゃが、ヤンチャ坊主のプレスリーは違った」
ピー  「悲しいかな、彼らの持つ音楽的独創性を白人に搾取され
    たんだなぁ」
パパ 「だから、黒人の音楽を理解するには、合衆国の歴史を知らねば
    ならないのさ」
ピー  「それで、ジム・クロウ法がどうとか言うのかい?」
パパ 「音楽は人文科学だと言われるが、ことアメリカ発の音楽に
    関しては、社会科学としての認識も必要だ」
ピー  「どうして?」
パパ 「何故なら、アメリカ社会の矛盾が、ジャズを始めとする独自の
    音楽を発展させる原動力になったからさ」
    「そこに、認識すべきアメリカ音楽の本質がある」

ピー  「社会的矛盾がもたらしたアメリカ音楽の発展と融合ねぇ」
    「本質の論理的解釈は?」
パパ 「黒人音楽の発展過程とその融合は、弁証法的な解釈で、
    その本質を認識し得る」
    「対立と闘争、そして、矛盾の統一だ」
ピー  「対立と闘争ってのは、黒人と白人の関係だね」
    「矛盾の統一とは、融合を指すんだね」
    「 Rock'n Roll + Hillbilly = Rock-A-Billy ちゅーことか」

パパ 「しかしそれは、’新世界’というアメリカだからこそ、音楽の
    融合が起こり得た、という事実を見逃してはならない」
    「また、互いに影響を受けたのでは無く、文化の対立と闘争を経て、
    まったく新しいものが興ったと考えた方がいい」
ピー  「パパ特有の歴史観? 或いは唯物史観?」
パパ 「アメリカは、自由を求めた清教徒が一から作った国だ」
    「社会の形成期に、伝統的な思想や観念に縛られることがなかった
    から、異文化同士の融合が起こり得たと考えられる」
ピー  「自由の精神かぁ。だから、R&B,ジャズ,ロック系統は、ヨーロッパ
    では興らなかったのか」
    「新世界音楽と定義付ければ良いのかも知れないね」
パパ 「そして、西アフリカのイボ族の音頭が、アメリカでの文化的融合
    を経て、世界に影響を及ぼし、遂にはジュリアード音楽院で教え
    られるようにもなった」
ピー  「ほっほう! 壮大な航海だ~」
パパ 「ここに、アメリカ合衆国という国の精神があると思わないかい?」

2011年9月21日水曜日

ピートとパパの会話(その131 映像と音楽(2))



パパ 「今日は、チャールストンがとんでもないところに影響を
    及ぼしたという話から始めよう」
ピー  「どんな影響を何処に及ぼしたのかな?」
パパ 「まんず、この映像からね ↓」



ピー  「なんじゃこれは? ドリフのひげダンスじゃんか」
パパ 「このリズムの元は、テディ・ベンダーグラスのDo-Meという曲
    じゃが、問題は踊りのスタイルだ」
ピー  「ふざけて踊っているだけだろう?」
パパ 「彼らはエンターテイナーだ。何処かにネタはないかと、常に
    魚の目鷹の目で探しておーる」
    「しかもドリフは演奏家だ。音楽を辿って行くのが常套だよ」
ピー  「ふむふむ」
パパ 「そして、遂に彼らはネタを見つけたのじゃよ。それが下の画像だ」
   「手足の動かし方をよ~く見てみよう」



ピー  「リズムも踊りも、ひげダンスに似てはいるけどぉ?」
パパ 「これは、1920年代のチャールストンだ。この映像がドリフに影響を
    与えた」「リズムは、シンセサイザーで追加したものだけどね」
ピー  「う~ん、確かに手首を90度曲げて外に突き出す動きは似ているが」
    「だけど、一体どういう意味の動きなん?」
パパ 「チャールストンやリンディ・ホップは、西アフリカのイボ族の踊りが
    そのルーツらしいと言われている」
ピー  「その人達が、アメリカに連れてこられたのかぁ」
パパ 「彼らの踊りは、精霊と看做す動物の真似をするのが特徴で、しかも
    即興的だ」
ピー  「アフリカのシャーマニズムがルーツかぁ」
    「即興的というのも、ジャズのルーツらしいや」
パパ 「ワシは、この手足の動きから、鳥の雛の真似をしている映像だと
    思っている」
    「この映像が、一世を風靡したドリフのひげダンスに繋がったのじゃ」
ピー  「まことしやかに聞こえるけど、しかしこじ付けだな~」



