2011年9月7日水曜日

ピートとパパの会話(その129 音楽と学習臨界期(後編(2))

ピー  「今日は、後編(2)の話だね」
パパ 「以前、会話の中でジャズの変遷について話したのを覚えて
    いるかい?」「先ず、それを思い出してみよう」 ↓
 
http://hiroigui.blogspot.com/2008/07/jazz_26.html

ピー  「あ~、マイルスか。思い出したばい」
パパ 「それでは、ヤンチャ坊主とお坊ちゃまの演奏の違いを聴い
    てみよう」
    「ヤンチャ坊主は、ビーバップの権化。お坊ちゃまの演奏は、
    荒々しさが無く大人しい演奏だ」

ヤンチャ坊主(チャーリー・パーカー ’KoKo')


お坊ちゃま(マイルス クールの誕生から 'Move')


パパ 「Moveは、ビーバップの形態は残しているものの、イントロ
    からスウィングに後戻りしたような印象を受ける」
    「特徴としては、演奏にアンサンブルの復活が聴き取れる」 
ピー  「これ以降、マイルスのクールジャズが主流になって行くの?」
パパ 「クールジャズは、ほんの一瞬の出来事だと思っている」
ピー  「うん?」
パパ 「クールの誕生は、ビーバップから決別したかったマイルスの
    宣言に過ぎないと、ワシは考えているのじゃよん」
    「だから、決別のインパクトはあったものの、マイルス自身は
    クールを少しやっただけだ」
ピー  「インパクト?」
パパ 「黒人の解放感とは別の雰囲気が出てきたからね」
    「それによって、白人にもジャズが広まって行くようになった」
    「後に開花するウェストコーストジャズがそれなんだ」
    「これは、マイルスの功績だね~」
ピー  「ふ~ん。それでビーバップから決別した理由は、パパの言う
     学習臨界期における’育ちの良さ’なのかい?」
パパ 「繰返すが、そのことを語ったのが ↑ の’ジャズ編その3’だ」
    「ここに、マイルスジャズの本質がある」
ピー  「色々と考えちょるんだねぇ」

パパ 「クールジャズが衰退して行った理由は、当時の米国社会の
    経済的理由にもあるのだが、長くなるから触れないね」
ピー  「ジャズ界が不況になった?」
パパ 「で、マイルスは考えた。もう一度ビーバップに戻り、そこに
    黒人の間で流行っていたR&Bやラテンのリズム感を取り
    入れ、ジャズの活性化を図ろう。 とね」
ピー  「そういうマイルスの発想自体、ジャズの商業化だよね~」
パパ 「R&Bでビーバップの荒々しさを抑制すれば、自分の感性
    とも矛盾しなくなる。 と、マイルスは考えた筈だ」
ピー  「本当か知らん?」

パパ 「ここからが、マイルスの真骨頂なんだよ~」
    「ほんで、ビーバップをより複雑化し、コード進行と共に
    スケール(音階)を重視したハードバップという演奏スタイル
    を作り上げた」
ピー  「それが皆さんよく言うハードバップかぁ」
パパ 「暫くはこのスタイルで行くが、ビーバップ同様コード進行の
    限界が存在していた」
ピー  「どういうこと?」
パパ 「コード分解によるアドリブの範囲に限界が見えてきたんだ」
    「限界があると言う事は、最終的に誰がやっても似たような
    演奏になるちゅーことだ」
ピー  「それは~、目立ちたがり屋のマイルスにとっては耐え難い
    ことだな~」
    「なら一層、スウィングに戻れば~」
パパ 「ここで、マイルスのハードバップの代表作を聴いてみよう」

マイルス (All of You)


ピー  「よう分からんが、ビーバップよりメロディが少し前へ出て
    きたような」
    「それに、ソロのアドリブがハチャメチャでなくなったなぁ」
    「でも、このハードバップも限界が来るんだって?」
パパ 「そこでマイルスは、更なる試行錯誤を繰返すことになる」
    「ジュリアード音楽院で学んだ経験も生きてくるんだよん」
ピー  「そーれから?」
パパ 「従来のコード進行を後ろに引っ込め、スケールに旋律を加味
    したモードを主体にすることで、よりアドリブの自由度を増す
    ことに成功した」
ピー  「偉い奴じゃの~、マイルスは」
パパ 「しか~し反面、ビーバップがもっていたジャズの開放的な
    躍動感が希薄になった」
    「それに、この自由を追求したアドリブの問題が、実は~、
    最後までマイルスを悩ますことになる」
ピー  「おいらは 'ふーん' としか言いようがないなぁ」
パパ 「では、ビーバップと決別し、クールジャズからハードバップを
    経て、より自由なモードジャズに辿り着いたマイルスの
    'Dr. Jackle' を聴いてみよう」「ソロのアドリブに注目!」

マイルス (Milestonesから 'Dr. Jackle' )


ピー  「なんじゃこりゃ! ビーバップに戻ったんじゃないの?」
パパ 「ビーバップは、アドリブに入ると元のメロディが分からない
    ような展開を見せる」
    「じゃが、モードジャズは、最初のメロディを基調とするから、
    アドリブに移っても、そこから派手に逸脱することはない」
ピー  「フレーズに連続性があるのかぁ」
    「モードちゅーのはそういうことか」
パパ 「それでは、モードジャズの代表作をもう一発」

