2010年10月22日金曜日
ピートとパパの会話(その115 jazzの歴史観)
ピー 「最近、あまり会話をしないねぇ」
パパ 「毎日が忙しいかんね」
ピー 「一体何をやっちょるのよん?」
パパ 「50年前の送信機をレストアしちょる。鉄の塊だ」
「回路図も何も無いから、一から調査して回路図を作って
いるんだ」「当時のノウハウが解って面白いよ」
ピー 「ふ~ん、おいらはフードに興味が沸くけどね~」
パパ 「ま、朝からは、政治・文化・芸術の情報収集をし、思惟を
巡らし結論を導き出す。そして、ちょっと音楽を聴く」
ピー 「どうでもいいことに忙しそうだね~。何の社会的影響もない」
パパ 「社会に影響を及ぼす事柄は、同じ量だけ問題も引き起こす」
「だから、趣味の世界でいいんだよん」
ピー 「同じ量だけ? 何やら質量保存の法則みたいだねぇ」
パパ 「いやいや~、量子力学の不確定性原理によると、チト違う」
ピー 「なんのこっちゃ。フードの質量の方は頼むからね」
パパ 「慣性質量の方か、重力質量の方か?」
ピー 「どっちゃでもエエ。とにかく量の多い方がエエんじゃ!」
「毎日そんなことばかり言っていて、よく疲れないね」
パパ 「社会的影響が無いから疲れない」
ピー 「何か無駄な時間を消費しているように思えるけど」
パパ 「ほうよ、無駄であっても24時間では足らない」
「これは酔狂というもの」
ピー 「最近、jazzも聴いていないようだねぇ?」
パパ 「時々聴いちょるが、前ほどに興味が沸かない」
ピー 「そらまたどうしてかの~?」
パパ 「jazzが面白いのは、黒人の公民権運動が収束する時代
までだ」「これは、bebopが勃興し、cooljazzに至るまで
の期間と符合する。それが解ったからさ」
ピー 「それ以降は?」
パパ 「単なる儲け主義のエンターテイメントと化す」
「だから魅力が感じられない。それに、時代背景にも乏しい」
ピー 「時代が変わってからのものは、面白くない?」
「そういうことが諸々、音楽の中に潜んでいる?」
パパ 「そうだよん。jazzの発展形であるフュージョンやワールド
ミュージックなんつーのは、世界が均一化された現在、
何処でどのように作曲されたって、皆同じに聴こえる」
ピー 「でもさ、演奏者によって表現が違うじゃん。そこは?」
パパ 「かつてのbebopは、黒人の社会的解放要求を体現していた」
「だから、あのように激しい感情を剥き出しにしたjazzの
演奏スタイルが出来上がったんだ」
「チャーリー・パーカーやガレスビーの'koko'のようにね」
ピー 「公民権運動の源流だね。でも、そんなに激しいんじゃ、
腹が減るぞえ~」
パパ 「そこには、時代が変化していく何かが感じられた」
「個人の演奏者がどうとかではなく、時代なんだ」
ピー 「jazzの歴史観かぁ。何か感傷的だなぁ」
パパ 「その中にあって、個人の演奏スタイルがどうとかの話に
なるのさ」
ピー 「難しいものじゃの~。おいらはどうでもエエが」
パパ 「当時の演奏者達を、世の中を変化させる群像として見れば、
実に面白い」
ピー 「ほう、それなりのスタイルが、演奏にも現れるんだねぇ」
「革命的表現か?」
パパ 「そうじゃよん。大衆音楽としての当時のjazzは、そういう
社会的要求を凝縮したものだった。そこが魅力なんじゃよ」
ピー 「う~ん、今の演奏者には、そういう精神的抑圧感がないのか
ねん?」
パパ 「今は、誰の演奏も優等生的で、技巧のみを追いかけちょーる」
「これは、作曲者や演奏者が、音楽で表現すべき社会的背景を
感じられなくなったからだろうなぁ」
ピー 「つまり、世界や世の中が均一化された結果だということ?」
パパ 「んだ、特に芸術を生み出している先進国ではね」
ピー 「そんなものかねぇ?」
パパ 「だから現代のjazzは、bebop発祥の頃のような感情表現に
乏しい」「喧しさではなく、自由への願望表現だ」
ピー 「岡本太郎の言った’芸術は爆発だ’論だね」
パパ 「ほうよ!」
ピー 「抑圧社会の芸術家は、口では言えなくても、音楽の中でなら
言える表現方法をとっていた?」
パパ 「そう、じゃから後進的な社会主義国や独裁国家では、芸術を
抑圧する」「そうしなければ、芸術が大衆運動と化し、社会が
変化しちまうのさ」
ピー 「脆弱な社会体制なんだね~」
パパ 「そういう背景が根底にあればこそ、芸術が光ってくるのさ」
ピー 「な~にか、資本主義社会のプロレタリア文学臭い気がする~」
パパ 「かつてのベートーヴェンも、音楽で体制批判をしちょった」
「芸術に必要なもの。それは、自由の表現だ」
ピー 「ほっほう、だからパパは、米国の公民権運動以降のjazzが、
面白くなくなったと感じるんだね」
パパ 「ある程度の自由が保障されたからね~」
「jazzのそういうことが解ってしまえば、興味も薄れるというもの」
「何回か聴けば、こういうものかと」
ピー 「芸術も政治に支配されているということか?」
パパ 「それにワシの場合は、オーディオ趣味からjazzを聴くように
なったけん、オーディオが一段落つけばjazzもそうなる」
ピー 「オーディオは、一段落したん?」
パパ 「そう、何をどうやっても、2階の天井まで吹き抜けでないと
音が篭ってしまうから諦めた」
ピー 「音が綺麗に聴こえない?」
パパ 「いや、正しく聴こえないんだ」
ピー 「そんなものかね~。文化的過敏症ちゃう?」
パパ 「普通の部屋で装置を換えても、僅かな差しか感じない」
ピー 「その僅かの差が趣味なんだろう?」
パパ 「けど、吹き抜けの部屋で音楽を聴くと、文化が違うほどの
衝撃を受けるよ」
ピー 「吹き抜けでないと、何をしても大差ないということか」
パパ 「そう、家を建て直す必要がある」
「ま、家ではBGM的に音楽が聴ければいいということさ」
ピー 「おいらは、秋の虫が奏でる自然な音色の方が好きだな」
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