ピー  「黒人音楽は、ダンスと密接に関係してるのかぁ」
パパ 「ジャズやR&Bも、元々ダンスミュージックだかんね」
パパ 「黒人のジャズは、大きく分けて二つの流れがあると考えているんだ」
    「一つは奴隷社会の困苦からの解放を願ったR&B系」
    「これは、今日のロックに繋がって行く」
ピー  「もう一丁は?」
パパ 「白人音楽の影響を受けて、R&Bから分派したスウィング系だ」
    「こちらはマイルドなPOPSへと変化して行く」
ピー  「は~ん、アメリカ発のPOPSは、黒人音楽がそのルーツなんだ」
パパ 「んだ。では、黒人発のロックンロールと、それを真似た白人
    の映像を見てみよう」
    「先ず、R&Bのリズム感を取り入れたロックンロールの祖、
    有名なリトル・リチャードのLong Tall Sallyだ」



ピー  「ノッポのサリーか。でもさ、観客が白人ばかりだね」
パパ 「気がついたかね、ピート君。そこが重要」
    「黒人の面白い演奏を観て、白人が楽しむ構図だ」
    「後ろ向きでピアノを弾いたりしたのは、その理由からだ」
ピー  「ちゅーことは、リトル・リチャードは、ロックンローラー系の
    ヴォードヴィリアンなんだね」
パパ 「そんとおり」
ピー  「黒人が、当時の米国社会で生きる道かぁ・・・」
パパ 「しゃーから、彼が正当に評価され出したのは、1964年に悪名高き
    南部のジム・クロウ法が廃止されてからだ」
ピー  「ジム・クロウ法?」
パパ 「有色人種に対する公共施設の利用制限法だ」
    「白人と同席出来ないとかね」「日本人もこの制限対象になったが、
    後に名誉白人扱いとされ、同席を許されたんだ。チーン」
ピー  「ジャズを知るには、アメリカ合衆国の法律史も知る必要が
    あるのかぁ・・・」
パパ 「で、ロックンロールは、次第に白人にも受け入れられるように
    なるんだ」「ここで、ノッポのサリーの白人版を聴こう」
    「当時の良い子ちゃん、パット・ブーンではなく、エルビスだ」
ピー  「パット・ブーンじゃ駄目なの?」
パパ 「こういうリズムは、良い子ちゃんでは駄目なんだよ」



ピー  「ほう、スゲィ迫力。ロックンロールはエルビスでないと
    駄目なのか~」
パパ 「エルビスの値打ちはそこにある」
    「それと、これはロックンロールではなく、ロカビリーだ」
ピー  「だって、リトル・リチャードのカヴァーだろ? ロックン
    ロールじゃんかー」
パパ 「ロックンロールを踏襲しつつも、演奏形態がちゃう」
    「それはね、エルビスが白人だということ」
ピー  「よくわーらんな~」
パパ 「ロカビリーは、黒人のロックンロールと白人のヒルビリーが
    融合したものだよん」
    「じゃけん英語で ’Rock-A-Billy’と書く」
ピー  「な~んか講義を受けているようだなぁ。ふ~」
パパ 「どちらも同じなんだが、当時、黒人が歌ったものをロックン
    ロール、白人が歌ったものはロカビリーと言った」
ピー  「なんじゃそれは~。これもジム・クロウ法の影響かい?」
    「要は、ややこしいことを抜きにして、聴きゃいいんだろう?」
パパ 「ジャズやロックンロールを理解するには、合衆国の歴史も
    知らねばならない」
    「ライナーノートの解説を読むだけでなく、自分で調べ、
    自分で考えなきゃ~ね」
ピー  「黒人音楽ってのは、そんなにしんどいものかい?」
パパ 「知るってのは、黒人音楽への理解も深まるし、歴史的、系統的
    に把握できる」
ピー  「音楽の範疇だけに留まらないんだ」


          (1920年代の典型的なフラッパーの女性)

パパ 「因みに某大学の国際政治学科では、合衆国の歴史を教える
    のに、ジャズの変遷や当時のファッションから入るんだ」
ピー  「ほんまかいな?」
パパ 「例えば、ローリングツウェンティーとかフラッパーとか
    ボブカット てーことも講義内容に入れてお~る」
ピー  「またどうして?」
パパ 「米国の民主主義を考える上で、必要且つ重要なことだからさ」
ピー  「ちょっと意味を説明してよ」
パパ 「ローリングツウェンティー(roaring twenties)とは、喧騒の
    20年代を指す。カンザスシティやシカゴ時代のことだ」
    「ジャズが猛烈に発展した時期でもあり、チャールストンも
    この時代だ。禁酒法とかアル・カポネが暗躍したのもこの頃」
ピー  「フラッパーとかボブカットは?」
パパ 「これは、当時の女性ファッションだ。ウーマンリブの精神にも
    繋がった開放的なファッションを指す」
    「ボブカットは、おかっぱにした女性のヘアースタイルだよ」
ピー  「どうしてそんなファッションが流行ったの?」
パパ 「それはね~、日本人は物真似だけど、合衆国にはそれなりの
    理由がある」「それは、またの機会に話そう」
    「本日はここまででやんす。続きは次回ね」