マイルス (Kind of Blueから 'So What' )


パパ 「この演奏からマイルスの理知的で都会的なセンスが伺える」
    「これは、チャーリー・パーカーには無い育ちの良さだ」
ピー  「でも、音楽理論から分析的に聴いてみても、訳が分からん」
    「ビーバップもハードバップもモードも、皆同じに聴こえるよ~」
    「分かるのは、曲が違うということだけだよ」
パパ 「わしもよく分からん。実際は、自分で演奏しないと理解で
    けんよ」
ピー  「おいらは、聴いてみて判断することにしよう」

パパ 「ま、この時代は、ハードバップとモードジャズが複走混在
    しており、素人にはさっぱり判別がつかないちゅーのが
    現実だね」
ピー  「ややこしいのぉ」
パパ 「普通に聴いている分にはどうでもエエことだし、どうとか
    言っているのは、評論家がジャズの変遷を説明し易いように、
    音楽理論上のことをチョコッと言っているに過ぎない」
ピー  「ふ~、実際のところ、素人には皆同じジャズだということか」

パパ 「要するにジャズの革命的な変遷は、スウィングからビーバップ
    へ変わった一度だけで、後はビーバップの亜流に過ぎないと、
    ワシャ~考えちょんのよ」
ピー  「ほとジャズは、スウィングとモダンジャズという2分類だけで
    いいじゃん?」
パパ 「そうだけど、後編(2)で言いたいのは、学習臨界期での生活環境
    の違いが、ジャズの演奏形態に変化をもたらしたという点だ」
    「これにスウィング、ビーバップ、クール、ハードバップ、
    モードといったジャズの変遷を重ね合わせたのさ」
ピー  「するとだね、マイルスがお坊ちゃまでなければ、ジャズは
    ビーバップのままだったかも知れないと?」
パパ 「何れは変化したのだろうが、お坊ちゃまの出現によって、急激に
    変化して行ったということじゃわい」

ピー  「こじ付けじゃないのぉ~」
    「おいらが考えるに、モダンジャズの変遷ちゅーのは、自由を得る
    ためのアドリブが、その武器であるコード進行に、逆に縛られる
    という矛盾を次々と生んで行った結果だ」
パパ 「そう、それが最終的に、誰もが似たような演奏になるという
    コード進行の限界に繋がった」「更にはモードそのものも、演奏
    上の限界を持つようになった」
ピー  「だから次々と演奏理論を変えなくてはならない羽目に陥った?」
    「これは自己矛盾だな~」
    「結局ジャズは、アドリブの問題だ!」
パパ 「鋭いね~」
ピー  「会話をしていると、次第に理解が深まってくる」

パパ 「さてと、すっかり本題から逸脱したが、学習臨界期の生活環境は、
    その後の人生を決定付ける重要な要素になると考えられる」
    「特に、マイルスの幼少期の環境が、ジャズ界に様々な影響を与え
    たことは、特筆すべき点だね」
ピー  「ヤンチャ坊主は革命を起こすには必要だが、その後はきちんと
    教育を受けたお坊ちゃまの感性が必要だと言うことかな?」
パパ 「まあ~ねぇ・・・。これは人間の多様性だと考える方がエエ」

2011年9月4日日曜日

ピートとパパの会話(その128 音楽と学習臨界期(後編(1))


パパ 「それでは前回の続きをやろう。後編その(1)ざんす」
ピー  「学習臨界期の話だね。笈田敏夫がどうとか?」
パパ 「笈田敏夫は、何故ジャズを好きになったのか?
    ということから話していこう」
ピー  「でも、笈田敏夫って1925年生まれだろう?」
パパ 「2003年に亡くなったよ」
ピー  「そんな古い時代の人がジャズを?」
    「それと、どうして笈田敏夫に興味を持つの?」
パパ 「戦前は英語がご法度だったし、当時の日本人の感覚から
    しても、ジャズが好きになるなんて殆ど有り得ないことだった」
    「そいう中で、笈田はジャズをやった。だから興味がある」
ピー  「町内でABCなんて言ったら警察に捕まったんだろう?」
    「それなのに、またなんでジャズなんか?」
パパ 「昔、インタビューで彼が言っていたのは、’僕が潜水艦の
    通信士官をしていた頃、軍用無線機から米国のジャズが聴こ
    えて来た。こんな素晴らしい音楽を作る国とは、一体どんな
    国だろうと思った。それ以来、内緒で聴いていた’。と、さ」
ピー 「相手国と戦争をしているんだろう? 非国民じゃんかぁ」

