2010年6月24日木曜日

ピートとパパの会話(その105 ピートとパパの禅問答)


ピー  「前回、犬畜生という言葉は、仏教の六道という考え方から来てい
    ると言っていたね?」
パパ 「六道とは、仏教の言う迷いの世界で、天道・人間道・修羅道・
    畜生道・餓鬼道・地獄道を指す」「この内の畜生道は、人間以外
    の生物を指すんだ。従って、分類学上の家犬亜種も畜生道に入る」
ピー  「家犬亜種とは、おいら達の事かいな?」
    「それで、六道とは階級を表すのかい?」
パパ 「いや、人間の精神状態を表しているのさ」「まぁ、人間の持つ業
    を表していると言ってもいい。修羅場だとか、餓鬼になるとかさ」
    「仏教では、生前の行いによって、死後この内のどれかの世界に生
    まれ変わるとも説いている。四十九日目がそれにあたるんだ」
ピー  「ほと、犬畜生とは、おいら達犬を指すのじゃなく、人間の善悪の
    行為とその結果を指し示すんだね」「仏教の因果論だ」
パパ 「んだ、元々は人間に対する戒めの言葉だ」「これが本来の言葉の
    背景だが、犬や動物の行動を指す表現だと思っている人もいる」
ピー  「犬畜生は、仏教世界の言葉から来たのか~。確かに欧米文化圏
    には無い言葉だね~」
パパ 「畜生道とは、基本的に家畜を指し、本能だけの世界と解される」
    「この事から推察すると、仏教が興った当時、既に家畜を使った
    農耕や牧畜が行われていたと思われる」
ピー  「仏教の発祥は、紀元前5世紀だろう?」
パパ 「インドで都市国家が形成されたガンジス文明の頃だよ」
    「この時代に商工業が盛んとなり、貧富の差が拡大して社会不安も
    増大した」「銭と権力だけの世界になって行くんだ」
ピー  「その社会不安を取除くために、仏教の教えが必要だったのかぁ」
    「近代国家だと、社会保障の充実で対処するのだろうけど」
パパ 「んだ、じゃけん仏教は、人間の持つ生臭い世俗的な事柄を扱う
    のじゃよ」「信仰と言うより、当初は哲学のようなものだったと
    思われる。だから経典があるのさ」「仏教が学問的なのは、その
    ためだよん」「ウパニシャッド哲学もこの時代だ」
ピー  「神道が自然を対象とするのに対し、仏教は人間を対象とするんだね」
    「そういや~、古代国家成立以降の宗教には、殆ど経典があるね~」
パパ 「神道は元から信仰だが、仏教が信仰を伴うようになったのは、解脱
    修行の困難さからだと思う。生身の人間では難しいんだ」
    「ほんで、解脱したお釈迦さんを拝むことで、修行をしている事に
    しようと」
ピー  「そうして少しでも解脱に近付き、輪廻の苦から逃れようと?」
    「他力本願のようなものじゃんか~」
パパ 「それと共に仏教が次第に観念化され、信仰という形式を伴うように
    なったと、ワシは考えちょるのよん」
ピー  「う~ん、如何にして煩悩を消し去り、涅槃(ねはん)の境地に入るか
    だねぇ」「人々の社会不安の解消は、それしか無いのかな~?」
パパ 「当時はね。でも人間の煩悩なんて消滅しないんだ」「だから、仏教
    には、輪廻転生や色即是空という上手い思想があるのじゃよん」
ピー  「ん? 社会心理学におけるバイアスじゃんか」
パパ 「輪廻転生は、解脱を達成するまで、生れ変わりを何度も繰返すと
    いう意味じゃが~」「ややこしいものに生れ変わらないように、
    日頃から善行をしなさい、ちゅー意味合いも含まれている」
ピー  「ほ~、輪廻転生があるから、お寺が葬式を執り行うのか~」
    「でも、なして生れ変るんよ?」
パパ 「解脱して仏になれなかったからさ」「過去を御破算にして、元から
    人生をやり直すんだ。解脱への再チャレンジだね」「その為に生れ