2011年9月19日月曜日

ピートとパパの会話(その130 映像と音楽(1))

ピー  「今日は、なんの話?」
パパ 「映像や音楽から何が読取れるか、という話をしよう」
ピー  「ややこしい話は否だからね」
パパ 「ここでは、人種固有の文化が融合し、新しい音楽を生み出して
    いった米国社会の背景と、その影響について考えてみよう」
ピー  「つまりは、その頃の映像や音楽の話かい?」
パパ 「まず、この映像から見てみよう」
    「ノーマン・グランツという人が、1944年に制作した
     JAMMIN' THE BLUESという題名の映画で、当時のジャムセッション
    を描いた作品だ」



ピー  「50年以上前の映画だね。この映像から何を読取るの?」
パパ 「色々ある。この映画が制作された1944年は、チャーリー・パーカー
    やディジー・ガレスビーによるビーバップが出現するほん直前だ」
    「まずは、そういうジャズ変革期の歴史を認識してと!」
ピー  「それで?」
パパ 「この短編映画の音楽は、Midnight Symphony、On the Sunny Side
    of the Street、Jammin' the Bluesの3部構成になっている」
ピー  「一粒で3度美味しい映画かぁ」
パパ 「ジャムセッションだから、Midnight SymphonyとJammin' the Blues
    では、ソロ演奏によるアドリブを披露している」
ピー  「なるほど、これがビーバップの基になる訳だね」
パパ 「また、Jammin' the Bluesは、演奏形態の中にニューオリンズジャズ
    やデキシーランドジャズの名残りを見て取れる」
ピー  「して、ニューオリンズとデキシーの違いは?」
パパ 「超々簡単に言うと、ニューオリンズジャズはアフロアメリカン(アフリ
    カ系米国人=黒人)の演奏で、デキシーランドジャズはユーロアメリカ
    ン(白人)の演奏を指す」
    「黒人対白人という米国社会の構図を映したものだ。当時は一緒に
    演奏するということが無かった」
ピー  「簡単すぎる説明だなぁ」
パパ 「中身は時代的にほぼ同じで、どちらもシンコペーションのリズムを
    強調した形態だ」
ピー  「ほと、ベースとラッパのおっさんのデキシー風カンカン帽は、白人の
    影響かな?」
パパ 「このジャムセッションは、若干楽器が異なるものの、管楽器は3管
    編成だし、リズムセクションを含め、ニューオリンズジャズの基本
    スタイルを踏襲したものと言える」
    「テナーサックスの一人は、有名なレスター・ヤングなんだ」
ピー  「ほう」
パパ 「それと、ソロの回しは、ルイ・アームストロングの演奏スタイルで、
    初期のアンサンブル主体のジャズよりも遥かに進化している」
ピー  「でも、管楽器がやけにうるさいな~」
パパ 「管楽器がうるさいのは、デキシーやニューオリンズの名残りなのさ」
    「だけど、曲風はビーバップになる直前のスウィング感溢れるものだ
    し、ジャズの革命前夜における緊迫した演奏が伝わってくる」
ピー  「うん? スウィングの衰退が始まるの?」
パパ 「秋吉敏子流に言えば、下に潜ったスウィング感になる」
パパ 「この映画は、ビーバップまでのジャズの歴史の集大成だね」
    「そこに、1944年制作というこの映画の意味合いがある。と思う」

ピー  「映像の続きだけど、珍しくギターが出てくるね」
パパ 「このジャムセッションで唯一の白人、バーニー・ケッセルだ」
ピー  「うん? どうして白人が混ざっているの?」
パパ 「それは~、音楽プロデューサーであるノーマン・グランツの好みだ」
    「彼は、ユダヤ商法の持主だから、人種なんてどうでもいいんだ」
ピー  「ほう、要は実力と利益の問題なんだなぁ」
パパ 「バーニー・ケッセルの作品は ’On Fire’が有名だ。ワシもCDを
    持っちょる」   

ピー  「2番目のOn the Sunny Side of the Streetはどうなのさ?」
パパ 「この曲のボーカルは、マリー・ブライアントだ。この人はダンサーの
    筈なんだが?」
    「それと、この時代にしては珍しくクラシック・ブルーススタイルで
    歌っている。これが何とも言えない良か雰囲気を醸し出している」
ピー  「クラシック・ブルース?」
パパ 「細かく説明すると大変だが、これは1930年頃の女性ボーカル
    スタイルで、単にジャズバンドをバックに歌う形式をいう」
    「これもノーマン・グランツの趣味かも知れないよ」
ピー  「わざわざクラシック・ブルースを映像化したのは、何か理由があり
    そうだなぁ」
パパ 「黒人社会の歴史的背景を知らねば、この雰囲気を理解するのは
    難しい」
ピー  「映像から色々なことが読取れるんだねぇ」
    「まるで時代考証だ」
パパ 「でさ、マリー・ブライアントのヘアースタイルに注目してみよう」
    「これは、サザエさんだ」
ピー  「長谷川町子は、マリー・ブライアントのヘアーを真似たのか知らん?」
    「ところで、Jammin' the Bluesに合わせて踊っているのは、この人?」
パパ 「そう、パートナーは、アーチー・サベージというダンサーだよん」
    「踊っているダンスは、リンディ・ホップだ」
ピー  「ダイナミックな踊りだねぇ」
パパ 「この映像をジルバだと言う人もいるが、まだまだチャールストンの
    ステップが残っており、これは明らかにリンディ・ホップだ」