パパ 「彼がジャズを素晴らしいと感じたのは、ピアニストであった
    父親の影響を受けたからだと思う」
    「彼の父親は、ベルリン国立音楽学校に留学していたんだ」
    「んで、笈田敏夫も4歳までベルリンで育った」
ピー  「ほう、総じて言えば、音楽に国境は無いということかぁ」
パパ 「彼が日本海軍に居たのは、二十歳の頃だったから、まあ多感
    な時期にジャズの洗礼を受けたことになる」
ピー  「ふ~む、学習臨界期の上限ギリギリの年齢だな~」
パパ 「笈田に関しては諸説あって、17歳頃にインチキレコードで
    一儲けしたとか、どうもはっきりしない部分もある」
ピー  「戦時中だからね~」
パパ 「では、笈田敏夫のジャズボーカルを聴いてみよう」
    「ジャズというより、ポップスなんだけどね」
    「女性ジャズシンガーの真梨邑ケイとのデュエットで
    ’久しぶりね’って曲だ」
ピー  「真梨邑ケイって、行動に少々難アリの人だろう?」
パパ 「それはどうでもいい」



ピー  「こういう曲を潜水艦の軍用無線機で聴いていたのかぁ」
パパ 「当時の日本は、威勢のよい軍歌一辺倒だったからねぇ」
    「そらもう魅かれるわさ」
    「ま、日本では’酋長の娘’が精一杯の頃だ」



ピー  「日本の旋律は、米国のジャズと趣きが異なるね~」
パパ 「国民性の違いが出ているんだろうね」
    「何たって戦意高揚にジャズを使ったんだから、米国は~」
ピー  「日本の歌は、何だか民謡仕立てにも聞こえるね」
パパ 「弥生時代から続く稲作文化の感性だ」
ピー  「米国は狩猟民族の感性?」
パパ 「皆さん欧米人を狩猟民族に例えるが、むしろ牧畜の方が
    盛んだ」「それに、イタリアの一部では稲作もしている」
ピー  「は~ん?」
パパ 「日本人も、その昔は狩猟をしていたのだから、有史以前の
    狩猟・稲作でのDNA的分類比較は当たらないかも」
    「換言すれば、音楽的感性の醸成は、もっと文明的・文化的な
    要素が強いのかも知れない」
ピー  「ってことは、音楽が独裁政権に利用される可能性も?」
パパ 「学習臨界期に、権力が望む単一の音楽的感性を刷り込まれ
    ると、 権力者を讃えるものばかりを量産することになる」
ピー  「それは駄目だ」
パパ 「芸術に必要なもの、それは自由の精神じゃ」
    「そのことについて、遠い昔に話した記憶がある」↓

http://hiroigui.blogspot.com/2008/06/blog-post_12.html

ピー  「だけど、パパの認識も怪しい。芸術はもっと素朴なもので、
    自然から受ける感覚的なものを表現していると考えるべきだよ」
パパ 「それは近代以前の話だねぇ」
    「さて、次は中本マリのジャズボーカルを聴こう」
    「彼女は思春期に音楽教育を受けたから、音程が極めて安定
    している」「続きに阿川泰子が歌っているが、気にしなくて
    いいよ」
    「埋め込みコードが無いからURLから聴いてね」↓ 

http://www.youtube.com/watch?v=DGv6uR6LZUQ&feature=related

ピー  「ほう、日本人とは思えないスウィング感だね~」
パパ 「そう、黒人歌手のように堂々と歌っている」
    「学習臨界期に正しい教育を受けると、何にでも応用可能な
    感受性が出来上がる」「秋吉敏子然り」
    「ま、中本マリの雰囲気は、肝っ玉母さんのようだがね」
ピー  「でもさ、外国の歌は歌詞が分からないしな~」
パパ 「そういう場合は、歌手から雰囲気を読取るしかないねぇ」
    「そこでだね、由緒正しい日本の感性を聴いてみよう」



ピー  「ほっほう、演歌の真骨頂が出ているねぇ」
パパ 「さてと、ここで演歌とポップスの根本的な違いを考えよう」
ピー  「違い? 同じ音楽じゃんか?」
パパ 「ほら、今回は学習臨界期の話だからね。そこから両者の
    違いを 考えてみようという訳さ」
ピー  「どうでもええ話に思えるがね~」

パパ 「日本人は、先ず青年期までに日本固有の文化的要素を
    社会や家族によって脳に刷り込まれる」
ピー  「それと演歌との関係は?」
パパ 「演歌歌手は、抜群に歌が上手い。どうしてだと思う?」
ピー  「そう言えば、ポップスの歌手は ?? な歌い方の人がいるね」
パパ 「演歌は、日本人の心の中の美意識を歌う」
    「だから、歌詞の内容表現に重点を置いている」
    「これは、日本文化における精神世界の表現だから、
    日本人に対して誤魔化しが効かない」
ピー  「ほう、演じる歌んだ。だから演歌というのかぁ」
    「ほと、演歌歌手の表情や仕草も重要になるね」
パパ 「外国育ちの人が、それを醸し出すことは難しい」

ピー  「侘び寂びの文化かぁ。日本人にしか分からない世界だね」
パパ 「そのため作曲者は、演歌歌手に徹底的な歌唱教育を行う。
    腹式呼吸から始まり、演歌の感情表現まで全てだ」
ピー  「マイフェアレディだね」
パパ 「これは、日本での学習臨界期における生活体験があって
    こそ 受容可能だと思われる」
ピー  「それで演歌歌手は歌が上手いのかぁ」
パパ 「心で歌い、心で聴くから、下手糞だと国民が納得しないよ」
ピー  「それに比べれば、日本のポップス歌手は自分流だねぇ」
パパ 「ある時、大工の棟梁が、洋間は徹底的に誤魔化せるが、
    日本間は誤魔化せない、と言っていた。それと同じだ」
ピー  「な~るほどぉ」

