2010年4月15日木曜日
ピートとパパの会話(その93 映画鑑賞Ⅰ)
パパ 「YOUTUBEを検索していたら、昔観た映画が出てきよった」
「今日は、むか~しの映画の話をしよう」
ピー 「映画の話って初めてだね。昔と言うと、いつ頃?」
パパ 「1970年前後に流行った映画ね」
ピー 「上のオートバイの写真に関係あるのかい?」
パパ 「んだ、この写真は、パパが1970年に観たイージー・ライダー
という映画なんだ」
「当時、この映画が何を意味しているのか分からなかったよ~」
ピー 「バイク映画じゃないの?」
パパ 「ちゃう、確かにハーレーに乗り、自由を求めてアメリカの
ハイウェイを疾走する姿は格好よかったけどね」
「アメリカにはこんなバイクがあるのか~、というのが第一印象」
ピー 「やっぱりバイク映画じゃんか」
パパ 「では、先ず音楽から入ってみよう。ステッペンウルフの
'ワイルドで行こう’だ」
(Steppenwolf - Born To Be Wild)
http://www.youtube.com/watch?v=rMbATaj7Il8&feature=fvw
ピー 「ほう、正にアメリカンスタイルの映画だねぇ」
パパ 「さてと、映画の筋書きは誰かに任すとして~・・・」
「この時代のアメリカは、ベトナム戦争の疲れや体制批判から、
ヒッピームーブメントという社会現象が起こっていたんだ」
ピー 「自由や新しい価値観を求める若者の間で、世界的に共感された
アメリカのサブカルチャーだね」「1969年のWOODSTOCKだ」
パパ 「そう、その自由を求める行動がヒッピームーブメントじゃったが、
しかし、それは同時に既存の社会体制との間で軋轢を生んだ」
ピー 「それが、イージー・ライダーという映画?」
パパ 「その自由な価値観を求める若者と既存社会との軋轢を題材に
した のがこの映画だと理解できたのは、ずっと後になってからだ」
ピー 「何故、若いときには理解できなかったの?」
パパ 「それはね、社会に対する経験不足からくるんだ。全体を見て総合
的に判断する能力が、若いうちは何故か備わらないんだなぁ」
ピー 「以前の会話で、そのような事を話さなかったっけ?」
パパ 「マックスウェーバーの没価値性理論の事だろう」
ピー 「そうそう、物事を客観的に捉えるには、価値判断という基準を
持ち込んでは駄目だとか言っていたね」
パパ 「そうだよん、価値観というのは人によって異なる」「じゃけん、
客観性を担保するには、価値判断を排除して物事を考える必要が
あるのじゃよ。これがまた難しい」
ピー 「おいらが分からないのは、何故最初にアメリカでヒッピームーブ
メントが起こったのか、だよ」
パパ 「ま、アメリカの若者は、ベトナム戦争に命を掛けねばならない
絶体絶命の状況だったからねぇ」
「で、その絶望感から逃れる手段を、ヒッピーという自然回帰運動
に求めたのだろうね」
ピー 「ほと、戦争で死ぬかもしれない精神状況から生まれた運動と、
日本のそれとでは雲泥の違いがある?」
パパ 「日本のヒッピームーブメントは、単なるファッションだった」
「そういうファッション感覚でこの映画を観るのは如何なものかと」
ピー 「自然回帰運動がファッション?・・・、そ~れはアメリカの 若者に
失礼だよ」
パパ 「日本のヒッピー達は、ファッションで与論島にコミューンを作った
んだが、結局何も得るものが無く、殆どの者が元の社会へ逆回帰
して行った」「時が経てば流行も去るのさ」
ピー 「ふ~ん、そんなものかね~」
パパ 「この事はね、当時、実際に与論島へ行ったパパの知り合いが
言っちょった」
ピー 「しかしねぇ、既存社会はどうして若者たちの自由を拒んだのさ」
パパ 「一つはロングヘアーという風体や、今までになかった価値観での
生き方を求めたからだろうね」
「しかも彼らは、既存社会を否定しようとした。そこが問題だ」
ピー 「どういう問題?」
パパ 「国家は有限だから、価値観の異なる双方が同じ体制内に同居する
ことになる」「つまり、既存社会は彼らヒッピーを法の下で養う ことに
なるのじゃよ」
ピー 「そうか、ヒッピー達は既存社会の恩恵を享受するだけで、自らは
既存社会に貢献しないんだ」
パパ 「だから既存社会は、彼らを排除しようとするのさ」
ピー 「体制の危機だね。だとすれば、言わば弾圧を受けたんだ。彼らは」
パパ 「映画ではさ、既存社会がそういう若者を徹底的に排除して行く」
「既存社会を作ってきた年寄りは、大抵保守的だ」
「何故ならば、現在の生活だけを守ろうとするからね」
ピー 「イージー・ライダーは、そういう映画かぁ」
パパ 「当時は格好良さばかり目立ったんだが、ロケット工学の糸川教授
が イージー・ライダーを観て、アメリカ社会の考え方を表現している
映画だと言った。1970年頃にね」
ピー 「アメリカ社会を表現?」「糸川教授って?」
パパ 「糸川教授は、後の組織工学研究所長だ」
ピー 「ああ、研究所の連中とスパイ大作戦を必死に見ていた先生だろ」
パパ 「そう、'おはようフィリップス君' で始まるあのTV番組ね」
「与えられた課題をどのように解決して行くかを、必死になって
見ていたんだ。組織工学的にね」
ピー 「なんだ、仕事で見ていたのかぁ」
パパ 「彼が言うには、アメリカ社会を標準偏差の正規分布として図示
すると、その両端の部分を切り捨ててしまうのがアメリカ だと」
「当時のアメリカ社会を指して、そう言っていた」
ピー 「正規分布って上のグラフ? 釣鐘型だね」
パパ 「例えば、縦軸を人数、横軸を社会への帰属意識だと考えて集団の
バラツキを見るんだ」
ピー 「普通の人は、真ん中に一番多く集まっているんだね」
「で、社会への帰属意識が低い集団と高すぎる集団はいらないと?」
パパ 「糸川教授は、アメリカ社会をそのように表現していたな~」
ピー 「帰属意識が高すぎる集団って何よ?」
パパ 「高すぎる集団とは、全体主義を指しているんだろうねぇ」
ピー 「帰属意識が低い集団はヒッピーだね」
「社会的な帰属意識が低いのは、自由と言う事かな」
パパ 「そうとも言えない」
「ヒッピーのコミューンは、既存社会の制度を否定する者が集まった
新たな社会体制だ」「社会である以上、やはり自由が制限される」
「例えば、文明的な物を持ち込んではいけないとかさ」
ピー 「そうか~、ヒッピーコミューンは、自然回帰としての社会なんだ」
パパ 「ところがやね、自由だけを求めて、制度を否定した社会は維持
出来ない」「だから何処のコミューンも、時を経ずして崩壊して
行ったのさ」
ピー 「自由はあるが、考え方はバラバラって訳か」
パパ 「社会は、正規分布で説明できるほど単純じゃないんだ」
ピー 「映画がややこしくなってきたな~」
「バイクが良かったでエエじゃんか~」「娯楽としての映画を難しく
考え過ぎだよ」「映画は楽しむことを優先しないとね~」
パパ 「よし、次回は楽しい筈のSF映画について語ろう」
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