ピー  「リンディ・ホップって、以前、話していなかった?」
パパ 「そう、これね

    「続きに元祖リンディ・ホップの映像を見てみよう」
    「世界でいっちゃん最初に公開された映像だ。↓」



    「ノーマン・グランツは、この映像を意識しながらJAMMIN' THE BLUES
    の映画を制作したと、ワシは思っているのよん」
ピー  「黒人男女が、無茶苦茶に動き回っている映像にしか見えないよ」
    「それより、最初のジャムセッションらしき演奏がいい」
パパ 「この後、リンディ・ホップは、白人によって次第にマイルドなダンス
    へと変化して行くんだ」
ピー  「チャールストンはどうなのよ?」
パパ 「下にチャールストンの映像を載せておくから参考にするといいよ」
    「これは、1920年頃のステップを再現したものだ」



    「んで、このチャールストンが、とんでもないものに影響を与えたんだ」
    「次回は、ワシの独断と偏見で、その影響について話そう」
ピー  「変な展開になりそうな予感がする。やだな」

2011年9月7日水曜日

ピートとパパの会話(その129 音楽と学習臨界期(後編(2))

ピー  「今日は、後編(2)の話だね」
パパ 「以前、会話の中でジャズの変遷について話したのを覚えて
    いるかい?」「先ず、それを思い出してみよう」 ↓
 
http://hiroigui.blogspot.com/2008/07/jazz_26.html

ピー  「あ~、マイルスか。思い出したばい」
パパ 「それでは、ヤンチャ坊主とお坊ちゃまの演奏の違いを聴い
    てみよう」
    「ヤンチャ坊主は、ビーバップの権化。お坊ちゃまの演奏は、
    荒々しさが無く大人しい演奏だ」

ヤンチャ坊主(チャーリー・パーカー ’KoKo')


お坊ちゃま(マイルス クールの誕生から 'Move')


パパ 「Moveは、ビーバップの形態は残しているものの、イントロ
    からスウィングに後戻りしたような印象を受ける」
    「特徴としては、演奏にアンサンブルの復活が聴き取れる」 
ピー  「これ以降、マイルスのクールジャズが主流になって行くの?」
パパ 「クールジャズは、ほんの一瞬の出来事だと思っている」
ピー  「うん?」
パパ 「クールの誕生は、ビーバップから決別したかったマイルスの
    宣言に過ぎないと、ワシは考えているのじゃよん」
    「だから、決別のインパクトはあったものの、マイルス自身は
    クールを少しやっただけだ」
ピー  「インパクト?」
パパ 「黒人の解放感とは別の雰囲気が出てきたからね」
    「それによって、白人にもジャズが広まって行くようになった」
    「後に開花するウェストコーストジャズがそれなんだ」
    「これは、マイルスの功績だね~」
ピー  「ふ~ん。それでビーバップから決別した理由は、パパの言う
     学習臨界期における’育ちの良さ’なのかい?」
パパ 「繰返すが、そのことを語ったのが ↑ の’ジャズ編その3’だ」
    「ここに、マイルスジャズの本質がある」
ピー  「色々と考えちょるんだねぇ」

パパ 「クールジャズが衰退して行った理由は、当時の米国社会の
    経済的理由にもあるのだが、長くなるから触れないね」
ピー  「ジャズ界が不況になった?」
パパ 「で、マイルスは考えた。もう一度ビーバップに戻り、そこに
    黒人の間で流行っていたR&Bやラテンのリズム感を取り
    入れ、ジャズの活性化を図ろう。 とね」
ピー  「そういうマイルスの発想自体、ジャズの商業化だよね~」
パパ 「R&Bでビーバップの荒々しさを抑制すれば、自分の感性
    とも矛盾しなくなる。 と、マイルスは考えた筈だ」
ピー  「本当か知らん?」