パパ 「さ~てさて、ここで学習臨界期に養われた生活体験が、
    最も顕著に現れた事例を見てみよう。と思ったが、益々
    話が長くなるので、次回の後編(2)で話そう」
ピー  「3部作かい。何時もながら話が長いのぉ~」

2011年8月23日火曜日

ピートとパパの会話(その127 音楽と学習臨界期(前編) )

パパ 「今日は、音楽と学習臨界期について話そう」
ピー  「臨界? 核分裂反応のことじゃないだろうね?」
パパ 「先ず、この曲から聴いてみよう」



ピー  「井上陽水の少年時代かぁ~」
パパ 「歌詞は意味不明な単語の羅列に過ぎないが、メロディが
    美しいので、歌詞もその中に自然と溶け込んで流れている」
    「これは、井上陽水の真骨頂だねぇ」
ピー  「ほほう、西洋のPOP SONGを聴いているようなものだね」
    「歌詞の意味よりも、リズムやメロディに心が動くんだ」
パパ 「ま、この歌は、陽水自身の少年時代の追憶を感覚的に
    綴ったものだ」

ピー  「それで~え、この歌と今回の話がどういう関係なのよん?」
    「そもそも表題の学習臨界期って何?」
パパ 「学習臨界期てーのは、主に心理学や言語学に出てくる用語で、
    行動パターンの形成期や言語習得期のことを指している」
ピー  「はん? 音楽とも関係ある?」
パパ 「当然音楽にも同様の学習臨界期がある」
ピー  「すると、音感教育なんかもそうだね」
パパ 「学者は、生まれてから凡そ思春期までの期間を学習臨界期と
    呼んでいる」
ピー  「それが、陽水の’少年時代’を持ち出した理由か~」
    「ほと、陽水の音楽的感性の源は、彼の少年時代にあると?」
パパ 「そうだと思う」
ピー  「三つ子の魂百までだね」
パパ 「んだ。むか~し、演奏家と話をしていたら、’何事も二十歳
    までに経験しておかないと駄目だなぁ~’なんて言っていた」
ピー  「歳をとると中々身につかないという事かな?」
パパ 「そうかもね。だから学習臨界期という考え方があるのさ」
    「この時期に無茶苦茶勉強すれば、脳の活性化方向が無茶苦茶
    勉強向きになると、ワシャー考えとるのよん」
ピー  「本当か知らん?」
パパ 「言語学では、この時期以降のことを臨界期仮説と呼んじょる」
    「新しい言語を身につけるのが難しいと考えられる時期に入るんだ」
ピー  「臨界期仮説? 学問ちゅーのは、内容より用語の方が難しいなぁ」

パパ 「そこでね、皆さん歳を重ねると、演歌に傾いて行く人が多いが、
    それが何故なのか? というのが表題の主旨だ」
ピー  「そういや~以前、そのようなことを言っていたね」
    「今回、そのことをおいらと話そうってのかい?」
    「ややこしいことを言っても、おいらには ? だからね」

パパ 「人間は、ピークを過ぎると幼少期から少年期にかけて経験した記憶
    に回帰して行くような気がしてならない。というのが話の始まり」
ピー  「幼少期から少年期の記憶とは、つまり学習臨界期のことだね」
パパ 「人間の学習臨界期は、大まかに見積もって二十歳頃までだと、
    ワシは 考えているんだ。そこが脳のピークだ」「それ以降は、記憶の
    蓄積を 取り崩して行くような発想になる。ま、記憶の応用だね」
ピー  「事実だとすれば、不思議な現象だ」


(ダリ作:記憶の固執  中学生の頃、この絵にどえらい衝撃を受けた)

パパ 「これは、原始時代の人間の耐用年数というか、当時の30年という
    平均寿命が影響していると考えているんだ」
    「未だその30年に脳が支配されている。というのがワシの見解だ」
ピー  「ほう、例のミトコンドリア・イブ以来、脳のDNAが20~30万年間も
    進化していないと考える訳?」
パパ 「何故だか進化のスピードが遅い気がする」
    「分子時計が止まっているようだ」「地球規模の自然変動も無いし、
    それが理由かも知れない」

ピー  「ほと、原始時代の脳から考えて、二十歳以上の人生は物事を吸収
    するのではなく、昔の記憶に頼って脳が対処しているに過ぎないと
    言うこと?」
パパ 「だから次第に物覚えが悪くなり、考え方は保守的になり、その後は
    昔のことばかり言い出す」「つまり、記憶への回帰現象が始まる」
    「というか、生理的に学習臨界期の記憶しか残らなくなる」 
ピー  「ほほう、ニーチェの文学,永劫回帰だね~。NHKでもやっちょった」
    「大体人間は長生きし過ぎだべ」
パパ 「そういう意味では、臨界期記憶への回帰は、終末期における脳の
    自己防衛作用かも知れない」「老化に対する生への執着だ」
ピー  「昔の記憶で現在の人生を置き換えようと?」
パパ 「多分ね。老いへの不安が、脳をそうさせるのだろう」
    「ってことは、潜在的に30年以上の人生が想定されていないんだな」
ピー  「脳は、耐用年数を過ぎると死への軟着陸を準備するんじゃない?」
パパ 「これはもうフロイトの世界だねぇ」
ピー  「脳とは不思議なものじゃの~」
パパ 「何故そうなるのかは、脳生理学の研究者に任すとして、先へ進もう」
ピー  「へい」