    変るのさ」「何に生れ変るかは、前世での行いにかかっちょる」
ピー  「そうして煩悩を消去ることが出来れば、解脱を達成できるの?」
パパ 「そう、苦の輪廻からの脱出成功だ。もう生れ変る必要は無い」
ピー  「いちいち生れ変るのも面倒だわな」
    「そこに、御釈迦さんの仕掛けがあるのかぁ」
パパ 「だけど、犬が人間に生れ変われるとは聞かないなぁ。逆はある」
ピー  「おいらは、どうなるのよん?」
パパ 「解らん。 来世もまた犬かも知れない」
    「じゃが~、仏教の衆生(しゅじょう)という概念からすれば、
    動物も人間に転生可能だと解釈できる・・、かも知れない」
ピー  「他力本願寺ピート派の解釈かい、はは」「で、衆生とは?」
パパ 「これは、生物全般を指す概念だ。当然その中に人間も犬も含まれ
    ちょる」
ピー  「だけど、片方で優劣判定のような六道を説き、もう一方で衆生と
    いう生物共生を説くのはどうして? 矛盾するじゃん?」
パパ 「共生ではなく、共に存在するという解釈だよ」
    「六道とは、衆生に存在している人間界の業の尺度を計る物差しだ」
    「そうして転生の行先を指定される」
ピー  「ふ~ん、指定席かぁ」「しかし、尺度に畜生道を入れるのは、人間
    による優劣意識の現われだなぁ。正に人間主体で自然観が無い」
パパ 「これは、仏教が説く解脱に関係があると、ワシャ~考えちょるのよ」
    「つんまりぃ~、人間は仏になろうと自ら努力することが出来るが、
    犬や家畜は本能で生きているからそれが出来ない、という仏教の
    根本的な考え方というか~・・・」
    「これがっ、六道で人間と他の動物を分けている根拠じゃないかと」
ピー  「そこに、人間優位という意識の発祥源がある気がするなぁ」
    「六道とは~、人間の勝手な考え方だと思えるねぇ」
    「あのね~、おいら達は自然の行動様式に沿って真っ当に生きちょる
    んだ」「それを人間は本能と言う」
パパ 「仏教もそのように解釈しているよ。でも畜生道は苦であると説く」
    「使役されるだけで、救いが無いとの考えだ」
ピー  「そもそも人間の行為が問題だから、宗教で戒めねばならないのと
    ちゃう?」「おいら達に解脱は必要ないよ」
    「何故なら、本能という自然との一体感で生きているから、人間の
    ように現実が苦ではない。輪廻転生という概念の外においら達は
    存在しているんだ。だから仏教が教える無常の概念も必要ない」
パパ 「なるほど、苦の認識が存在しないんだ」
ピー  「苦があるとすれば、それは人間が畜生を支配している状態を指すの
    であって、人間の意識の果てに存在する」
    「おいら達の苦、即ち人間の存在だ」
パパ 「人間こそが苦をもたらす存在だと? だから人間と一緒に輪廻転生
    を繰り返す羽目になったと?」
ピー  「い~や、おいら達は畜生道に置いてきぼりにされた」
    「何故なら、おいら達が浄土に行ったと聞いた事が無い。慈悲を説き
    ながら、畜生には無慈悲だ」「そこに仏教の人間主体を感じる」
    「日本の犬畜生論の根源は、ここにあると思わないかい?」
パパ 「おっ! 禅問答を仕掛けてきたな」
    「確かに畜生道は、ただ働くだけで仏の道とは無縁のものと考え
    られていた」
ピー  「だから畜生道とした?」「下手をすると人間もそこへ落ちると?」
    「だけど、そこに矛盾を感じるんだなぁ」「無常とは、常に変化する
    ことの概念だと思うけど、六道の基準は変化していない」
パパ 「いや、基準は変化しないが輪廻の主体が変化する」
    「これ即ち無常だ」
ピー  「教義が矛盾の解決に至って無いのでは?」