パパ 「ここからが、マイルスの真骨頂なんだよ~」
    「ほんで、ビーバップをより複雑化し、コード進行と共に
    スケール(音階)を重視したハードバップという演奏スタイル
    を作り上げた」
ピー  「それが皆さんよく言うハードバップかぁ」
パパ 「暫くはこのスタイルで行くが、ビーバップ同様コード進行の
    限界が存在していた」
ピー  「どういうこと?」
パパ 「コード分解によるアドリブの範囲に限界が見えてきたんだ」
    「限界があると言う事は、最終的に誰がやっても似たような
    演奏になるちゅーことだ」
ピー  「それは~、目立ちたがり屋のマイルスにとっては耐え難い
    ことだな~」
    「なら一層、スウィングに戻れば~」
パパ 「ここで、マイルスのハードバップの代表作を聴いてみよう」

マイルス (All of You)


ピー  「よう分からんが、ビーバップよりメロディが少し前へ出て
    きたような」
    「それに、ソロのアドリブがハチャメチャでなくなったなぁ」
    「でも、このハードバップも限界が来るんだって?」
パパ 「そこでマイルスは、更なる試行錯誤を繰返すことになる」
    「ジュリアード音楽院で学んだ経験も生きてくるんだよん」
ピー  「そーれから?」
パパ 「従来のコード進行を後ろに引っ込め、スケールに旋律を加味
    したモードを主体にすることで、よりアドリブの自由度を増す
    ことに成功した」
ピー  「偉い奴じゃの~、マイルスは」
パパ 「しか~し反面、ビーバップがもっていたジャズの開放的な
    躍動感が希薄になった」
    「それに、この自由を追求したアドリブの問題が、実は~、
    最後までマイルスを悩ますことになる」
ピー  「おいらは 'ふーん' としか言いようがないなぁ」
パパ 「では、ビーバップと決別し、クールジャズからハードバップを
    経て、より自由なモードジャズに辿り着いたマイルスの
    'Dr. Jackle' を聴いてみよう」「ソロのアドリブに注目!」

マイルス (Milestonesから 'Dr. Jackle' )


ピー  「なんじゃこりゃ! ビーバップに戻ったんじゃないの?」
パパ 「ビーバップは、アドリブに入ると元のメロディが分からない
    ような展開を見せる」
    「じゃが、モードジャズは、最初のメロディを基調とするから、
    アドリブに移っても、そこから派手に逸脱することはない」
ピー  「フレーズに連続性があるのかぁ」
    「モードちゅーのはそういうことか」
パパ 「それでは、モードジャズの代表作をもう一発」

マイルス (Kind of Blueから 'So What' )


パパ 「この演奏からマイルスの理知的で都会的なセンスが伺える」
    「これは、チャーリー・パーカーには無い育ちの良さだ」
ピー  「でも、音楽理論から分析的に聴いてみても、訳が分からん」
    「ビーバップもハードバップもモードも、皆同じに聴こえるよ~」
    「分かるのは、曲が違うということだけだよ」
パパ 「わしもよく分からん。実際は、自分で演奏しないと理解で
    けんよ」
ピー  「おいらは、聴いてみて判断することにしよう」

パパ 「ま、この時代は、ハードバップとモードジャズが複走混在
    しており、素人にはさっぱり判別がつかないちゅーのが
    現実だね」
ピー  「ややこしいのぉ」
パパ 「普通に聴いている分にはどうでもエエことだし、どうとか
    言っているのは、評論家がジャズの変遷を説明し易いように、
    音楽理論上のことをチョコッと言っているに過ぎない」
ピー  「ふ~、実際のところ、素人には皆同じジャズだということか」

パパ 「要するにジャズの革命的な変遷は、スウィングからビーバップ
    へ変わった一度だけで、後はビーバップの亜流に過ぎないと、
    ワシャ~考えちょんのよ」
ピー  「ほとジャズは、スウィングとモダンジャズという2分類だけで
    いいじゃん?」
パパ 「そうだけど、後編(2)で言いたいのは、学習臨界期での生活環境
    の違いが、ジャズの演奏形態に変化をもたらしたという点だ」
    「これにスウィング、ビーバップ、クール、ハードバップ、
    モードといったジャズの変遷を重ね合わせたのさ」
ピー  「するとだね、マイルスがお坊ちゃまでなければ、ジャズは
    ビーバップのままだったかも知れないと?」
パパ 「何れは変化したのだろうが、お坊ちゃまの出現によって、急激に
    変化して行ったということじゃわい」

ピー  「こじ付けじゃないのぉ~」
    「おいらが考えるに、モダンジャズの変遷ちゅーのは、自由を得る
    ためのアドリブが、その武器であるコード進行に、逆に縛られる
    という矛盾を次々と生んで行った結果だ」
パパ 「そう、それが最終的に、誰もが似たような演奏になるという
    コード進行の限界に繋がった」「更にはモードそのものも、演奏
    上の限界を持つようになった」
ピー  「だから次々と演奏理論を変えなくてはならない羽目に陥った?」
    「これは自己矛盾だな~」
    「結局ジャズは、アドリブの問題だ!」
パパ 「鋭いね~」
ピー  「会話をしていると、次第に理解が深まってくる」