     
(左はフロイト. 右はムンクと有名な'叫び' 何故かフロイトとムンクが同一人物のような気がする)

パパ 「学習臨界期では、言語のみならず固有の風俗や伝統的な文化に
    よって、複合的に脳への刷り込みが行われる」
    「記憶への回帰現象を考える上で、ここが非常に重要な部分だ」
ピー  「刷り込み? ローレンツの実験だね」
パパ 「ほら、日本では’おふくろの味’とか言うじゃんか」
    「この学習臨界期に記憶されたことが、後に回帰現象として青年期
    以降の嗜好に現れてくる。と、ワシは考えちょるんよ」
ピー  「音楽で言えば、それが演歌であったりする訳なんだね」
パパ 「そうなんよ。しかし、よく見なければならないのは、生活環境に
    よって学習臨界期の経験が異なることだ。それが個性になる」
ピー  「う~ん、分からなくはないけど~?」
パパ 「例えばね~、笈田敏夫というジャズ歌手がいた。と、言うことから
    ぼちぼち後編に入って行こう」
    「本日は、ここまでですぅ」
                                        つづく

2011年8月13日土曜日

ピートとパパの会話(その126 ’雨乞い’)

ピー 「暑い・暑ーい・暑~い。蒸し暑い!」
パパ 「ムシがおるのよん」
    「では、音楽で雨乞いをしよう」
ピー  「そんなんで雨が降るの~? 中国ではミサイルを使って
    降らしているよ~」
パパ 「先ずは、Creedence Clearwater Revivalの’雨をみたかい’」



ピー  「相当古い曲だね」
パパ 「ほんじゃ、お馴染みのこの曲で雨を降らそう」


パパ 「次は、ジリオラ・チンクエッティの’雨’」


ピー  「白黒じゃんか。益々古くなって行く。降る雨も古臭いんじゃない?」
パパ 「これは、45年以上前の’雨’」


ピー  「まだ雨は降りませんね~」
パパ 「益々古くなって行く雨ざんす」
(雨に濡れても)

(シェルブールの雨傘)

(雨の訪問者)


ピー  「まだまだ降りませんね~、雨は」
パパ 「降るまで待とう’雨’ではないが・・・。そろそろ終って欲しい夏の日」
(さらば夏の日)


ピー  「結局降らなかったね。おいらにゃ~耐え難い夏の日差しだっぺ」
パパ 「天気予報は、どないなっちょる?」
ピー  「予報は、汗汗照り。音楽効果無し」

2011年8月8日月曜日

ピートとパパの会話(その125  '渚にて' 1959)


ピー  「表題の ’渚にて’ というのは?」
パパ 「1959年に映画化された小説で、核戦争後の世界を描いちょる」
    「原題は ’On The Beach’ で、映画ではグレゴリー・ペックが主演を
    している」
ピー  「なんじゃいな。おいらは海水浴の話かと思ったよ」
    「して、なんで ’渚にて’ を持出したん?」
パパ 「福島原発事故と、この映画が重なるからさ」
ピー  「ふ~ん、単なる戦争映画なんだろ?」
パパ 「今時の戦争アクション映画とは、趣きが全く異なる」
    「なんたってグレゴリー・ペック主演だからね」
ピー  「昔の映画は、ヒューマニズムがあると言っていたね」
パパ 「そう、これは、大人が観る映画だねぇ」
    「今のハリウッドに、このような映画を作れる監督がいるかなぁ?」
ピー  「具体的にはどういう内容なん?」
パパ 「核戦争後の放射能で人類が滅亡していくんじゃが、その過程での
    人間の葛藤と男女の悲哀を描いている」
ピー  「ほう、正に福島原発事故だ」
パパ 「この映画を観たのは、小学生の頃じゃった」
    「内容は殆ど理解出来なかったが、映像が記憶として残っておった
    のじゃよ。それで思い出した」
ピー  「おいら、そんな昔のことは憶えちゃいないねぇ」
パパ 「おや? ’カサブランカ’のセリフかい?」
ピー  「おいら、ハンフリー・ボガードじゃけんね。イヒヒ」
パパ 「ほんじゃ、この映画の最初と最後をチョコッと観てみよう」
    「俳優の表情と情景描写だけで、この映画の意図するところを
    感じられれば、あなたは素晴らしい」

http://www.youtube.com/watch?v=bfP1FCJTlo0

ピー  「全編に流れるワルチング・マチルダが印象的だね」
パパ 「エンディングに出てくる’THERE IS STILL TIME..BROTHER’という
    垂れ幕も印象的だ」
ピー  「’兄弟よ、まだ時間はある’ かぁ・・・」
    「福島原発事故と絡めると、誠に意味ありげなエンディングだねぇ」
パパ 「そう、こうなる前に手を打ちなさいよ、という風にも映る」
ピー  「はぁぁ・・・・・、人間はとんでもない動物じゃの~」
    「神は、何故人間を創り給うたのかのぉ~, アーメン」