パパ 「いやちゃう。ピートは輪廻転生を唯物論的弁証法のように捉えて
    いるが、浄土と現世という有限域での輪廻であるし、解脱によって
    その転生は止まる。根本的には観念論で、矛盾はない」
ピー  「六道と無常の関係は?」
パパ 「六道は解脱のための設定条件で、各道はその段階を示しているに過
    ぎない。従って、条件は変化することが無い。恒常だ」
ピー  「でも考えてご覧よ。人間全員が解脱を果たしたとすると、因果論も
    無常の概念も必要なくなる」「ほと、仏教の教義も消滅する」
    「当然六道の畜生道も無くなる。これはどう考えても人間主体だよ」
パパ 「ピート論は、仏教を根本的に階級矛盾と捉えるんだなぁ・・」
    「ま、その点神道は、森羅万象全てが神の仕業であり、人間も犬も
    自然の一部であるとの解釈をする」「この考え方に則れば、生物間
    での根本的な優劣意識は存在しないのかも」
ピー  「あのねぇ、おいらはこう考えるよ。おいら達犬畜生を最初から固定
    的な存在と看做すからこそ、六道という考え方も成立つ。人間は、
    それを踏み台にして、涅槃という境地に至れるとしたんだ」
    「衆生というのは、その踏み台の存在を確定さす概念に過ぎないよ」
    「おいら達は、人間が解脱を遂げるためのダシに使われた気がする」
    「だから、六道の下層3位を三悪趣と呼ぶんだよ」
パパ 「人間の解脱のために、畜生・餓鬼・地獄の三悪が必要だと?」
ピー  「おいらの考えでは、そういうこと」「人間は、そういう強迫観念が
    ないと善行をせん」
パパ 「手厳しいね~」    
ピー  「つまり、六道は、あくまで人間中心の固定観念だ。だから、他生物
    への優劣観が生じる」「おいら達犬畜生は、仏教の保護下に入れな
    いんだよ。逆に言えば、人間こそが問題なんとちゃう?」
パパ 「そうとも言えない。大乗仏教に一切衆生悉有仏性(いっさい
    しゅじょうしつうぶっしょう)という概念があり、これは人間以外
    の動植物にも仏性があると説く」
ピー  「仏性?」
パパ 「生物は皆、仏陀になり得る資質があるという意味じゃ」
    「そこで頼りに出来るのが、畜生道を仏の道に導いてくれる六地蔵の
    中の馬頭観音菩薩の存在だ」「馬の守護仏でもある」
    「今んとこ、その観音様に救済をお願いするしか方法が無い」
ピー  「宇治市にある大善寺の六地蔵だね」
パパ 「馬頭観音菩薩は、畜生道の生き物を供養してくれる。そうして仏
    の道へと導いてくれるのじゃよ」
ピー  「何でも都合よく考えるものじゃのぉ~」
    「しか~し、その先の行く末を想定していない」「おいら達の霊魂が
    行方不明になっちょる」 
パパ 「なるほど、供養で止まっちょるの~」     
    「結局仏教は、信仰と共に経典の解釈論と、その背景にある社会観を
    一体的に捉えて認識せねば解らんぞえ。これは学問だなぁ」
    「とても難解で、衆人には広め難い」
ピー  「何れにしろ仏教は、輪廻転生と密接な関係にある事は解ったが~」
    「宗派の教義によっても異なるようだから、結局のところ何が何だか
    さっぱり訳がわーらんと言うことになる」
パパ 「しゃーから、念仏を唱えれば、成仏でけるとの考えも出てくる」
ピー  「色即是空は?」
パパ 「これこそ難解な哲学だ。無即ち有・有即ち無だ」
    「長くなるからまたにしよう」
ピー  「パパは仏教関係者かい? 虚無僧とか」
パパ 「ノン、只の町人だ。物事を何故だろうと考えると、仏教や神道に
    突き当たる」「特に日本で生活しているとね」
ピー 「考え過ぎとちゃう」

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