パパ 「さてと、すっかり本題から逸脱したが、学習臨界期の生活環境は、
    その後の人生を決定付ける重要な要素になると考えられる」
    「特に、マイルスの幼少期の環境が、ジャズ界に様々な影響を与え
    たことは、特筆すべき点だね」
ピー  「ヤンチャ坊主は革命を起こすには必要だが、その後はきちんと
    教育を受けたお坊ちゃまの感性が必要だと言うことかな?」
パパ 「まあ~ねぇ・・・。これは人間の多様性だと考える方がエエ」

2011年9月4日日曜日

ピートとパパの会話(その128 音楽と学習臨界期(後編(1))


パパ 「それでは前回の続きをやろう。後編その(1)ざんす」
ピー  「学習臨界期の話だね。笈田敏夫がどうとか?」
パパ 「笈田敏夫は、何故ジャズを好きになったのか?
    ということから話していこう」
ピー  「でも、笈田敏夫って1925年生まれだろう?」
パパ 「2003年に亡くなったよ」
ピー  「そんな古い時代の人がジャズを?」
    「それと、どうして笈田敏夫に興味を持つの?」
パパ 「戦前は英語がご法度だったし、当時の日本人の感覚から
    しても、ジャズが好きになるなんて殆ど有り得ないことだった」
    「そいう中で、笈田はジャズをやった。だから興味がある」
ピー  「町内でABCなんて言ったら警察に捕まったんだろう?」
    「それなのに、またなんでジャズなんか?」
パパ 「昔、インタビューで彼が言っていたのは、’僕が潜水艦の
    通信士官をしていた頃、軍用無線機から米国のジャズが聴こ
    えて来た。こんな素晴らしい音楽を作る国とは、一体どんな
    国だろうと思った。それ以来、内緒で聴いていた’。と、さ」
ピー 「相手国と戦争をしているんだろう? 非国民じゃんかぁ」

パパ 「彼がジャズを素晴らしいと感じたのは、ピアニストであった
    父親の影響を受けたからだと思う」
    「彼の父親は、ベルリン国立音楽学校に留学していたんだ」
    「んで、笈田敏夫も4歳までベルリンで育った」
ピー  「ほう、総じて言えば、音楽に国境は無いということかぁ」
パパ 「彼が日本海軍に居たのは、二十歳の頃だったから、まあ多感
    な時期にジャズの洗礼を受けたことになる」
ピー  「ふ~む、学習臨界期の上限ギリギリの年齢だな~」
パパ 「笈田に関しては諸説あって、17歳頃にインチキレコードで
    一儲けしたとか、どうもはっきりしない部分もある」
ピー  「戦時中だからね~」
パパ 「では、笈田敏夫のジャズボーカルを聴いてみよう」
    「ジャズというより、ポップスなんだけどね」
    「女性ジャズシンガーの真梨邑ケイとのデュエットで
    ’久しぶりね’って曲だ」
ピー  「真梨邑ケイって、行動に少々難アリの人だろう?」
パパ 「それはどうでもいい」



ピー  「こういう曲を潜水艦の軍用無線機で聴いていたのかぁ」
パパ 「当時の日本は、威勢のよい軍歌一辺倒だったからねぇ」
    「そらもう魅かれるわさ」
    「ま、日本では’酋長の娘’が精一杯の頃だ」



ピー  「日本の旋律は、米国のジャズと趣きが異なるね~」
パパ 「国民性の違いが出ているんだろうね」
    「何たって戦意高揚にジャズを使ったんだから、米国は~」
ピー  「日本の歌は、何だか民謡仕立てにも聞こえるね」
パパ 「弥生時代から続く稲作文化の感性だ」
ピー  「米国は狩猟民族の感性?」
パパ 「皆さん欧米人を狩猟民族に例えるが、むしろ牧畜の方が
    盛んだ」「それに、イタリアの一部では稲作もしている」
ピー  「は~ん?」
パパ 「日本人も、その昔は狩猟をしていたのだから、有史以前の
    狩猟・稲作でのDNA的分類比較は当たらないかも」
    「換言すれば、音楽的感性の醸成は、もっと文明的・文化的な
    要素が強いのかも知れない」
ピー  「ってことは、音楽が独裁政権に利用される可能性も?」
パパ 「学習臨界期に、権力が望む単一の音楽的感性を刷り込まれ
    ると、 権力者を讃えるものばかりを量産することになる」
ピー  「それは駄目だ」
パパ 「芸術に必要なもの、それは自由の精神じゃ」
    「そのことについて、遠い昔に話した記憶がある」↓