2011年6月24日金曜日

ピートとパパの会話(その124 Roll Over Beethoven)


(Photo by Kentucky Educational Television)

ピー  「前回、Roll Over Beethovenがどうとか言っていたね」
パパ 「鬱陶しく蒸し暑い梅雨をブッ飛ばそうってのが、今回の趣旨じゃ」
ピー  「それが、Roll Over Beethovenかい?」
    「して、ベートーヴェンとどういう関係?」
パパ 「Roll Over Beethovenとはだね~、直訳をコネクリ々倒すと、
    ベートーヴェンなんかブッ飛ばせ、ちゅーことでござろーな」
ピー  「・・?、 意味不明でやんすな」
パパ 「とにかくRoll Overなんじゃよ」
ピー  「再び意味不明でござる」
パパ 「Roll Over Beethovenは、チャック・ベリーの楽曲で、1956年に
    発表されたロックン・ロールだよん」
ピー  「あ~ぁ、ロックでも聴いて梅雨の鬱陶しさをブッ飛ばそうと?」
パパ 「さいでござる」
ピー  「でもさ、何故ベートーヴェンなん? 再度しつも~ん!」
パパ 「あのね、えーと、米国は1955年~56年にかけて、キング牧師
    率いる公民権運動が高まりをみせ、特にローザ・パークス事件
    を切っ掛けに、黒人の人権闘争が過激になってきた時期
    じゃった。ということから話していこう」
ピー  「ローザ・パークス事件?」
パパ 「興味があるなら調べてみるといいよ。この事件の最高裁判決が
    注目を受け、その後の公民権運動に大きな影響を与えた」
ピー 「ほんでベートーヴェンは?」
パパ 「ベートーヴェンは、古典派の象徴だ。音楽界の超体制的存在ね」
ピー  「は~ん、つまり、ベートーヴェンをブッ飛ばすということは、
    黒人を支配している体制をブッ飛ばすということかぁ」
パパ 「んだ。誰も言わないが、チャック・ベリーは公民権運動に
    ベートーヴェンを引っ掛けたんだ、と、パパは思っている」
ピー  「ほっほう~、パパの米国史観?」
パパ 「じゃがの、チャク・ベリーは少々ベートヴェンを誤解している
    というか、勉強不足だ。音楽的にもフランス革命の影響を受け
    ていたことを見逃している」
ピー  「ややこしい話になってきたばい。ほんで?」
パパ 「チャック・ベリーは歌詞の中で、ベートヴェンあかん、R&B最高、
    ブルース最高と言っておーる」「R&Bもブルースも黒人音楽だ」
ピー  「ほと、ベートーヴェン=白人の支配体制 対 R&B,ブルース=黒人
    という構図かい?」
パパ 「そうだ。これは黒人の隠された革命歌なんじゃよ」
ピー  「ふ~む、深読みし過ぎじゃのぉ~・・・」
パパ 「では、チャック・ベリーの元祖Roll Over Beethovenを聴こう」
    「おっと、途中でチャック・ベリーがダックウォークを始めるから
    よく見てみよう」
ピー  「ダックウォーク?」
パパ 「ギターを弾きながら腰を落とし、片足を伸ばしてピョンコ
    ピョンコと歩くんだ」

http://www.youtube.com/watch?v=gsp4VCbVvn4&feature=related

ピー  「ほう、これがダックウォークか」
パパ 「ワシもやってみたが、どえらい脚力が必要だ」「2,3歩で進めなく
    なる」
ピー  「え~っ! 実際にやってみた~。アホちゃう」
パパ 「何事も経験だ」
    「まあしかし、この芸風は宮川左近ショーと同じだな」
ピー  「ほえ? マイドオ~ で始まるあれかい?」



パパ 「ほんじゃー、宮川左近ショーを見てみよう」
    「松島一夫のギター回しは、チャック・ベリーと同じじゃけんね」

http://www.youtube.com/watch?v=SXVUlQ1tygc&feature=related

ピー  「宮川左近ショーと同列に論ずるのは、チャック・ベリーが
    可愛そうだよ」
パパ 「同じエンターテナーじゃんか。何の違いがあろうか、ピート君」
ピー  「おいらとは、意見の相違があるでござるな」
パパ 「で、Roll Over Beethovenをカヴァーしたのがビートルズだ。
    それでは辛抱して下手糞なカブト虫という楽隊屋を聴こう」

http://www.youtube.com/watch?v=tE6Vwn5H09c&feature=related

ピー  「おいらはこちらの方がいいや」




パパ 「時代は進み、60年代後半からシンセサイザーを使ったグループが
    出現してくる」「ELOというグループが、Roll Over Beethovenの
    カヴァーをやったんだ。聴いてみるかい?」
ピー  「ん? シンセサイザー? YMOじゃないの?」
パパ 「ちゃう。YMOは、ELOのコピー版のようなもので規模も小さい」
    「ELOはElectric Light Orchestraというんだが、ビートルズより
    ずっと現代的で洗練されている」
ピー  「ほほう」
パパ 「さて、ELOのRoll Over Beethovenは、文字どおりベートーヴェンの
    第五を前奏にもってきて、しかもストリングスを使っている」
    「ま、エレクトリック・チェロなんだけどね」「ではいってみよう」

