2013年2月28日木曜日

ピートとパパの会話(その143 ”吾輩はラブである” )



おっほん! 吾輩はラブである。
否、犬である。名前はピート。

どこで生れたかとんと忘れてしまったが、クークー泣いていた事だけは
記憶している。暫くしてパピーウォーカーさんちへ預けられ、そこで大事
に育てられたことははっきり覚えている。
その後吾輩は盲導犬の訓練を受けることになったが、どうも性に合わな
かった。
そうこうしているうちに、吾輩は再び別の家へ行くことになり、野良犬の
ごとく路傍に餓死することはなくなった。

別の家で再び人間と暮らすのは不本意だが、その日その日がどうにか
こうにか送られればよいと思っただけだ。嫌になれば適当に放浪でもするさ。
まあいくら人間だって、そういつまでも栄える事もあるまいし、ここで気を永く
犬の時節を待つのもよかろう。
かくして吾輩は、ついにこの家を自分の住家と決める事にしたのである。

吾輩は、ここで始めて飼い主というものを見た。この時、妙なものだと思った
感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されるべきはずの顔が、
つるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。

ちょっと断っておきたいが、元来人間が何ぞというと犬畜生と、事もなげに
軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるは、はなはだよくない。
人間の糟(かす)から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から犬が製造されたごとく
考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする体罰教師などには
ありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。

いくら犬だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、
平等無差別、どの犬も自家固有の特色などはないようであるが、犬の社会に
這入って見るとなかなか複雑なもので十人十色という人間界の言葉は、
そのままここにも応用が出来るのである。

ちょっと一息。
書を読むや躍るや犬の春一日(はるひとひ)
俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな。

人間の心理ほど解し難いものはない。この飼い主の今の心は怒っているの
だか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道の慰安を求めつつ
あるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交りたい
のだか、くだらぬ事に肝癪を起しているのか、物外に超然としているのだか
さっぱり見当が付かぬ。

犬などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、
怒るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。

第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないから
である。人間のように裏表のある生き物は、日記でも書いて世間に出され
ない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等
犬属に至ると行住坐臥、行屎送尿(こうしそうにょう)ことごとく真正の日記で
あるから、別段そんな面倒な手数をして、己れの真面目(しんめんもく)を
保存するには及ばぬと思う。
日記をつける暇があるなら縁側に寝ているまでの事さ。イヒヒ

パパ 「何やら昔、何処かで読んだような呟きだなぁ」
ピー  「そうかい。ちょっと夏目さんの言い分を拝借しただけさ」
    「それに、我等犬族の本音を言ったまでさ。チーン」

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