http://hiroigui.blogspot.com/2008/06/blog-post_12.html

ピー  「だけど、パパの認識も怪しい。芸術はもっと素朴なもので、
    自然から受ける感覚的なものを表現していると考えるべきだよ」
パパ 「それは近代以前の話だねぇ」
    「さて、次は中本マリのジャズボーカルを聴こう」
    「彼女は思春期に音楽教育を受けたから、音程が極めて安定
    している」「続きに阿川泰子が歌っているが、気にしなくて
    いいよ」
    「埋め込みコードが無いからURLから聴いてね」↓ 

http://www.youtube.com/watch?v=DGv6uR6LZUQ&feature=related

ピー  「ほう、日本人とは思えないスウィング感だね~」
パパ 「そう、黒人歌手のように堂々と歌っている」
    「学習臨界期に正しい教育を受けると、何にでも応用可能な
    感受性が出来上がる」「秋吉敏子然り」
    「ま、中本マリの雰囲気は、肝っ玉母さんのようだがね」
ピー  「でもさ、外国の歌は歌詞が分からないしな~」
パパ 「そういう場合は、歌手から雰囲気を読取るしかないねぇ」
    「そこでだね、由緒正しい日本の感性を聴いてみよう」



ピー  「ほっほう、演歌の真骨頂が出ているねぇ」
パパ 「さてと、ここで演歌とポップスの根本的な違いを考えよう」
ピー  「違い? 同じ音楽じゃんか?」
パパ 「ほら、今回は学習臨界期の話だからね。そこから両者の
    違いを 考えてみようという訳さ」
ピー  「どうでもええ話に思えるがね~」

パパ 「日本人は、先ず青年期までに日本固有の文化的要素を
    社会や家族によって脳に刷り込まれる」
ピー  「それと演歌との関係は?」
パパ 「演歌歌手は、抜群に歌が上手い。どうしてだと思う?」
ピー  「そう言えば、ポップスの歌手は ?? な歌い方の人がいるね」
パパ 「演歌は、日本人の心の中の美意識を歌う」
    「だから、歌詞の内容表現に重点を置いている」
    「これは、日本文化における精神世界の表現だから、
    日本人に対して誤魔化しが効かない」
ピー  「ほう、演じる歌んだ。だから演歌というのかぁ」
    「ほと、演歌歌手の表情や仕草も重要になるね」
パパ 「外国育ちの人が、それを醸し出すことは難しい」

ピー  「侘び寂びの文化かぁ。日本人にしか分からない世界だね」
パパ 「そのため作曲者は、演歌歌手に徹底的な歌唱教育を行う。
    腹式呼吸から始まり、演歌の感情表現まで全てだ」
ピー  「マイフェアレディだね」
パパ 「これは、日本での学習臨界期における生活体験があって
    こそ 受容可能だと思われる」
ピー  「それで演歌歌手は歌が上手いのかぁ」
パパ 「心で歌い、心で聴くから、下手糞だと国民が納得しないよ」
ピー  「それに比べれば、日本のポップス歌手は自分流だねぇ」
パパ 「ある時、大工の棟梁が、洋間は徹底的に誤魔化せるが、
    日本間は誤魔化せない、と言っていた。それと同じだ」
ピー  「な~るほどぉ」

パパ 「さ~てさて、ここで学習臨界期に養われた生活体験が、
    最も顕著に現れた事例を見てみよう。と思ったが、益々
    話が長くなるので、次回の後編(2)で話そう」
ピー  「3部作かい。何時もながら話が長いのぉ~」

2011年8月23日火曜日

ピートとパパの会話(その127 音楽と学習臨界期(前編) )

パパ 「今日は、音楽と学習臨界期について話そう」
ピー  「臨界? 核分裂反応のことじゃないだろうね?」
パパ 「先ず、この曲から聴いてみよう」



ピー  「井上陽水の少年時代かぁ~」
パパ 「歌詞は意味不明な単語の羅列に過ぎないが、メロディが
    美しいので、歌詞もその中に自然と溶け込んで流れている」
    「これは、井上陽水の真骨頂だねぇ」
ピー  「ほほう、西洋のPOP SONGを聴いているようなものだね」
    「歌詞の意味よりも、リズムやメロディに心が動くんだ」
パパ 「ま、この歌は、陽水自身の少年時代の追憶を感覚的に
    綴ったものだ」