http://www.youtube.com/watch?v=HgcKhqlFz4Q&feature=related

ピー  「はぁ、オーケストラに近い演奏形態だね。随所に第五の変奏が出て
    くる。寺内タケシもエレキでやっていたんじゃない?」
パパ 「お寺内氏の演奏に比べると、ELOは癖が無く旋律が滑らかだよ」
    「これは、ストリングスの効果だね」
ピー  「違和感なく第五とチャック・ベリーが融合しているね」
パパ 「しかし、これはロックン・ロールだ。小太鼓は由緒正しい
    伝統のリズムを刻んでいるし、鍵盤はブギ調でウキウキする」
ピー  「由緒正しいロックン・ロールね~」
パパ 「そうだよん。以前、アルバート・リーの話をしたろう。あれだ」
ピー  「そうか、小太鼓があの時と同じリズムを刻んでいるね」
パパ 「ロックン・ロールは、ブギウギ、R&B、ゴスペルといった
    黒人音楽を基調としているから、音楽の中にそれらの痕跡を
    見出すことができる」
ピー  「ほう、ただ浮かれているだけの若者音楽だと思っていた」
パパ 「60年代後半を境に、ロックン・ロールはエレクトリックサウンド
    へと進化して行くんだ」
ピー  「シンセサイザーとか、コンプとかリミッターとかだろう?」
パパ 「それは代表的なものだけだ。他方、幻想的なサウンドで演奏する
    サイケデリック・ロックなんちゅーのも、この頃に出てくる」
ピー  「サイケデリック?」
パパ 「LSDでラリってる時に見える幻想的な色彩感のことをいう」
ピー  「なんじゃそれは、おいらの守備範囲を越えている」
パパ 「これ以降、ロックン・ロールは単にロックと呼ばれるようになる」
    「うんじゃ手始めに、ワウを使ったエレクトリックギターを聴こう」
    「シカゴの午前4時25、6分前という曲だ。日本では'長い夜'
    という曲名だよん」
ピー  「午前4時25、6分前というと、午前3時35分頃だね?」
パパ 「そう、その時間に作曲したらしい」
ピー  「粋な曲名だ」

http://www.youtube.com/watch?v=WLiuMkGCOC4

ピー  「ワウちゅーのは、ギター音をワウワウと震わす装置のことだな」
パパ 「Yes. この音が堪らんのじゃよ~」
ピー  「あたま大丈夫かい?」
パパ 「続いてサイケデリック・ロックのバニラ・ファッジを聴こうと
    思うんじゃが、長くなるから止めとこう」
ピー  「ところで、どうしてロックが好きなの?」
パパ 「好きじゃなくて、違和感を感じないだけだよ」
    「ただね、皆さん歳を重ねると、カラオケで演歌ばかり歌うように
     なるのは何故だろうと考えるね」
ピー 「若い頃は、ロックも聴いていたのか知らん?」
パパ 「次回は、その辺りを考察してみよう」
ピー  「しかし、ロックは民謡のように一本調子だから疲れるばい」
パパ 「じゃ、最後にドイツ ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏で、
    モーツァルトの弦楽四重奏曲第19番を聴き、精神を癒そう」

http://www.youtube.com/watch?v=6Zcy-zs9jmw&NR=1&feature=fvwp

2011年6月20日月曜日

ピートとパパの会話(その123  トロイカの崩壊)



ピー  「梅雨で空も鬱陶しいし、政治も鬱陶しいね」
    「小沢どんも梅雨空のように元気がないしぃ」
    「でも何故だろう?」
パパ 「そら、世間の目が厳しくなり、お金が思うように
    集まらなくなったからだよん」
    「じゃけん、分け前を貰えない子分達が騒いどる」
ピー  「内閣不信任案の件で、小沢どんの身内が分裂状態なのは、
    それで?」
パパ 「以前なら、こんなのお金を配って解決していたさ」
    「ばってん、今の小沢どんは軍資金に乏しい」
ピー  「ん? てことは、全てお金の問題か~」
パパ 「古い体質の政治グループは、お金が無くなれば霧散する」
    「お金が出来れば、またそれに結集する」
ピー  「なんじゃそれ? 砂糖に群がる蟻じゃんか」
パパ 「鳩やんがグループの長であり続けられるのは、お母ちゃんの
    お金を配っているからだよ~ん」
    「両者とも、根本的には角栄政治の亜流だな~」
ピー  「ちと言い過ぎじゃないの?」
パパ 「世界は、日本の政治をその程度にしか視ちょらんよ」

