2011年12月4日日曜日

ピートとパパの会話(その135 "J-POPで行こう")

ピー  「最近、天候不順が続くね」
パパ 「こういう時は、音楽を聴くのに限る」
    「今回は、J-POPで行こう。米国→日本→米国という話だ」
ピー  「何か意味がありそうだな」
パパ 「日本のJ-POPが、米国の物真似から抜け出して行った過程を、
    音楽と共に辿ろうっていう寸法だ」
ピー  「ほう、ジャズやクラシックではないのか」
パパ 「では、80年代から入ってみよう。先ずこの曲ね」



ピー  「懐かしい。宇崎竜童の作曲だね」
パパ 「ここに、この曲の原曲らしいものがある ↓ 」



    「これはチャック・ベリーだが、あくまで原曲らしい?・・ね。ふふ」
ピー  「そういうことか。これが当時の曲の作り方かぁ」
パパ 「参考までに、日本の作曲者本人が歌っているのがこれ」

http://www.youtube.com/watch?v=fUFtkV_erzI&feature=related

ピー  「益々似ている感じがするゥ・・・」
パパ 「これも参考だが、宇崎はんのパフォーマンスも、これに似ちょる」



    「これは、ヴィンス・テイラーという英国人のロックン・ローラーだ」
ピー  「まあ、よく似たものを捜してくるね~」
パパ 「曲名のTwenty Flight Rockというのは、ヒロポンでラリってしまって、
    階段を20階まで登れんちゅうことを言っちょる」
    「原曲は、エディ・コクランが歌っていたんだ」
ピー  「古、50年代じゃんかぁ」
パパ 「楽器もよく見てみよう。エレキ,ピアノ,ドラムが出てくるだろう」
    「宇崎はんの楽隊も、楽器は現代風に変わったが、同じスタイルだ」
ピー  「ほほう、ロカビリー風ロックンロールだ。なんちゃって。へへ」
    「宇崎はんの素顔って、何となく岡八郎に似てるね」   

パパ 「ちと時代を遡って、日本のマイナーなグループを聴こう。憂歌団だ」



ピー  「憂歌団! こんなグループがいたのかぁ」
パパ 「ワシが憂歌団を初めて聴いたのは、70年代初頭だったなぁ」
    「ボーカルの木村充揮が、物凄く印象的な歌い方をしちょった」
ピー  「ギターも独特の音色だね」
パパ 「内田勘太郎の弾くスライドギターだよ」
    「米国南部の黒人ブルースによく出てくる」
ピー  「こういう米国発の曲が、J-POPの基礎になって行ったのか~」
パパ 「そう、それが70年代、80年代なんだ」

ピー  「日本独自のPOPSは生まれなかったの?」
パパ 「POPSは、米国の黒人音楽と白人音楽が融合したものだ」
    「日本人は、そういう文化の経験値が無かったのさ」
ピー  「だから、西洋風のPOPSが作れなかったのかぁ」
    「で、ちょっと真似てやろうかと?」
パパ 「じゃが、80年代のバブル以降、円の力によって米国の曲と情報が、
    大量に日本へ入ってくるようになった」
ピー  「なるほど、そうして異文化の経験を積んで行ったんだね」
パパ 「その経験が、バブル崩壊後の90年代に実を結んだのじゃよ」
    「そうして一気に噴き出したが、これらの曲だ」







ピー  「もう、米国の真似をしなくてよくなったのかな?」
パパ 「これらの曲には、最早米国の影響を感じないね」
    「それと、80年代のブリッコとかいう甘えた声のジャリタレが
    衰退して行って、スッとしたのもこの頃だ」
ピー  「いよいよJ-POPの始動だね~」
パパ 「では、当時のドラマの主題曲を聴こう」
    「MY LITTLE LOVER の Hello,Again だ」
    「このドラマは、八ヶ岳南麓の小淵沢が舞台になったんだ」



ピー  「小淵沢というと、おいらがよく行くところだ」
    「もう少し行くと、どでかいドッグランがあってさ」
パパ 「もう一発 B'zちゅーのを聴こう」
    「キムタクと常盤貴子主演のドラマ、ビューティフルライフの
    主題歌だよ」 



ピー  「ちょっと聞くけど、パパはJ-POPに興味があったん?」
パパ 「当時、よく聴いていた。こういう音楽は、老若男女を問わず
    文化的な共有ができる」
ピー  「若作りとか年寄りの冷や水とか言うけどぉ・・」
パパ 「あのな、若者文化というのは、その上の世代が作り出したものだ」
    「理由は、若者は金も力も社会的ポストも経験も無い。それらの迷える
    若者をリードしたのが、その上の大人達なんだ」
ピー  「ほと、若者が、僕たちの文化って言っているのは、大人が作って
    与えたものなの?」
パパ 「だから、世代間で文化を共有できるのさ」

ピー  「しかし、B'zとおっさんは、イメージが合わないな~」
パパ 「ふふ、例えば、B'zやZARDのプロデュースをしたのが長門大幸氏だ」
    「彼は、団塊の世代じゃぞ~」
ピー  「なぬ、ほんまかいな? OK! パパを信じよう」
パパ 「ワシは、長門大幸氏が芸能界へ入った経緯や、その時のご両親の
    葛藤を生で知っている。生でね」
ピー  「?」
パパ 「昔、彼はワシを見ると挨拶をしておった。もう忘れただろうが」
ピー  「パパは、何やら怪しげだな~」
パパ 「あまり発言すると、週刊誌がうるさいから止めておこう」
ピー  「時々びっくりするようなことを言い出すけど、一体何なん?」
パパ 「そこが、人の面白いところなのさ。イヒヒ」

ピー  「ここから先、日本のJ-POPはどうなって行くの?」
パパ 「世界でも珍しいオタク文化と共に、日本独自の文化として世界に
    発信して行くことになる」
ピー  「あ~、それが最初に言っていた米国→日本→米国の意味合いかぁ」
パパ 「そうざんす。米国が創り出したPOPS文化は、時を経て日本から
    米国に回帰したんだ」
    「それでは、全米ツアーを果たしたパフィを聴いてみよう」



ピー  「意味不明の歌詞だね」
パパ 「井上陽水の作詞だよ。散文的表現を通り越している」
    「ま、単なる単語の羅列だが、その単語の並びが面白い」
    「パフィーは、日本のオタク文化の発展型と見ることができる」
ピー  「J-POPの辿り着いた先は、米国か~」