ピー  「それで~え、この歌と今回の話がどういう関係なのよん?」
    「そもそも表題の学習臨界期って何?」
パパ 「学習臨界期てーのは、主に心理学や言語学に出てくる用語で、
    行動パターンの形成期や言語習得期のことを指している」
ピー  「はん? 音楽とも関係ある?」
パパ 「当然音楽にも同様の学習臨界期がある」
ピー  「すると、音感教育なんかもそうだね」
パパ 「学者は、生まれてから凡そ思春期までの期間を学習臨界期と
    呼んでいる」
ピー  「それが、陽水の’少年時代’を持ち出した理由か~」
    「ほと、陽水の音楽的感性の源は、彼の少年時代にあると?」
パパ 「そうだと思う」
ピー  「三つ子の魂百までだね」
パパ 「んだ。むか~し、演奏家と話をしていたら、’何事も二十歳
    までに経験しておかないと駄目だなぁ~’なんて言っていた」
ピー  「歳をとると中々身につかないという事かな?」
パパ 「そうかもね。だから学習臨界期という考え方があるのさ」
    「この時期に無茶苦茶勉強すれば、脳の活性化方向が無茶苦茶
    勉強向きになると、ワシャー考えとるのよん」
ピー  「本当か知らん?」
パパ 「言語学では、この時期以降のことを臨界期仮説と呼んじょる」
    「新しい言語を身につけるのが難しいと考えられる時期に入るんだ」
ピー  「臨界期仮説? 学問ちゅーのは、内容より用語の方が難しいなぁ」

パパ 「そこでね、皆さん歳を重ねると、演歌に傾いて行く人が多いが、
    それが何故なのか? というのが表題の主旨だ」
ピー  「そういや~以前、そのようなことを言っていたね」
    「今回、そのことをおいらと話そうってのかい?」
    「ややこしいことを言っても、おいらには ? だからね」

パパ 「人間は、ピークを過ぎると幼少期から少年期にかけて経験した記憶
    に回帰して行くような気がしてならない。というのが話の始まり」
ピー  「幼少期から少年期の記憶とは、つまり学習臨界期のことだね」
パパ 「人間の学習臨界期は、大まかに見積もって二十歳頃までだと、
    ワシは 考えているんだ。そこが脳のピークだ」「それ以降は、記憶の
    蓄積を 取り崩して行くような発想になる。ま、記憶の応用だね」
ピー  「事実だとすれば、不思議な現象だ」


(ダリ作:記憶の固執  中学生の頃、この絵にどえらい衝撃を受けた)

パパ 「これは、原始時代の人間の耐用年数というか、当時の30年という
    平均寿命が影響していると考えているんだ」
    「未だその30年に脳が支配されている。というのがワシの見解だ」
ピー  「ほう、例のミトコンドリア・イブ以来、脳のDNAが20~30万年間も
    進化していないと考える訳?」
パパ 「何故だか進化のスピードが遅い気がする」
    「分子時計が止まっているようだ」「地球規模の自然変動も無いし、
    それが理由かも知れない」

ピー  「ほと、原始時代の脳から考えて、二十歳以上の人生は物事を吸収
    するのではなく、昔の記憶に頼って脳が対処しているに過ぎないと
    言うこと?」
パパ 「だから次第に物覚えが悪くなり、考え方は保守的になり、その後は
    昔のことばかり言い出す」「つまり、記憶への回帰現象が始まる」
    「というか、生理的に学習臨界期の記憶しか残らなくなる」 
ピー  「ほほう、ニーチェの文学,永劫回帰だね~。NHKでもやっちょった」
    「大体人間は長生きし過ぎだべ」
パパ 「そういう意味では、臨界期記憶への回帰は、終末期における脳の
    自己防衛作用かも知れない」「老化に対する生への執着だ」
ピー  「昔の記憶で現在の人生を置き換えようと?」
パパ 「多分ね。老いへの不安が、脳をそうさせるのだろう」
    「ってことは、潜在的に30年以上の人生が想定されていないんだな」
ピー  「脳は、耐用年数を過ぎると死への軟着陸を準備するんじゃない?」
パパ 「これはもうフロイトの世界だねぇ」
ピー  「脳とは不思議なものじゃの~」
パパ 「何故そうなるのかは、脳生理学の研究者に任すとして、先へ進もう」
ピー  「へい」

     
(左はフロイト. 右はムンクと有名な'叫び' 何故かフロイトとムンクが同一人物のような気がする)

パパ 「学習臨界期では、言語のみならず固有の風俗や伝統的な文化に
    よって、複合的に脳への刷り込みが行われる」
    「記憶への回帰現象を考える上で、ここが非常に重要な部分だ」
ピー  「刷り込み? ローレンツの実験だね」
パパ 「ほら、日本では’おふくろの味’とか言うじゃんか」
    「この学習臨界期に記憶されたことが、後に回帰現象として青年期
    以降の嗜好に現れてくる。と、ワシは考えちょるんよ」
ピー  「音楽で言えば、それが演歌であったりする訳なんだね」
パパ 「そうなんよ。しかし、よく見なければならないのは、生活環境に
    よって学習臨界期の経験が異なることだ。それが個性になる」
ピー  「う~ん、分からなくはないけど~?」
パパ 「例えばね~、笈田敏夫というジャズ歌手がいた。と、言うことから
    ぼちぼち後編に入って行こう」
    「本日は、ここまでですぅ」
                                        つづく