ピー  「一人元気なのは、都知事だね」
パパ 「彼は、政府を頼らないからねぇ」「だから何事も即座に実行
    できるし、後から政府が着いて来ている」
ピー  「政府がやらないなら、東京都がやるちゅーことか」
パパ 「それと彼は、経済が解るからね。この強みは大きい」
ピー  「は~ん、経済が解るちゅーことは、社会を豊かにする政策に
    長けているということだね」
    「これは、パパが言っている社会保障の原理か知らん」
パパ 「んだ、あの人のリーダーシップの根本は、二本の柱から
    成立っている」
ピー  「政府を頼らない。経済が解る。この二つだね?」
パパ 「そうだ、そこに自治行政の真髄を見ることができる」
    「大阪のまる子知事も同じだ」
ピー  「はは、ちびまる子そっくりの髪型だね。顔の輪郭もよく似ちょる」
    「愛知の自治体は?」
パパ 「愛知の例の二人だね。彼らは今以上に伸びないね~」
    「何故なら、選挙後に二人揃って小沢どんに挨拶に行ったろう」
    「それが失敗だったのさ」
ピー  「どうして?」
パパ 「小沢どんは金権政治の権化だ。そこへ挨拶に行ったものだから、
    選挙民は一蓮托生と看做してしまったのさ」
ピー 「ほう、だから名古屋市以外の選挙で振るわなかったのかぁ~」
パパ 「二人とも当てが外れたろうな。民意がわかっちょらんよ」

ピー  「して、イラ菅は?」
パパ 「あれにやらしてみたんだが、国政が無茶苦茶になったというのが
    実情だね。単に思いつきでやってるんだから」
    「彼は、政策立案の政治プロセスや民主的な手続きを無視している
    に等しい」
ピー  「勝手にあちこちへ口出しするんだな。三権分立も何もないね」
    「それを政治主導と勘違いしているのかぁ」
パパ 「その点小沢どんは政治のプロだね」
    「内閣法制局の国会答弁禁止や議員立法の制限など、目立たない
    ように立法府を上手く追込んで行った。流石だよ」
ピー  「それに比べると、イラ菅は生徒会のようなものだね。はは」
パパ 「それとイラ菅は、外国人献金問題も無視している。明らかに
    法律違反だよ。日本国憲法にも抵触するんじゃないかい」
ピー  「なるほど~、だから自民党は、イラ菅が辞めれば大連立も有り
    得る、と言っているんだね」
    「民主党内からも、居座りに批判が続出しているね~」
パパ 「ま、民主党もとんでもない奴を選んじゃった、というのが
    本音だろうな。ワシもそうじゃがな」
    「とにかく、閣僚連がイラ菅に辞任要求をしているんだからね」
ピー  「ほと、与野党の見解は、危なっかしいイラ菅には国政を
    任せて置けないということか。でも後継は?」
パパ 「もし大連立をするなら、後釜はそれまでの繋ぎでしかない」
    「適当に決めればエエさ」
ピー  「そんなことで国政が維持できるの?」
パパ 「平成に入ってから首相が15人も変わっちょる」
    「一人平均1年半だよ。どうとでもなるさ」

ピー  「国家予算における財源の問題は?」
パパ 「自民党が言うように4Kを止めればいいよ」
    「そして、それを震災の復興財源に充てればええ」
ピー  「でもガキ手当は?」
パパ 「そら、ガキ手当は無いよりもあった方がエエ」
ピー  「そうだろう~」
パパ 「じゃが~、言っておくがさ、パパ達の時代にはガキ手当なんか
    無かったぞ」「教科書代や給食代も有料だった」
    「それでも大多数の親は子育てをしてきたんだ」
ピー  「でもさ、民主党や福島おばはんは、子供は社会で育てるもの
    と言ってるじゃんか」
パパ 「何をぬか味噌ほうれん草。昔からちゃんと社会で育ててきたわい!」
    「例えば、扶養手当であるとか諸々の控除が税制面でなされてきた」
    「その手当や控除相当分を、社会の皆で負担してきたということだよ」
ピー  「あ~、それでガキ手当を出す代わりに、今までの手当や控除を
    減らす訳かぁ」
パパ 「そうだよん。財政予算ちゅーのは天秤のようなもので、何かが
    増えれば何かを減らして平衡を保たねばならない」
ピー  「なんで~?」
パパ 「何故なら、国家予算は前年より減らないし、限られた総額の中で
    収支のバランスを取るからさ。それに伴い税金や手当も増減する」
ピー  「ほと、今更ながら、子供は社会で育てるものと言い出したのは、
    辻褄あわせと票集めの方便かい?」
パパ 「そうじゃ。今回の震災でも4Kを維持しようとするから、増税論
    が出てくる」「4Kを無くせば増税しなくて済むかもね」

ピー  「高校無償化は?」
パパ 「中卒で働いている少年少女が、同世代の高校生の授業料を
    負担させ られることに矛盾を感じるね~」「無償にするなら、
    勤労少年少女の税金も、全額無税にすべきだと思わないかい?」
ピー  「確かに不公平だねぇ。やはり単なるバラ撒きか」
パパ 「あくまで4Kに拘るなら、復興財源も何もかも、結局のところ
    小沢どん問題に帰する」
ピー  「民主党の諸問題の根源は、小沢どんか~」
パパ 「小沢どん、鳩やん、イラ菅、このトロイカはどえらい迷惑だ」
    「次回は、パっと明るくRoll Over Beethovenで行こうや」